ずっと休んでいなかった…。経験者が語る、「軽度のうつ」を経験してわかった自分に必要なこと
『誰でもみんなうつになる 私のプチうつ脱出ガイド』(KADOKAWA)は、イラストレーターでコミックエッセイストのハラユキさんが、2022年に軽度のうつの診断を受けるまでの経緯や、回復の過程が描かれています。経験談だけでなく、精神科医へ取材したメンタルクリニックに関する疑問や、自分でできるケア、家族の対応などの情報も知ることができる一冊です。後編では、ハラユキさんに家族とのコミュニケーションや、うつの経験を通しての気づきについてお話しいただきました。
本を出したら「実は私も……」
——療養中に夫さんの接し方でどんなことが助かりましたか?
うつの人に対してよくないと言われる「頑張れ」と励ましてしまったり、反対に「これがうつにいいらしいよ」と勧めるなどケアしすぎたりすることもなく、淡々としていて夫の生活は変わらなかったものの、作りおきおかずをたくさん作ってくれたりしたのは助かりました。
最初の頃、お祓いに行くなどのスピリチュアルな方法を試していたときがありました。夫は合理的な思考の持ち主で、お祓いには絶対に行かないようなタイプなので、バカにしたり、否定したりするかなと少し構えていたのですが、「行っておいで、最近ユキちゃん暗いから」とあっさりしていて。夫自身はお祓いに効果はあると思っていないものの、「人によって何が効くかは違うから」と言っていました。当時の私の試行錯誤を受け入れてもらえたのは、ありがたかったですね。
——お子さんはハラユキさんが体調が悪いことはわかるご年齢だったと思うのですが、どうやってご説明されたのでしょうか?
この頃、息子はコロナ後遺症に悩まされていたんです。私も最初は不調の原因がわからなかったので「ママも調子悪いんだよね」と話していました。更年期症状だと思っていた頃もあったので、「更年期というものがあってね、年を取ると体調が悪くなることがあるんだよ」という話をしたこともあります。
うつだとわかってからは、「うつ」という言葉は使わずに説明しました。息子に隠し事はしたくないのですが、まだ小学生だったので、理解が難しいだろうと思ったんです。それに誤解されるおそれのある言葉でもあるので、外で「お母さんはうつなんだよね」と話したときに、息子が変に傷つくようなことがあってもイヤだなと思って。回復してからは、本を出す際に、息子も出てくるので「描いてもいい?」という話はしていて、そのときに「うつって病気だったんだよ」という話もしましたし、本も読んでいると思います。
——ご友人には話しましたか?
途中からは「私、うつになったんだよね」と周囲に結構話していて、その後、この本を出したら、「実は私も……」「学生時代にうつになった」など、わんさか反応があって。コロナもあって大変だったし、みんななるってことは、自分が弱いわけでもないし。そうやって反応をたくさんもらえたことは救われました。それに、私だけじゃなくてまさに「誰でもみんなうつになる」だと。誰でもなるのだから、「表明しても恥ずかしいことじゃないよ」というメッセージも込めています。
どうして自分がうつに?という感情
——「この環境でなんでうつに?」と書かれていましたが、「どうして自分がうつになったんだろう」という感情とはどう向き合っていきましたか?
私は、ポジティブとか元気とか、「うつにならなさそう」と言われたこともあったのですが、先生に伺って、原因がはっきりしなくてもうつになることがわかりました。
仕組みがわかっても、ふとしたときに「なんでだろう」と繰り返し考えてしまうことはあります。でも適応障害で休職中のYちゃんが「なんで私が?」と繰り返し思ってしまう、と話していて、頭ではわかっていても、気持ちがついていかないのは当たり前のことなんだなって。
進んだり戻ったりするのも回復過程の一つで、体調の波がありながらも、少しずつ改善していくのがうつの治り方です。感情面でも、自分の状態を受け入れたり拒否したりを繰り返しながら、落ち着いていくのかもしれないと思っています。
ずっと休んでいなかったことに気づいた
——精神疾患になったとき「元気な頃に戻りたい」と考える方は多いと思います。ハラユキさんは治療・回復を経て、どういう感覚でいらっしゃいますか。
つらかったときは、「元気な状態に戻りたい」と思っていました。ただ、起き上がれないくらいしんどい時期があって、諦めて休んでいたときに「こんなに休むの久々だ」って思ったんです。出産して、ワンオペ育児でバタバタして、落ち着いてきたと思ったら、夫が海外転勤になって2年間海外で暮らして、帰国後はすぐコロナ禍に入って、仕事もなんだかんだ忙しい状態が続いていて……ずっと休んでいない自分に気づきました。
最初は「うつになる前の元気な頃に戻りたい」とは思っていたものの、私が元気だと思っていた状態も、きっと疲れていたんだろうって。それが自覚できて、ちゃんと休んで、生活を全部見直して、健康に良さそうなものを全部取り入れて……結果的には、うつになる前より元気になったんです。
実は今年の4月から大学院に行き始めて、政治学研究科でジャーナリズムを学んでいます。元気になりすぎた勢いで受験したので、ちょっと大変になっていますね(笑)。
——すごいですね!どういったお考えで大学院進学を決めたのでしょうか?
