断れない、休めない…「必要のない罪悪感」に悩まされないために大切にしたいこと

 断れない、休めない…「必要のない罪悪感」に悩まされないために大切にしたいこと
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前回の記事で紹介した「我慢は美徳」という価値観と並び、つき合い方を見直したい感情が「罪悪感」です。心療内科医の鈴木裕介さんは、著書『我慢して生きるほど人生は長くない』で「罪悪感とは、実は自己中心的な感情である」と言っています。どういうことでしょうか?

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その罪悪感の正体とは?

すべての感情には役割があります。「罪悪感」という感情の役割は、「関係改善」だと言われています。たとえば、「あのとき言いすぎちゃって、申し訳なかったな」という罪悪感が、「次会ったときは、もっとやさしく接しよう」という気持ちに繋がり、関係の改善に役に立つのです。その一方で、罪悪感はとても扱いが難しい感情でもあると思います。

罪悪感にかられやすい人は、他人に対して常にものすごく気を遣っている人です。罪悪感という感情を紐解くために、この「気遣い」と罪悪感の関係について考えていきましょう。

私は、あらゆる気遣いは、以下の2種類に分かれると思っています。

・自分が嫌われない、傷つかないための(防衛的な)気遣い。

・自分のことは一旦置いておいて、純粋に相手にとってのプラスを考えた気遣い。

そして、世の中には、防衛的な気遣いのほうが圧倒的に多いように思います。そして、後者のものが「思いやり」といって差し支えないものでしょう。

まずは自分の気遣いが、この「防衛的な気遣い」になっていないかを確かめましょう。防衛的な気遣いの問題点は、それが自己防衛であるために、なかば自動的に引き出されてしまうというところにあります。会う人すべてに、大きなエネルギーを使ってしまい、疲弊してしまうのです。普段からそれだけ他人に気を使ってエネルギーを割いているにもかかわらず、たとえば周りに不機嫌な人がいると、「自分が十分に気遣えなかったせいではないか」と罪悪感を感じてしまいやすいのです。こうした人は、対人関係そのものに対する「おそれ」があり、その背景には、過去の傷つき体験があることが多いのです。

罪悪感は他人をコントロールしやすい

さらに、罪悪感を抱えやすい人は、他人の言いなりになってしまったり、支配的な関係に巻き込まれてやすくなります。なぜなら、罪悪感というものは、他人をコントロールするのに利用されやすい感情だからです。

交渉の際によく使われる心理テクニックとして、「最初はとんでもない要求を出してわざと断らせ、相手が罪悪感を抱いたところで、本当に通したい要求を提示する」というものがあります。

職場においても、罪悪感は、不公平なトレードに利用されがちです。有給をとるのも、自分の仕事が終わったら帰るのも、本来は当然の権利のはずなのに、職場の雰囲気によって「同僚が働いているのに休みづらい」「先に帰りづらい」という気持ちにさせられたり、どう考えても理不尽なノルマを課せられているのに、「ノルマを達成できず、期待に応えられなくて申し訳ない」という気持ちにさせられることがあるでしょう。相手の罪悪感を突いて、行動や心情を操作するというのは、特に親子関係でよくみられる話ですが、これは関係の作り方としては誠実なものではありません。

罪悪感は実は「自分勝手な感情」でもある

罪悪感の背景には、実際には“他の人からネガティブな感情や否定的な評価を向けられることへの恐怖があります。しかし、それに囚われると、気楽で心地よい人間関係からは遠ざかってしまいます。

対人関係で罪悪感にとらわれると、人は「合わせる顔がない」と、相手との関係に対して逃避的になってしまいます。親や友だち、パートナー、同僚など、大切な相手が望むことに100%応えられなかったとき、「申し訳ない」と思ってしまうのは仕方がないことです。しかし、ここには「相手の本当の望みはなにか」という視点が欠けていることに注意が必要です。

たとえば、仕事でとても大きなミスをして、尊敬する上司に迷惑がかかってしまった、という出来事があったとします。ミスをした人は、「これだけお世話になった上司の顔を潰してしまった」「顔向けできないから、辞めてしまいたい」と思うかもしれません。でも、上司の立場からすれば、そこまで手塩にかけて育てた部下に辞めてもらいたいとは必ずしも思わないのではないでしょうか。

罪悪感を抱いた結果、相手と顔を合わせることや、率直なコミュニケーションをとることができなくなってしまうのは、非常にナンセンスです。それは、一見相手のことを考えているようで、実は相手の気持ちを無視した行為であり、「自己中心的」になる危険性のある感情だといえるのです。

自分の心の声を優先する

では、罪悪感に悩まされないためには、一体どうしたらよいのでしょうか。

まず、「罪悪感に苛まれすぎることは、関係の質を下げるリスクがある」ということを前提の知識として知っておきましょう。

次に、罪悪感によって他者にコントロールされることを防ぐために、「他人が自分の罪悪感を突いてくる行為や言動」に敏感になりましょう。残念ながら、罪悪感を刺激することで他人を支配することに長けている人は少なくありません。しかし、それは関係の作り方としては不誠実な「ご法度」だと思います。それをしてきた時点で、その人はあなたとの関係をフェアなものにしようとする意思がないものとみなして構いません。

そうした人が相手であれば、自分を犠牲にすることはありません。自分の中で物事の優先順位をつけ、その順位づけを忠実に守りましょう。よほど切迫した緊急性のある状況でない限り、相手の要望や期待が、自分が望むもの、自分が心地良いと感じられるものでないときは、自分の心の声を優先してください。自分のために断るという選択肢を常に持ちましょう。

罪悪感に負けて相手の言いなりになってしまうと、後悔したり自己嫌悪に陥ったり自己評価が下がったりしやすくなりますが、自分の内なる望みを守ることができれば、自分自身を信頼でき、自信が持てるようになります。

適度に、他人の都合よりも自分の都合を優先する。そうした体験の積み重ねが、自己を肯定する力につながり、本当の意味で他人と健全な関係を構築する能力のベースになっていくのです。

拙著『我慢して生きるほど人生は長くない』では、誰しもが他人に消費されることなく、自分の物語を生きられることを願って、心療内科医の立場からの気づきを記しています。

拙著でお伝えする内容があなたの「安心」を育むことに役立ち、本来の可能性を発揮する一助となれば幸いです。

プロフィール:鈴木裕介さん

内科医・心療内科医。2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務。研修医時代に、近親者の自死を経験。そうしたことが二度とおこらないようにと、研修医のメンタルヘルスを守る自助団体「セーフティスクラム」を同級生と一緒に立ち上げ、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。人々が持つ「生きづらいという苦しみ」や「根源的な痛み」、「喪失感」に寄り添いながら、SNSや講演などでメンタルヘルスに関する発信も行う。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)がある。Twitter:@usksuzuki

我慢して生きるほど人生は長くない
『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)

 

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ヨガジャーナルオンライン編集部

ヨガジャーナルオンライン編集部

ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。



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