「いつか治る癖だと思っていた」抜毛症と生きるボディポジティブモデルGenaさんインタビュー前編
カウンセリングで初めて受け入れられた抜毛症
――自覚はあっても認められなかった抜毛症。カウンセリングに行くようになったきっかけは? 状況を打開したいという思いがあったのでしょうか。
Genaさん:大人になっても変わらずに「いつか治るんじゃないか」「病院に行くほどじゃない」と思っていました。でも、26歳のときに突然、会社に行けなくなってしまったんです。何がつらかったのかな。仕事もヤバかったし、友だちとも喧嘩してたし、実家との関係もいろいろ揉めてて。朝、出社しようと準備してソファに座ったら、そこから4時間動けなくて。ずっと髪の毛を抜いてたんですよ。「これは本当にヤバい」と思って、這うようにメンタルクリニックに行って、そこで泣きながら「こういうことが重なって」と話すついでに「髪の毛を小さいころから抜いているんです」ってひねり出すように言ったんですよね。
そこで、診断されたのが「小児期からの長期化した適応障害」。そのあとに、カウンセリングを始めたんですけど、心理士さんが対話しながらしっかりと受け止めてくださったので「自分は抜毛症なんだ」と受け入れられるようになりました。ずっと頭の片隅にチラチラしていたけど、見ないようにしていた「抜毛症」を認められるようになった感じですね。
――11歳から慢性化してしまった要因については、どう受け止めていらっしゃいますか。
Genaさん:最初の直接的な原因は学校環境でしたけど、学年が上がって仲のいい友だちと一緒のクラスになっても抜毛を止められなかったので、間接的には親との関係もあったのかなって。家族からの「汚い」「意志が弱いから癖を直せないんだ」みたいな言葉は、やっぱり傷つきました。
自分が抜毛症だと受け止めきれていない。どこかで否定していて絶対に認めたくないという気持ちがあるなかで、抜毛を止めなくちゃって思っているときにそういう言葉をかけられると……。親はよかれと思って言ってくれてたんでしょうけどね。
ずっと家族間は問題ないと思ってたんです。大事にしてもらっていたし、習い事もたくさんさせてもらったし。でも、いろいろと考えてみるとやっぱり自分の意志を尊重してもらえなかった部分はすごくあって。母と私は背が高いとか特徴が似ていて、自分もつらい思いをした分、娘には身長以外の部分では普通でいてほしいというのがあったみたいなんです。
でも、本来、私はのびのびしているタイプだったから相性がよくなかったのかなって。私、小さいころから「字が汚いから上手に書きなさい」と言われ続けたせいで、今も手書きの履歴書とか書けないんです。字がどうしても震えちゃう。「ちゃんとしなさい」って言われるほど嫌になっていく。でも、「ちゃんと」ってなんでしょうね。最低限のルールを守っていればいいと思うんですけどね。「ちゃんとしなきゃ」っていう呪いはまだかかっている気がします。
あと、環境に左右されていた部分も大きいですね。ずっと感じていた普通でいないと弾き出されてしまう日本社会との相性の悪さというのも、今も抜毛行為を続けてしまっているひとつの原因なのかなと思います。
*インタビュー後編に続きます
プロフィール:Genaさん
90年代生まれのボディポジティブモデル。11歳の頃から抜毛症になり、現在まで継続中。SNSを通して自分の体や抜毛症に対する考えを発信するほか、抜毛・脱毛・乏毛症など髪に悩む当事者のためのNPO法人ASPJの理事を務める。現在は抜毛症に寄り添う「セルフケアシャンプー」の開発に奮闘中。
AUTHOR
ヨガジャーナルオンライン編集部
ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。
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