うつになって、生活や仕事の悩みを全て棚卸しし、仕事に対するモヤモヤや、私に何が足りていないかを分析したときに、大学院に行って勉強する手があると閃きました。ご縁があって、東洋経済オンラインで社会的なことを描くようになったのですが、元々、政治や社会問題を勉強してきたわけでもないから基本を学びたくて。アメリカには「コミックジャーナリズム」という言葉があることを知って、漫画で社会的なことを描く分野を研究したいと思ったんです。
うつになって、自分の悩みに向き合ったことがきっかけだったので、うつにならなかったら大学院へ行こうと思わなかったかと。大学院を受験する1年前に、社会人大学生になる友人の話を聞いても、他人事として聞いていたくらいでしたから(笑)。
心と身体はつながっている
——自分のメンタルの変化に気づくために意識していることはありますか?
元々ヨガが好きで、産後にヨガ教室に通っていました。一人でできる基本の流れを覚えて、旅先にも必ず携帯のヨガマットを持って行くくらいで。今もなるべく1日に1回、ストレッチの時間を設けるようにしています。そうすると、気持ちの落ちているところが引っ張りあげられる感覚があるんです。
心と身体はつながっていて、身体が滞っていると気持ちも滞る感覚があります。だから心と身体の両方からアクセスするのが大事だと思っていて、ストレスを整理するといった心を整えることも有効ですが、物理的に身体を伸ばしてスッキリすることも大切にしています。
——うつの経験を通してご自身にどんな変化がありましたか?
自分の好き嫌いについて、以前から意識していたものの、よりわかるようになりましたし、私の人生に必要なものも明確に見えました。遊びの要素がなかったり、身体を動かす時間がなかったりすると私は不調になるようです。本書にはうつの回復のためにZUMBAを始めたことを描きましたが、今でも忙しいときには月に1回程度であるものの、続けています。ストレッチも以前からやっていたものの、大切さをより実感しました。
一度大きく落ちる経験をしたので、「これ以上は危険」という感覚が掴めるようにもなりました。作中で、穴に落ちそうな絵を何度か描いたのですが、自分の中の危険信号が見えるようになった感覚です。
「老い」を受け入れられるようにもなりました。弱っていくなかで、メンタルの状態だけでなく、年齢による変化はベースにあったと思います。でも、色々試していくなかで元気になったので、年齢で衰えていく部分はありつつも、やり方によっては元気になることもある。老いによる変化を認めつつも、諦めはしない。両方の意味で受け入れられるようになりました。
不調の原因について、更年期を疑って婦人科も受診したので、結果的には更年期による症状ではなかったものの、今後に備えることができて、更年期への不安が軽減しました。
治ったから言えることではあるものの、うつの経験は私には必要な過程で、向き合ってよかったです。仕事を休んで療養することを「逃げ」だと思う人もいるかもしれませんが、私は自分の心身に対して逃げずに深く向き合いました。これは人生で「うつ」というきっかけがないとできなかったことだと思います。
【プロフィール】
ハラユキ
コミックエッセイスト、イラストレーター。著書に『週末プチ冒険はじめました』(KADOKAWA)、『ほしいのはつかれない家族』(講談社)、『オラ!スペイン旅ごはん』(イーストプレス)など。
2年間のスペイン滞在をきっかけに、海外でも取材活動をスタート。家事育児分担や家族のコミュニケーションをテーマにしたオンライン・コミュニティ「バル・ハラユキ」も主催・運営中。
■X:@yukky_kk
■Instagram:@yukky_kkk
- SHARE:
- X(旧twitter)
- LINE
- noteで書く