「おばさん」のイメージに囚われることなく生きるということ【#40代のリアル】

 「おばさん」のイメージに囚われることなく生きるということ【#40代のリアル】
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井上敦子
井上敦子
2024-01-11

日本語だと「若者」と「シニア」の間の女性を表す言葉が、「おばさん」しかない。先日そんな話を聞いてなるほど!と思いました。40代も後半になり「おばさん年齢」になった私は、自分の年齢を受け入れてはいるものの「おばさん」と呼ばれることがどうもしっくりこない。40代の私たちは、自分をどこの枠に収めて、どのように定義したらよいのでしょうか。

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おばさんという代名詞はもういらないのかも

若くはないけれど、年老いてもいない。自分の立っている場所が宙ぶらりんに感じられ、落ち着かないのは私だけでしょうか?考えてみれば今まで生きてきた過程は、世代によって何かしらの代名詞でくくられてきました。子供、学生、若者…そして若者を卒業した40代の今、私の代名詞は「おばさん」になるのでしょうか。けれどその代名詞は、残念ながらしっくりこないのです。「おばさん」という呼び方に、どうしてもネガティブなイメージを感じられてしまうからかも知れません。

一方でこの宙ぶらりんな状態は、自由を与えてくれている気もしています。代名詞にくくられない、「こうあるべき」に縛られないでいられるといった自由です。20代・30代は、「女性としてこうあるべき」「大人としてこうあるべき」といった価値観に縛られてきた人も多いのではないでしょうか?私たちが育ってきた昭和の時代は、そういった社会的な刷り込みが強い時代でした。思い返してみると私は若い頃、若い女性にしか持てない武器のようなものを持っていると思い上がっていたし、一方では若い女性は従順な方がいいとか、男性をたてるべきだとか、社会から受ける圧のようなものを息苦しく思ってもいました。

時代が変化して、枠にくくるよりもパーソナリティが尊重されるようになったことは、私たち中年世代にも良い影響を与えている気がしています。中年という年齢だからすべきこと・してはいけないことがある訳ではないし、おばさんでいなきゃいけないという圧ももちろんない。くくりのない自分でいることができる自由が許されていると感じられるのです。

自由さと引き換えに大変なことも

しかしながら代名詞がない自分でいるということは、その定義に縛られない自由さと引き換えに、「自分」をしっかりと持っていないとアイデンティティーが崩れやすいという大変さもある気がしています。皆と同じことをしていれば合格点がもらえる訳ではなく、誰かのマネをしたところで自分らしさが見つかる訳でもない。おばさんという言葉に定義されない女性でいるためには、自分を掘り下げ、知り、自分なりに表現していく必要があるかも知れません。

中年女性ってどんな感じで生きていけばいいんだろう?この先どんな風に歳を重ねていったらよいのだろう?そんな疑問への答えについついマニュアルを探してしまうけれど、おそらくマニュアルは存在しないのでしょう。自分のオリジナリティを探り、育てていく。そんな風に自分らしさみたいなものを全開にすることが、唯一のアイデンティティーを保つすべなのかも知れません。

オリジナリティを育てていこう

宙ぶらりんな状態とも思える、中年になって思うこと。それは、おばさんや中年といったイメージに囚われることなく、そして生き方のマニュアルを求めることなく、ただ自分自身をしっかりと生きていきたいということです。この境地に至るまでには、もしかしたら枠に収まる息苦しさや、社会から受ける圧のようなものを経験する必要があったのかも知れません。40代後半になったからこそ、自分というものを深く掘り下げる土台ができた。

そう考えると、もちろん年齢を重ねるごとに失うものもあるけれど、得るものの方がはるかに大きい気がしてきます。おばさんと呼ばれても、呼ばれなくてもどちらでもよい。自分のことを誰かに定義してもらう必要なはい。社会が構えた枠や外側の声に惑わされないくらい、自分を確立していくことに力を注ぎたいと思う最近です。そうやってオリジナリティを育てていくことが、この中年の時期を自分らしく生きていくコツなのではないかと思うのです。

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井上敦子

井上敦子

15年間の会社員生活を経てヨガ講師に転身。不眠症をヨガで克服した経験を持つ。リラックスが苦手だった経験から、ヨガニードラを通じてリラックスの本質を伝えるクラスを展開。週に8本のヨガニードラのレギュラークラスを持つ他、指導者養成講座やコラム執筆等ヨガニードラの普及に努めている。



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