【知的障がい児への性教育をどう考える?】具体的な声かけや考え方を専門家に聞いた
昨今、性に関するタブー視は減少し、真面目に向き合う社会風潮が強くなっているように感じます。では「障がい者の性」はどうでしょう。性被害・加害といった狭い文脈のみで見ていないでしょうか。現在、筑波大学大学院博士後期課程にて「知的障害児・者の『性の権利』尊重のための教育および支援に関する研究」を行う門下祐子さんは、13年間特別支援学校に勤務し、知的障がい児に性教育を行った経験があります。門下さんに障がい児への性教育について話を伺いました。
リスク予防に偏る傾向がある「障がい児への性教育」
——障がいの有無によって性教育の内容や教え方に違いはありますか。
基本的に障がいの有無を問わず取り扱う内容は同様で、目指すべき方向も同じだと思います。ただ、性教育に限らず障がいのある人たちにとって、それぞれにわかりやすい方法でアプローチする、その方法が多様であることが大きな違いです。
まず「性教育」と聞くと、月経・精通・妊娠・出産などの学習といったイメージがあるかと思いますが、世界的な性教育のスタンダードとされている「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」では、性教育を人権やジェンダー平等という枠組みで再認識し、多様性を尊重する包括的な人権教育として示されています。つまり、障がいのある人も「性」について自己決定していくための知識やスキルを学びを通して身につけていくことになります。
ただし、私が行った調査結果から、知的障がい児に実際に行われている性教育の目的や扱う内容、頻度には特徴も見られます。「知的障がい者向けの性教育」として捉えた場合、教える側に「障がいの特性から状況判断が難しい」と想定がありますよね。だからどうしてもリスク予防の観点が強くなってしまいがちです。
具体的には、知的障害特別支援学校高等部の教員対象に性教育の実態調査を行ったところ、「性被害・加害防止と性行動抑止」や「人権尊重」を目的に性教育に取り組んでいました。一方でトラブルを未然に防ぐために、日常生活で男女交際ルールが存在し、交際を禁止したりキスやセックス、異性と二人きりになることを抑止したりするような動きも一部で見られました。
一般の高校と比較しても、特別支援学校に通う知的障がいのある生徒はセックスや避妊等について学ぶ機会が乏しい中で、行為を禁止される傾向が見られています。
私たち一人ひとりが障がいの有無を問わず、権利主体です。その点で「何のための性教育か」を改めて確認する必要があると思います。「豊かな人生を生きるための性教育」と「性に関するトラブルを防止するための性教育」では、方向性や与える情報が違ってきますよね。当然、障がいのある子にも、それぞれの幸せや心地良さ(以下、プレジャー)を追求する権利があるのですが、リスクマネジメントが優先され、そういったアプローチは見落とされがちです。
——確かに「障がい者と性」というテーマでは性被害・加害やトラブル防止などをイメージしがちでした。
性教育と同じで「性」も社会で狭義的なものとして捉えられていますよね。「性」という単語からは月経や精通、妊娠、マスターベーション、性暴力の被害・加害といったキーワードを思い浮かべる人が多いかもしれません。しかし「性」は生物学的なことだけでなく、社会的・文化的な「性」、それにともなう人間関係なども含まれます。とは言え、多くの大人が「性の権利」や「性を楽しむ」という視点で教わっていないので、「性」を狭く捉えてしまうのはやむを得ないとも思います。
「性器を触る=ダメ」ではなく、背景を考えてみよう
——狭義の「性」の範囲でもネット上では様々な悩みを見かけます。たとえば障がいの有無に関係なく小児自慰をする子がいるという話を聞きますが、親御さんが障がいゆえのものだと思って動揺することもあるようです。障がい児の小児自慰はどう捉えて、どう子どもに接すればいいのでしょうか。
おっしゃる通り、小児自慰は障がい特有のものではありません。大人は「性器を触っている=ダメなこと」として「やめなさい」と言ってしまいがちですよね。まず、なぜ性器をタッチするかという視点で考えてみていただけると良いと思います。触っている理由は、必ずしも性的な興奮によるものとは限らず、「暇でなんとなく」とか、「かゆい」とか「下着のサイズが合っていない」とか、「緊張や不安を感じていて触ると安心する」など様々です。
自慰は「セルフプレジャー」と言うこともあり、自分の身体を自分で心地良くするといった意味が込められています。プライベートな空間でセルフプレジャーをする権利は誰にもあるので、単にやめさせるのではなく、その権利をどう保障していくかという視点は持っていただきたいですね。例えば「人前ではなくて、自分一人のときにきれいな手で触ろうね」と伝える方法があります。
