たったひとりの外国人男性が決める「世界で最も美しい顔ランキング」を日本人がありがたがるのはなぜ?
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
毎年、いくつかのニュースサイトでは「世界で最も美しい顔ランキング100」(The 100 most beautiful faces)が記事化され、「日本人が〇人ランクイン!」「日本人の最高ランクは女優の○○」といった見出しが付けられている。
「世界で最も美しい顔ランキング100」の主催者は、TC Candlerを名乗るアメリカ人男性だ。つまり、ひとりのアメリカ人男性が自分の好みの顔を毎年ランキング形式で発表しているに過ぎない。それを、日本では毎年ニュースとして配信している。
たとえば、「となりの家の山田五郎くんは毎年、世界中の女性を対象に、美人の1位から100位を決めてるらしい」と聞いたとして、「え!?ぜひそのランキングを見たい!日本人は何人入ってる?」と興味を持つ人は少ないはず。せいぜい「山田五郎、暇だなー」と思うのが関の山ではないかと思う。
それにも関わらず、ひとりの外国人男性が決める「美しい顔ランキング」をなぜ日本人記者は繰り返しニュースにするのだろうか。ひとつには、「世界で最も美しい顔ランキング100」を勘違いしている人の存在が考えられる。アメリカの雑誌が開催していて、投票によって決められており、なんらかの権威ある賞だ、とか?もしくは「アメリカ人に認められた日本の美人は誰か」に興味があるのだろうか。
記事化する側からすると「ひとりのアメリカ人男性が決めている賞」だけど、「ページビューが稼げるから載せよう」と安易に考えている可能性の方が高い。ナゼか、は明確でなくとも、人の容姿をランキング付けしたい、ランキングを見たい、という欲望は間違いなく存在している。
中学二年生女子が翻弄される『かわいい子ランキング』
ブリジット・ヤング著『かわいい子ランキング』(ほるぷ出版 三辺律子訳)は、容姿のランキング付けが招いた騒動を描いたヤングアダルト小説だ。
主人公のイヴは、中学2年生。詩を書くのが好きなおとなしく目立たない少女だったが、誰が書いたのかわからない「学年のかわいい子ランキング1位~50位」が発表されたことで、生活が一変する。なんと、イヴは1位にランク付けされていたのだ。
イヴを含めたクラスメートたちは、ランキングに翻弄される。常に外見を磨き、成績もよく、運動も得意な女王様タイプのソフィーは2位にランクインし、1位でないことが許せない。自信満々だったララはランキング圏外だったこと気に病み、転校まで考え始める。イヴの親友でミュージカルの才能があり、ふくよかな体形のネッサはランキング圏外だが、「自分みたいな体型の子はランキングには載らない」と言い、イヴを戸惑わせる。
イヴの父は娘がナンバー1だったことを喜ぶが、高校生の兄は「誰かがイヴのことをただの物として扱ったってことなんだ。イヴをランク付けしたんだ、ゲームのランキングみたいに」と静かに怒る。
学校や保護者はすぐにランキングを問題視し、これは重大なハラスメントであり、「1位だろうが10位だろうが褒められているわけではない」と少女たちを諭す。
イヴにとって「めっちゃきれい」と値踏みされるのは最低の気分だったし、注目されるのも嫌だった。1位になったことで、スマホに求愛やセクハラのメッセージが届くようにもなった。そのため、イヴはこのランキングを作った犯人を突き止め、いち早く騒動を収束させることを望むようになる。ランキングを作った犯人を突き止めたいという気持ちが合致したソフィーと共に行動するなかで、相容れないと思っていたソフィーとの友情を深めていく。気取っているだけに見えたソフィーは、努力家で、知的で、妹思いの頑張り屋さんだった。イヴは気が付く。自分は、着飾ることばかりに夢中になっているように見えたソフィ―を外見で判断し、誤解していたことに。
『かわいい子ランキング』は、少女の視点からルッキズム(外見至上主義・外見に基づく差別)を描き、少女たちの連帯によってルッキズムを打破しようと試みる、シスターフッド小説だ。
「外見を褒めること」に対する日本社会と国際社会のコンセンサスの違い
『かわいい子ランキング』で印象的だったのは、ランキングが出回るや否や学校が即問題視し、ハラスメントとして対処したシーンだ。容姿に言及し、ランキングをつけることがハラスメントにあたるというコンセンサスが、この学校にはあった。
日本社会には「他人の容姿にランキングをつけることがハラスメントである」という認識はあるだろうか。「容姿が悪い女性ランキング」ではなく、「容姿が良い女性ランキング」なら問題ない、と考えている人も多いように思える。
「容姿についてディスるのはNGだけど、褒めるのならOK」と考えている日本人は多いのだな、と痛感したのは、2017年の国際会議での稲田朋美の発言を目にしたときだ。稲田は自分を含めた各国の女性大臣3人に対して、「見たらわかる通り、私たちには共通点があります。三人とも女性で、同世代、そしてグッドルッキングです」と発言し、場を凍らせていた。日本人しかいない場所なら、好ましい笑いを得られていたはずなのだが。
言うまでもなく、大臣としての資質と外見はまったく関係がない。職場で容姿に言及すること自体不適切であり、無礼であり、敬意を欠いているというのは国際社会の常識であるが、日本の常識ではなかった。国際社会の人権感覚を日本の政治家は備えていないということを、稲田はあの一言で世界に示すことになったのだ。
あれから6年の年月が経ち、日本の常識は変わってきているのだろうか? 2020年には、モデルで俳優の水原希子が、美しい顔ランキングが美のステレオタイプを助長しているとし、「2020年にこんなことやってるなんて狂ってる。美の基準なんて人それぞれだし、これ本当おかしい」と苦言を呈しており、時代の空気は変わってきているようにも感じる。
しかし2022年末、「2022年版 世界で最も美しい顔ランキング100」はしっかり記事化され、いつも通りニュースになっていた。また、TC Candlerは2013年から男性版の容姿ランキングである「世界で最もハンサムな顔ランキング100」(The 100 most handsome faces)を発表するようになった。こちらも、日本人がランクインした際は記事になり、ニュースになっている。容姿をジャッジされ、ランク付けされる流れは、男性も無関係ではいられないようだ。
「キレイな顔ランキング100?TC Candler、暇だなー」と、ランキングが見向きもされなくなる日は来るのだろうか? そんな日の到来を望むのなら、とりあえず容姿をランク付けする記事をクリックするのは控えた方がよさそうだ。
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