モテると本当に人生は良くなるのか?「自分が好きな自分」になる大切さについて
他人主体の自己肯定感
『他人主体の自己承認欲求』を追い求める風潮で私が警鐘を鳴らしたいのは、気をつけないと人の評価無しには自己評価ができなくなってしまう点と、自分とは異なる”水準”を持つ人の気まぐれに振り回されてしまう点です。たまたま、相性が悪かった人の一言が刺さってしまう。たまたま、あなたのことを魅力的だと思わない人に傷つけられる。たまたま、あなたの良さに気づいてくれない人に全てを否定されたように感じてしまう。万人に好かれること自体が不可能なのに、人の評価に頼ることが癖になり、自分の評価をすべて人に委ねるようになってしまいます。
「モテるために〇〇をする」というのは、他人に評価してもらうために、世間が求める”理想像”に自分をはめていくということ。他人任せで自己肯定感を持つことが癖になってしまった人にとっては、チヤホヤしてくれる人が増えることや、それによって自信を得ることは、いつ崩れるか分からないガタガタの足場に家を建てるような行為になってしまうんです。
「人に好かれる自分」よりも「自分が好きな自分」
「モテる」はあくまでも「自分の魅力が人を引きつける」ということ。人を惹きつけるために魅力的になることではありません。
その魅力は、内側からくる人柄だったり、自然と出る仕草だったり、遺伝子的なフェロモンだったり、まとってる雰囲気だったりする。気が利くとか、痩せているとか、くびれがあるとか、どこかから持ってきた表面的な知識で着飾った自分ではありません。そんな誰かが決めた”理想像”には当てはまる自分は、あなたらしいあなたではないはずです。誰かが決めた”水準”で固めた自分で人を引きつけて、それで幸せを感じようとしていませんか?もしそうであれば、その自分の価値観がどこから来たのか疑問を抱くべきです。
自分が好きになれない自分を、人には好いてもらおうとしてる。自分では埋められない心の隙間を、人からの評価で埋めようとしてる。だから「異性に好かれる言動」や「モテる身体」などの”武器”を手に入れて自分を着飾ってでも人に認められようとしてしまうのではないでしょうか。
「モテて自信が持てるようになりたい」と思っている人は、人に好かれる前に『自分が好きな自分』を目指した方がずっといい。自分が好きな自分でいて、離れていく人がいるのなら「私の魅力が分からない人だった、残念」と思えるような軸を立てた方がずっといい。
筋トレだって、自分が自分を好きになるためにしたらいいんです。どこかから持ってきた型に押し付けた自分でモテたって、苦しいだけ。「君の美尻が好きだ」とか「モデルさんみたいな身体に惚れた」みたいな褒め言葉で近寄ってくる人が増えるよりも、「君らしい君が好き」「楽しそうにしてるあなたが好き」って言ってくれる人と一緒にいた方が、あなたの人生にとって本当に価値のあることではないでしょうか。
他人に好かれるために自分を変えなくていいんです。選ばれようとしなくていいんです。選ばれるようにへりくだる必要ないんです。自分らしい自分を好きになってくれる人といるのが健全だし、そのままのあなたの魅力を分かってくれる人で囲まれた人生の方が健全。あなたの人生です、もっとあなた主体で自分を肯定しながら生きてみませんか。
AUTHOR
mikiko
パーソナルトレーナー|自身の失敗経験を元に個人差や体質を重視した『mikiko式フィットネス論』を提唱|身体と人生観が変わるフィットネス哲学で、一生ブレないための視野と学びを発信しています|流行を根拠と本質で斬る人| 筑波大学健康増進学修士|NZベストトレーナー入賞
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