禁止表現が多くなることでの弊害もあります。例えば、おしっこをするときに性器を持てない知的障がいの男の子は珍しくないんです。その背景には「汚いから触っちゃダメ」と言われていて、どんなときでも触っちゃダメだと解釈して、トイレやお風呂のときにも触れなくなってしまう子もいます。
でも性器を持って用を足さなければ、ズボンやトイレを汚してしまいます。それで成人になっても困っている声も聞くことも。そのような背景もあり、性器をきちんと洗うとか、自分の体のことを知り、何かおかしいと思ったら相談できるようになるとか、「禁止ではなく大事にする」といった視点で教えることが必要だと思っています。
——重度の知的障がいのように、言葉で伝えることがなかなか難しい特性の場合、どのように伝える方法がありますか。
私がいた学校では、年間約10回程度、授業で性教育を実施し、日常生活の中でもリンクさせるという二本立てで行っていました。伝え方としては絵本やイラスト、動画を使ったり、歌にして教えたりと、一人ひとりが理解しやすい形で教員がそれぞれにカスタマイズします。日常生活とリンクさせるというのは、たとえばトイレ指導のタイミングで「大事なところだから大切に扱おうね。きれいにしておこうね」といった声かけができます。一度授業をしたら理解できるというものでもないので、一人ひとりに応じた多様な方法で、日々繰り返し伝えることが大切ですね。
——「家庭での性教育」にハードルを感じている声を聞くことがあるのですが、門下さんがいらした学校ではどのような連携をされていましたか。
私がいた特別支援学校では伝統的に性教育をしていました。小・中・高等部があって寄宿舎もあるような大きな学校だったのですが、小学部から障がいの程度は問わず、全ての児童生徒に対し、一部の教員が行うのではなく全職員で性教育を行っていました。
保護者との連携という点では、性教育通信を作って全校配布をしていました。通信は小・中・高等部でそれぞれどんな内容を学んでいるか、授業の様子の写真と一緒に掲載し、同じものを全校の保護者に配布します。なので、小学部の段階でも中・高でどんな内容を学ぶかを知ることができ、見通しが持てる仕組みができていました。
「ご家庭にお願いしたいこと」の欄も作って「こんなアプローチを学校で行ったのでご家庭でもやってみてください」とか「こんな話をしてみてはどうでしょうか?」など、具体的に家庭でできる性教育を伝えていましたね。
性教育によって子どもも保護者も相談しやすくなった
——性教育を通じて児童生徒の変化が見られた経験はありますか。
相談ができるようになりました。性教育という人権教育がベースにある学校で、普段の関わりから、大人の中には信頼して相談できる人がいると児童生徒に伝わっているので、性に関することだけでなく色々なことを気軽に相談できる雰囲気がありました。
もちろん交際禁止ルールはなく、自由に恋愛もするので、ちょっとしたトラブルが起きることはあったものの、相談してくれたり、伝える機会が持てたりしたので、大きな問題に発展する前に大人が気づけるんです。生徒が困難に直面しつつも課題解決していくためのプロセスを大人も一緒に学べました。授業で学んだことが自分に当てはまることだと気づいて、ワークシートを母親に見せて話したと教えてくれた子もいましたね。
保護者にとっても、性教育の話を日頃からしているので、学級懇談や連絡帳でも気軽に学校に相談しやすいというお声をいただいたこともありました。クレームが入ったことは一度もなかったですね。
——性別問わず性暴力被害を受けた場合、周囲の大人が気づくのが難しいという問題があります。注意した方がよいポイントはございますか。
「いつもと違うかも」といった気づきを大切にし、子どもが発するサインを見逃さないことです。言葉で相談できなくても、信頼できる相手や伝えてもいいと思っている相手には、何かしら不調を訴えるサインを出すことがあります。
たとえば日頃からパニックになったときにも、「この音が嫌だったのかな」、「この声かけがまずかったのかな」と大人は理由を考えます。その際に複数ある要因の一つとして性的なことを想定しておくと、見落とすリスクを減らせると思います。一人の子を見る大人は複数いるので、複数の視点から情報を集めることも大事です。
また、同性間での被害が想定されにくい点は要注意です。男の子同士のズボン下ろしのようにふざけているように見えても、された側が傷ついていることがあります。そのような行為が更衣室など見えにくい場で行われることも。障がいがあっても同性間での性暴力が起きることを大人が想定しておくことも重要です。
