京都で出合い直したクラシカルホメオパシーの世界 3)相性の合う出会いまではホメオパスジプシーに
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女性の人生の中で心身が大きく変化する”更年期”…何でも、日本女性がもっとも落ち込みやすいのは49歳だという統計もあるとか。でも、わたしは、50歳前後の複雑なはずの時期、自分の年齢をまったく気にせず、元気に過ごしてしまいました。むしろ京都に移住する前の40代半ばのほうがつらかった気がします。うまく切り抜けられたのは、京都に住んだおかげだったのかもしれない…と50代に入って数年経った今、すごく思うのです。この連載では、そんなわたしが40代、京都で見つけた「幸せの秘密」を探っていきたいと思います。
実は、20年前にフォスフォラスというレメディを出していただいたあと、「自分に合うレメディをもっと摂りたい」と思い、今度はきちんとお金をお支払いして、何人かのクラシカルホメオパシーのホメオパスに、セッションをしてもらったことがあります。でも、出していただいたレメディがどうもピンと来なかったり、出してもらったレメディの名前を教えてもらえないために不安になったり、どうも相性の合う方とお会いできなかったのでした。
ちなみに、クラシカルホメオパシーというのは、慢性症状の場合は、一度に1種類のレメディしか使わないという、ハーネマン博士が考案した形に近い流派です。エネルギーも、低いものから始め、ゆっくりと高いものに上げていきます。そのため、好転反応もそれほど激烈ではないので、わたしが経験したのは一度きりです。確か2005年の夏に、フォスフォラスの30Cという比較的、エネルギーの低いレメディをいただいたのが最初で、秋にもう少し高い200Cへと進むなかで、一晩だけ高熱が出て、目の前に、古い、モヤモヤした悲しみの感情が浮かんでくる、ということがあったのです。そのときも激烈な感じはなかったので、「早く、大胆にでも取り組みたい」というタイプと、「ゆっくりと自然な形で癒したい」というタイプとで、好む方法も変わるのではないかと思いますね。
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その後、2013年に橋本病由来の甲状腺機能低下症と診断されて、チラージンというお薬を摂っていたことがあります。そのときも、ホメオパスにお願いしてみたのですが、合うものを見つけてはもらえませんでした。それで仕方なく、チラージンを続けていたのですが、わたしの場合、どうも化学物質由来の薬が合わない体質のようです。初めの1年くらいはよかったのですが、3年、4年と経つうちに、だるさが募っていきました。そんな日々のなかで、2018年、「リビングトゥリーオーキッドエッセンス」という蘭のフラワーエッセンスと出合い、セルフケアでたまたま選んだエッセンスを数週間摂ったところ、専門病院の検査で数値が下がり、断薬できることになったのです。その後、蘭のフラワーエッセンスの監修者、ブリト=ババプーレ博士のアドバイスで、甲状腺ホルモンのホメオパシーレメディをいただいたこともあり、のちのち何回か検査はしましたが、数値は安定したまま推移しています。
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もちろん、当時のわたしは、40代でプレ更年期真っ盛り。ホルモンが安定しなかったのは年齢や体調のせいもあるかもしれませんし、断薬できたのも、閉経が近づいたから、ということもあるのかもしれませんが。このあたりの体験は、『星の道を歩き、白魔女になるまで〜わたしの「物語」を見つけると人は癒される〜』(説話社)に詳しいので、ご興味のある方はぜひ読んでみてくださいね(ただ、この本を書いたときは、まだクラシカルホメオパシーの専門コースでは学んでいないので、今となると理解が違っているところもあります)。
→【記事の続き】京都で出合い直したクラシカルホメオパシーの世界 4)野村潤平先生との出会い、はこちらから。
文/Saya
東京生まれ。1994年、早稲田大学卒業後、編集プロダクションや出版社勤務を経て、30代初めに独立。2008年、20代で出会った占星術を活かし、『エル・デジタル』で星占いの連載をスタート。現在は、京都を拠点に執筆と畑、お茶ときものの日々。セラピューティックエナジーキネシオロジー、蘭のフラワーエッセンスのプラクティショナーとしても活動中。著書に『わたしの風に乗る目覚めのレッスン〜風の時代のレジリエンス』(説話社)他。
ホームページ sayanote.com
Instagram @sayastrology
写真/野口さとこ
北海道小樽市生まれ。大学在学中にフジフォトサロン新人賞部門賞を受賞し、個展・グループ展をはじめ、出版、広告撮影などに携わる。ライフワークのひとつである“日本文化・土着における色彩” をテーマとした「地蔵が見た夢」の発表と出版を機に、アートフォトして注目され、ART KYOTOやTOKYO PHOTOなどアートフェアでも公開される。活動拠点である京都を中心にキラク写真教室を主宰。京都芸術大学非常勤講師。
ホームページ satokonoguchi.com
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