京都で出合い直したクラシカルホメオパシーの世界 4)野村潤平先生との出会い

 京都で出合い直したクラシカルホメオパシーの世界 4)野村潤平先生との出会い
写真/野口さとこ
Saya
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2025-01-29

女性の人生の中で心身が大きく変化する”更年期”…何でも、日本女性がもっとも落ち込みやすいのは49歳だという統計もあるとか。でも、わたしは、50歳前後の複雑なはずの時期、自分の年齢をまったく気にせず、元気に過ごしてしまいました。むしろ京都に移住する前の40代半ばのほうがつらかった気がします。うまく切り抜けられたのは、京都に住んだおかげだったのかもしれない…と50代に入って数年経った今、すごく思うのです。この連載では、そんなわたしが40代、京都で見つけた「幸せの秘密」を探っていきたいと思います。

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2018年の断薬後、2019年の夏になって、蘭のフラワーエッセンスの輸入元である寺山順子さんが「クラシカルホメオパシー京都というスクールの授業で、ホメオパシーを受けるモニターを募集している」とSNSに投稿されていました。何万も投じても合うレメディを見つけてもらえないという経験から、もうホメオパシーのセッションを受けるつもりはなかったのですが、無料で受けられるならもう一度、トライしてみたいと、思い切ってモニターを受けることにしました。

そこで出会ったのが「クラシカルホメオパシー京都」の講師である野村潤平先生。授業の一環として、公開で野村先生のセッションを受けるものだったのですが、当時のわたしは大勢の前で自分について話すことに、とても警戒していました。その相手を疑ってかかるような様子と、「わたしの王国の塀を壊され、侵入される」といった表現がキーとなって、イグナチアというレメディを見つけてくださったのでした。

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実は、わたしは今、シュタイナーの思想にもとづいた学びもしているのですが、野村先生も、シュタイナーがもともと好きだったとか。お子さんをシュタイナー学校に通わせていることなど、会話の相性がよかったのかもしれません。また、野村先生は、非常にフランクなお人柄で、レメディの名前も、選んだ理由も教えてくれました。ホメオパシーの世界には、「レメディの名前を教えてしまうと、それに合わせて、クライエントが話すようになるから、教えないほうがいい」という考え方もあるらしいのですが、わたしはちゃんと説明してもらわないと、信頼感を抱けないタイプ。「とうとう求めていたホメオパスに会えた」という感覚になりました。

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野村先生は、実は、救急医療を志し、京大で学ばれた看護師さんでもありました。そんなわけで、西洋医学にも精通し、また数十万するようなホメオパシーのレパートリーと言われる事典のようなソフトも入れていらして、言葉だけに頼らない点も、わたしにはよかったのかもしれません。とは言え、ご自身に合う方を探していただくのが一番です。相性のいい方との出会いは、やはり簡単には行かないし、お互いのタイミングもある。他の方にはよくても、自分には合わないこともあります。美容師さんや歯医者さんも、自分に合う方がなかなか見つからないのと同じだと考えるといいかもしれません。でも、その分、ぴったりな方と会ったときには宝物のような出会いになるでしょう。

次回は、世界のホメオパシー事情についてお届けします。お楽しみに!

野村潤平先生
www.chk-homeopathy.jp/lecturer/nomura-2/

文/Saya

東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram     @sayastrology

写真/野口さとこ

北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
ホームページ satokonoguchi.com
Instagram  @satoko.nog

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