「障がいのある本人はどう思っている?」の視点
——「他人に迷惑をかけてはいけない」と、障がいのある思春期以降の息子が犯罪をしないために、あるいは息子がかわいそうだからと、母親である自分が息子の性処理をするか、性の相手にならなければならないのか?と思いつめている方もいるようです。
社会構造の問題が潜んでいますよね。未だに家事や育児、介護などのケア労働が母親に偏っている現状があるので、「自分が何とかしなきゃ」と思ってしまうのかもしれません。
「障がい児の性欲処理は母親がすべきだ」とするのは、息子さんもお母さんも双方の権利が尊重されていない状態だと思います。息子さんが言葉で伝えられない状態でしたら、「本人の意思はどうなのか」という視点を持っていただきたいです。
性的な好奇心が見られたとしても、実際に性的な接触をしたいと思っているかは別ですし、マスターベーションの仕方が確立できればプレジャーを保障できるかもしれません。また本人の視点から考えたときに、母親からの行為を望んでいるのでしょうか?加えて、「障がい児=シスジェンダー(生まれたときに割り当てられた性と性自認が一致している)の異性愛者」を前提に話が進められることも多いですし、その他にも周囲が勝手にその人のことを決めつけてしまっていることへの懸念もあります。
とは言え、母親が一人で思い詰めてしまう背景に思いを馳せると、例えば公共の場で子どもが大きな声を出したり、頭を叩くなどの自傷行為をしたりすれば冷たい目で見られたり、ひどい場合には「しつけが足りない」と説教されることもある。そうやって常に周囲からの圧力を感じ、「迷惑をかけてはいけない」と張り詰める中で、息子さんの「性」について考えると「誰かに加害してしまわないように」あるいは「問題視されないように」と思い詰めてしまうのかもしれません。
以前、保護者の方から「子どもが通っている学校は、性教育をやっていないし、気軽に性に関する相談はできない」と聞いたことがあります。最近は性教育に関する書籍やセミナーがありますが、ある程度ゆとりがないと自分で情報を探し出すのも、本を読む時間やセミナーに参加する時間を確保するのも難しいと思います。したがって、決して保護者の責任ではなく、気軽に子どもの「性」について話をしたり、相談できたりする場が少ないなど、社会的な課題だと思います。
——一人での入浴が難しい場合、子どもが大きくなっても親が一緒に入ることも珍しくないようですが、異性親が一緒に入るのは避けたほうがいいのでしょうか。
これも本来であれば、「本人がどうしたいか」という視点を持っていただきたいです。言葉で伝えるのが難しい場合でも、本当は一人で入りたいと思っているかもしれません。
ただ現実的に身体的な障がいや重度の知的障がいがあることで、入浴介助が必要だったりします。基本的には同性が介助することが望ましいでしょう。
しかし、ひとり親家庭など事情によってはそうできないこともあります。その場合、入浴の中で必要な場面だけ、衣服を着て介助をする方法があります。実際に重度の知的障がいを伴う自閉症の息子さんを育てるシングルマザーの方が「遅くとも性の目覚めは必ずあると思ったから、中学生の時からそうしていた」とおっしゃっていました。
——様々なことにおいて「障がい者本人はどう思っている?」の視点が抜けてしまっていたことに気づかされました。知的障がい者は発達がゆっくりであることから、過度に子ども扱いされていることもあるように思います。
実際に接していると、本人は甘んじて子どもの役割をしたり、親の期待に合わせて行動したりしていても、実は「一人暮らしがしたい」とか、「パートナーと同棲したい」とか、そういった思いを聞かせてくれることもあるんですよ。実際に一人暮らしをしたり、同棲や結婚をしたり、子育てしている人ももちろんいます。
「障がい者」と決してひとくくりにできるものではなく、一人ひとりが見ている景色も考えていることも異なります。それぞれに「自分はこうしたい」という意思があり、紆余曲折ありながらもそれぞれの人生を生きているのです。
※後編ではきょうだい児の性被害、社会の偏見、インクルーシブ教育などについて伺っています。
【プロフィール】
門下祐子(かどした・ゆうこ)
筑波大学大学院人間総合科学学術院博士後期課程。東洋大学福祉社会開発研究センター客員研究員。津田塾大学非常勤講師。2022年度津田塾大学「優良教育賞」受賞。一般社団法人“人間と性”教育研究協議会幹事。一般社団法人スローコミュニケーションで賛助会員向けのコラムを連載中。知的障がいのある本人にもわかりやすい「性」に関する書籍を近日刊行予定。
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