正しいことを選ぶには?5つのステップで意思決定をする方法

 正しいことを選ぶには?5つのステップで意思決定をする方法
Tom Merton

人生において難しい決断を迫られたとき、この伝統ある自分の「ダルマ」を見つける方法を試そう。状況に応じた正しい対応をとろう。

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2003年6月のある朝、私は飛行機で、彫りの深い顔をして身なりのきちんとした男性の隣に座っていた。話しているうちに彼は自分が直面しているジレンマについて語り始めた。民主党は彼が大統領選に出馬することを望んでいるが、彼はそうするべきか迷っているというのだ。彼には軍でのキャリアがすでにあり、司令官となったことで、すべて成し遂げた感があったのだ。それに静かな暮らしも気に入っていた。それでも自国で起きていることを考えると、指導者になることが彼の役目なのだろうとも感じていた。問題は、彼が言うには、政治の舞台に上がったら、対立候補者はありとあらゆる手を使って自分を破滅させようとすることだ。彼はそんな激しい個人攻撃に晒されたいのかどうか確信が持てないでいた。

飛行機が目的地に到着したとき、彼は名刺をくれた。それで私はウェズリー・クラーク退役大将の隣りに座っていたのだと知った。私はアルジュナが世界大戦で自分の親類と戦う場面に直面した、バガヴァッド・ギータ―の中に永遠に伝えられるある話が、彼のこれまでの人生の難局を映し出していることに心を打たれた。それはクラークが抱えるようなジレンマへの反応で、文字通り何世紀にも渡って続くクリシュナ神がアルジュナに伝えた教えのことだ。『たとえそれがうまくいかなくても、他のダルマで完璧にこなすよりも、あなたの役目を果たし、自分自身のダルマを行う方がよい』というものだ。

結果として、クラーク退役大将はかれの戦士のダルマに従ったのだ。戦いに身を投じ、今私たちが知る限り、うまくいかなかった。おそらくその後、彼はこう願ったに違いない。自分が抱いた疑念に耳を傾け、予備選挙に関わらなかったらよかったと。私は結果がどうであれ、彼が個人的なダルマに従い、勇気ある行動を取ったことに満足していることを願っている。

次の話に移る前に、『個人的なダルマ』の意味を明確にしておこう。あなたの個人的なダルマは、あなた自身の性質の最高の現れ、自分自身、他者、社会、地球への責任を実現するために辿る道だ。バガヴァッド・ギータ―の中でクリシュナはダルマについて、私たちのそれぞれが与えられ、危機から離れるための持って生まれた何か、また、人生の使命だ、とよく語っていた。しかし、彼は正しい行いという意味の言葉も使っていて、私たちのほとんどにとっては、個人的なダルマは、『今私にとっての正しい行いとは何だろう?』もしくは、『自分の本質、技術、好みを考慮すると、よい結果を得るためにはどんなことをすべきなのだろうか?』という最も基本的な疑問に行きつくことになる。

よく私たちはジレンマのダルマを個人や職業的な責任感と自分の希望が対立する状況と結び付けて考える。(例えば、ヨガ・インストラクターとデートしてもいいかしら?収入として申告しなくていいように、取引先に現金で支払いしてくれるように求めてもいいかしら?などだ)でも、大抵、ダルマの対立は望みではなく、責任が競合しているものだ。時々、私たちは何をしていても、誰かが傷つくとしても、選択を迫られることがある。正しい行いが明らかだとしても、それをあなたが行うべきとは限らないのだ。(もしあなたが泳げないなら、溺れる子供を助けるためにあなたに川に飛び込んで欲しいとは誰も望まない、というように)。その時のあなたにとっての正しい行動は、私にとっては正しくないかもしれない。個人的なダルマについてしっかりと考えることは、とても難しく、きわめて重要なことなのだ。

二人の人のダルマの典型的なジレンマを見てみよう。ジュディは社会運動家で仲間の援助活動家と結婚し、ザンビアに住んでいる。彼女は活動に深く関わり、他のことをするなんて想像すらできなかった。そして彼女は妊娠した。子どもは欲しかったが、紛争地域で子育てをしたくなかった。まだしばらくはアフリカで自分の仲間や助けている人たちの元から去りたくなかった。そしてもう一人はダレン。小説を仕上げるまでに必要な助成金を提供されているが、そのスポンサー企業は便乗値上げで知られる製薬会社だと気が付いたところだ。

二人とも『正しい』行動を見極めるのが難しい状況に直面している。状況をよく考える必要があり、どうすべきかの助言を切望していた。

意思決定ガイド

幸いなことに、ウパニシャディック・テキスト・オブ・インディというアヤージュニャヴァルキヤ・サンヒターの中に一連の指針があり、個人的なダルマに対する疑問への答えを見つけることができる。その文書では、自分のダルマを見つけ出す基準と、一つの全体的な『ルール』が示されている。『ダルマの起源は、聖典であり、よいことの実践、自分自身にとって納得のいくものなら何でも、そして健全な決意からもたらされた欲求として知られている』とその中で言われている。一節の中でダルマの要点の一部が記されている。『それ以上の行為は…自制心、非暴力、慈愛、真実の学びであり、最高のダルマは、ヨガによって自分自身を認識することだ』

この規定で私が好きなところは、絶対論がないところだ。言い換えれば、『これかあれをしなさい』ということだ。これは倫理的または人生の重要な決定に関するさまざまな要素を比較する方法を示している。それを私が少し脚色したものをここにご紹介する。自分でも試してみて欲しい。

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Translated by Hiroe Humphreys



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