「自分に終わりがある」ことが、私たちにもたらすものは【#40代のリアル】
人生の残りの時間にも、使えるエネルギーにも限りがある。40代って、ぼんやりと人生の終わりを意識したり、老後を真剣に考え始めるような年代だと思うのです。でも、ともすると悲観的にとらえてしまいがちな「終わりがある」という事実も、とらえ方によってはより良く生きる力になるはず。今回は、全てにおいて制限のようなものを感じ始めた、成熟した40代の私たちのことを考えていきます。
ゴールがなんとなく見えてきたから
先日、同世代の友達とランチをしていた時のこと。友達の一人が、「これからの人生について考える時間が増えた」という話をしていて、私もその通りだと感じたし、同席していた皆が深くうなずいていました。若い頃は想像も出来なかった老後の自分、または自分の死というものが、40代を過ぎたあたりから現実のこととして考えられるようになってくる。「私たちも随分と成熟したよね!」なんて笑いながら、その日は今後の人生についての会話に花が咲きました。
私は若い頃、「未来には可能性がたくさんあって、まだまだ長いこと続いていく」ということを考えると何となく重たい気分になったり、恐怖にも似た感情を抱くことがありました。終わりがないと感じられるくらい先の人生が長いということは、自由であると同時に、迷い悩みやすいし、道しるべを見つけにくい。それに比べて今は、明らかに可能性が狭まったし、残っている時間も短い。そのことに少し安心している自分がいるのです。人生の土台みたいなものが、築かれてきた証拠なのでしょうか。それとも、ゴールが何となく見えてきた安堵感なのでしょうか。若い頃には想像していなかった、面白い感情です。
終わりを意識するからこそ大切にできる
「終わりがある」ということはもちろん、寂しく切ないことでもあります。でも、年齢を重ね、人生が有限であるという事実を受け入れたことにより、私は日々をより良く生きようとする想いが強くなったと感じています。寂しいとか切ないといった感情よりも、もっと前向きな感情がある。
それは、終わりを意識するからこそ抱くことのできる感情です。今の時間がとても貴重に愛おしく感じるし、大切にしたいと思う。有限な時間やエネルギーを無駄に使いたくないと思うし、周りにいる人たちをたくさん愛したいと思う。そう、若い頃より40代の今の方が、時間の密度も愛情の濃度も高いのです!それって、幸せなことだと思いませんか?
長いように見えていた人生が思ったよりも短いかも知れない・・・そんな想いが、私たちをより真剣に人生に向き合わせてくれているのかも知れません。これはきっと、この年代にならないと分からない感覚なのでしょう。よく「歳をとると涙もろくなる」なんて話を聞きますが、こういう感覚が関係しているのかも知れません。ある地点に到達しないと分からないことがあるというのは、歳を重ねる楽しみの一つでもあるように感じます。
「今終わってもいい」くらい、自分に満足していたい
実際のところ、人生がこの先続いていく保証はどこにもありません。たまたま今日まで生きてこれたけれど、この先のことは誰にも分からない。では、人生も愛情も人間関係も有限であることが色濃く見えてきた今、この先をどのように生きていったらいいのでしょうか。皆さんはどう考えますか?私は、今人生の終わりがきたとしても、十分です!満足です!と言えるくらい日々の自分に満足していたいと考えています。
何かを成し遂げなれていなければいけない、という意味ではありません。どこかに到達して満足したい、という意味でもありません。ただ、毎日を思い残すことなく精一杯生きていきたいし、大切な人をできる限り大切にしたいし、自分のことをちゃんと愛しておきたい。そんな風に自分自身に満足していたいと思うのです。そういった生き方をしていたら、きっと今までよりもっと日々幸せや感謝を感じられる。そんな風に思っています。
AUTHOR
井上敦子
15年間の会社員生活を経てヨガ講師に転身。不眠症をヨガで克服した経験を持つ。リラックスが苦手だった経験から、ヨガニードラを通じてリラックスの本質を伝えるクラスを展開。週に8本のヨガニードラのレギュラークラスを持つ他、指導者養成講座やコラム執筆等ヨガニードラの普及に努めている。
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