モテると本当に人生は良くなるのか?「自分が好きな自分」になる大切さについて
ネットでは「モテるにはこれをやるべし!」「異性に好かれるテクニック!」といった情報が溢れますが、「モテる=自己肯定感が高くなる」という発想がかえって自分を苦しくしていませんか?ニュージーランドのトレーナーmikikoは、多くの人からモテる自分になるよりも「自分が好きな自分」を見つけることが優先なのではないかと考えています。
「モテたい!」「異性(同性)に好かれたい!」と飲み会の席で本音が漏れている人に出くわしたことがあったり、人には話さなくてもこっそりと自分でも思っていたりする人は多いのではないでしょうか。ネットにはそんな欲求を満たすためのアドバイスが溢れていて、話題性・情報量からも日本社会でモテることの重要度がうかがえます。
「自己肯定感をあげたい」という表現の言い換えとも言える「モテたい」は、「魅力的になりたい」「自信を持ちたい」のような自分主体の表現と違って、「人から好かれたい」「誰かに認められたい」という他人主体の表現であることが特徴です。私は、こうした『他人主体の自己承認欲求』を追い求める風潮に警鐘を鳴らしたいと思っています。
”モテたい文化”の差
日本にいると「モテたいから筋トレ始めた」という話も珍しくないのですが、ニュージーランドではあまり聞くことのない話題です。「人から好かれたい」自体は日本人特有の欲求なわけではないけれど、「モテるために〇〇を始めた」という話までいってしまうのは、ネガティブな印象を与えてしまうのでニュージーランドでは避けられる傾向があります。「人に認めてもらうために自分を変えている=自分には軸がない」と公言しているように聞こえてしまうからです
文化の差なのでどちらの方がいいとは思いませんが、「自分らしい自分でいること」と「人から好かれる自分になること」の優先順位の違いが見えるのは興味深いです。日本社会では「周囲のやり方に馴染むために自分らしさを変えること」が肯定的に捉えられるため「モテるために〇〇を始めた」という話があがり、ニュージーランドでは「自分らしさを突き通すために人から好かれるかどうかを気にするのをやめた」の方が肯定的に捉えられるため、ボディポジティブのような考え方が受け入れられやすいのでしょう。また「人からの評価を高めること=自分磨き」という考え方が浸透していることも、日本社会の特徴的な部分だなあと思っています。
AUTHOR
mikiko
パーソナルトレーナー|自身の失敗経験を元に個人差や体質を重視した『mikiko式フィットネス論』を提唱|身体と人生観が変わるフィットネス哲学で、一生ブレないための視野と学びを発信しています|流行を根拠と本質で斬る人| 筑波大学健康増進学修士|NZベストトレーナー入賞
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