太い脚、たるんだお腹…「こんな身体じゃ恥ずかしい」は人間の本能?自分に自信がない人ができること

 太い脚、たるんだお腹…「こんな身体じゃ恥ずかしい」は人間の本能?自分に自信がない人ができること
mikiko
mikiko
2022-02-11

「こんな身体を世間に出すのは恥ずかしい」とダイエットを始め、いろいろ努力した後も自分に自信が持てないままで悩んでいませんか?ダイエットの方法論ばかりが話題になり、そもそもの発端である『恥ずかしい』という感情の理解は見逃されがち。ニュージーランド在住パーソナルトレーナーのmikikoが、「なぜ人間は恥ずかしがるのか?」を深掘りし、自分に自信が持てない人が今よりもうちょっと自分を好きになるためにできることを紹介します。

広告

自分の『恥ずかしい』という感情がどこからくるのか、考えたことはあるでしょうか?

「太い脚を見せるのは恥ずかしい」
「たるんだお腹を見せるのは恥ずかしい」
「この体型で水着を着るのは恥ずかしい」

その『恥ずかしい』がきっかけでダイエットに一念発起する話もよく聞くのですが、そもそも私たち人間はどうして、”良い部分”ばかり見せたがり、”自信がない部分”を見られると不安になるのでしょう?

私は、パーソナルトレーニングを始める人たちと必ず「そもそも自分のコンプレックスが『恥ずかしい』と思う気持ちはどこから湧いてくるのか?」という話をします。身体さえ変われば自分のことがもう少し好きになれると思っている人は、一度この質問について考えてみてください。

『恥ずかしい』の正体

社会学、または社会心理学の領域では、『恥ずかしい(=羞恥心)』は、社会的動物であるヒトが団体生活で「居場所」を確保するために必要な警報だと言います。周囲の評価や信用を失うようなことが起きたり、自分が理想とする価値観に合ってないと気づいた時に、「恥ずかしい!」という警報を送って社会に適応しようとする人間の本能なんです。

つまり「自分の身体を恥じている」という感情は、「この身体では社会に認めてもらえない」「周りにジャッジされるのが怖い」「自分の理想の身体に合致していない」という思考が根本にあるということ。この定義に沿っていえば、「痩せ願望」は「痩せることで社会に認めてもらいたい」という願望のことなんです。

『恥ずかしい』に支配される人、『恥ずかしい』を支配する人

羞恥心はヒトの本能なので、感じてしまうこと自体は仕方ないことなのかもしれません。

でも、この本能的感情に対する反応は人それぞれ異なるようです。少しでも自分のダメなところが公に出ると顔を真っ赤にして恥ずかしがる人がいる一方で、お腹が見えても全然平気な人もいたり、カメラの前でくしゃくしゃな泣き顔を見せる俳優がいたり、ほぼ裸で人前に出て踊る芸人がいますよね。

彼らの『恥ずかしい』は、自信がない人の『恥ずかしい』と何が違うのでしょうか?

私の身の回りの俳優やダンサーにこの質問を聞いてみたところ、共通する返事が返ってきました。自分の欠点だと思う部分と向き合い、それを人に見せる練習をして『恥ずかしい』をコントロールする技術を身につけるんだそうです。「何度も練習するうちに、欠点を見せることで自分の中で芯ができるし、見せても何も失わないって分かってくる」と言います。

弱みと向き合うことで自分の芯を知り、弱みを見せても社会での居場所が無くならないと学ぶことで、『恥ずかしい』がコントロールできるものになるのでしょう。

自信がない人の共通点

私がフィットネスを教えていて感じるのが、自分のことを好きになれない人は「世間に弱みを見せると世界が終わるような恐怖心」を抱えている、ということ。

この気持ちは、私もよく分かります。私自身、摂食障害で自分の身体を醜いと責めてばかりいた頃は、同じように、醜い自分や完璧じゃない自分が世間の目に触れることをひどく恐れていました。自分の自信がない部分を見られることが怖くて、隠して、そのコンプレックスを取り除くために躍起になってしまったんです。

フィットネスの専門家としてこんなことを言うのはおかしいかもしれませんが、残念ながら、エクササイズや食事改善にはこの恐怖心を乗り越えるだけの効力がありません。「コンプレックス」と「世間の目」に怯える思考回路を改善しない限り、どれだけ身体が変わっても本人の内側から自信が生まれることはないからです。

「ダイエットを頑張ってるのに自信が持てない」という人は、身体を変えることに必死になって過去の私のように失敗する前に、「自分磨き」の努力の方向転換をしてみましょう。

自信がない人ができること

私は、ボディポジティブのように「ありのままの自分を受け入れよう」という考え方は、「ちょっとハードルが高いな」と思っています。「社会で居場所を無くしてしまうんじゃないか」という恐怖心を、いきなり「ありのままの自分を受け入よう!」で乗り越えるなんて、ディズニープリンセスくらいにしかできない荒技です。そんな根っからのポジティブだったら、そもそも自信がなくて悩むなんてことなさそう。現実的には、いくつか段階を踏まないとたどり着けない領域ですよね。

代わりに、まずは小さな一歩で「コンプレックスを取り除こうとするのをやめてみる」のはどうでしょうか。『恥ずかしい』という感情が私たちヒトの本能に組み込まれている限り、コンプレックスは一生無くなりません。世界のトップモデルにもコンプレックスはあるし、自信満々そうにステージでダンスをしている人にもコンプレックスはあります。

コンプレックスを無くすことはできないけど、「コンプレックスへの対応」は私たちにもコントロールできること。隠したり取り除こうとするのではなく、とりあえず保留にしといて、『自分の良いところ磨き』に努力の方向性を変える。これなら、プリンセスのように鳥や花と歌って踊れない私たちにも出来ることではないでしょうか。

隠さないことが受け入れるための第一歩

コンプレックス潰しを保留にして良いところ磨きをするのだって、れっきとした「自分磨き」です。自分の好きなところや、「好き」まではいかないけど「悪くないんじゃない?」と思うところを磨いてみる。そして、自分で自分を褒める『加点方式の自分磨き』に切り替えるんです。

今まで自分のコンプレックスばかり見つめて、欠点探しばかりしてきた人にとっては、この「自分を褒める」というステップすら難しいと感じるでしょう。でも、良いところを探して褒める練習を続けていくうちに、コンプレックスなんて隠さなくても、自分の芯ができて社会での居場所を見つけられるようになっていきます。

「隠す」をやめて「褒める」を始める。最初はものすごく怖いけど、隠している限り好きになることはできません。「コンプレックスが改善したら、自信がつくから出そう」と思う人は多いのですが、実はその逆。「出す練習を繰り返すことで『恥ずかしい』に支配されなくなっていく」が正しい順番なんです。

いきなり、ありのままの自分を受け入れることは出来ないかもしれない。でも、その最初の一歩は、自分の『恥ずかしい』が周囲の評価を気にする本能であると理解し、『コンプレックスを隠すのをやめること』から始まるんじゃないのかな、と私は思います。

広告

AUTHOR

mikiko

mikiko

パーソナルトレーナー|自身の失敗経験を元に個人差や体質を重視した『mikiko式フィットネス論』を提唱|身体と人生観が変わるフィットネス哲学で、一生ブレないための視野と学びを発信しています|流行を根拠と本質で斬る人| 筑波大学健康増進学修士|NZベストトレーナー入賞



RELATED関連記事