当事者の弁護士が語る【障がい者の「きょうだい」】が持つ人権と、社会に見過ごされてきた生きづらさ

 当事者の弁護士が語る【障がい者の「きょうだい」】が持つ人権と、社会に見過ごされてきた生きづらさ
AdobeStock

最近、家族のケア役割を担う子どもである「ヤングケアラー」の存在が取り上げられ、社会問題の一つとして知られてきています。障がい児者のきょうだいもケア役割を担ったり、障がいがない分頑張ることを期待されたり、将来に不安を抱えたりと生きづらさを抱えることが珍しくありません。今回は障がい者のきょうだいであり、弁護士の藤木和子さんに「障がい児者のきょうだいの生きづらさ」や、弁護士として伝えたいことについて伺いました。

広告

障がい児者のきょうだいは、ジロジロ見られる・軽い気持ちで悪口を言われるなどの差別を受けたり、「障がいのある子の分も頑張って」などプレッシャーをかけられたり、進路や結婚、親亡き後について「地元を出てはいけないのでは」「将来、結婚できないかも」「同居して面倒をみるべき?」と悩んだりと、様々なつらさ・悩みに直面しています。

さらにこれらの悩みを抱えていることに気が付いてもらえないことや、理解してもらえないことで生きづらさを感じています。

『「障害」ある人の「きょうだい」としての私』(岩波書店)著者の藤木和子弁護士は聴覚障がいの弟がいる「きょうだい」です。藤木弁護士に「きょうだい」としてのご自身の経験や、きょうだいの人権について話を伺いました。

※以下、本記事では障がいのあるきょうだいのことを「きょうだい児者」と記します。

聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会
聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会(藤木和子弁護士より提供)

今でも「家族は仲良くすべき」という考えに捉われている

——藤木弁護士はどのようなつらさや悩みを抱えてきたのでしょうか。

私自身の経験としては、親からのプレッシャーがある一方で、両親や周囲の大人の様子から「本来なら跡継ぎは長男」という空気を感じていたので、長男である弟が受けるべき期待を奪ってしまった感覚がありました。

また、周囲から理解を得られないことや、進路や結婚でも悩みました。今でも親からの期待に応えられなかったという痛みはあります。

——お父様も弁護士とのことで、ご自身も弁護士になっていますが、それでも親の期待に応えられなかった感覚というのはどのようなものでしょうか。

父は地元で法律事務所を開いて、地域のお客様の法律問題を解決している、一般的にイメージされる弁護士の仕事をしています。一方で私は大学で教えたり、きょうだいの活動をしたり、優生保護法被害の裁判に関わったりと、父とは異なる働き方をしています。もちろん人には向き・不向きもありますし、父と私は別の人間ですので、割り切りも必要だと思います。ですが、父の知人から「お父さんかわいそう」と言われると、親不孝なのかなと考えてしまいますね。

一方で、父は社会問題的な仕事を一切行っていなくて、私は天邪鬼なところがあるので、父が今の私のような活動をしていたら、恐らく今のような仕事や活動をしていなかったと思います。結果的には良いところに着地したとは感じています。

——どういう選択をしていたら負い目を感じなかったと思いますか。

地元に夫を連れてきて、夫も弁護士なので一緒に事務所を継いで、子どもも産んで、弟も近くで一緒に暮らすといった形ですかね(笑)。私自身「家族は仲良くすべき」という考えに捉われている部分があると思います。きょうだい児者でも「実家の敷地に二世帯住宅を建てて、親ときょうだいと仲良く暮らしています」という人もいて、そういう話を聞くと申し訳なく感じてしまうんです。それは自分で勝手に「こうあるべき」という物差しを決めてしまっているだけでもあるのですが。でもこういった部分で引け目や申し訳なさを感じてしまうのも「きょうだい児者あるある」だと思うので、「そんなふうに思わなくていい」というのを自分にも言い聞かせているところでもあります。

——きょうだい児者の中でもSODA(Siblings Of Deaf Adult/Children:聞こえないきょうだいがいるきょうだいのこと)が直面しやすいと感じる壁やつらさはありますか。

私は音楽に関して苦手傾向があります。弟と一緒に楽しめないのと、弟への申し訳なさもあって「音楽を楽しんではいけない」という感覚がありました。ですので、学校では、歌番組などの音楽の話題にはあまり付いていけませんでした。でも、弟と一緒に視覚情報だけで楽しめるマンガやゲームだけで十分楽しかったですし、満足していました。

ただ、最近SODAの子どもたちと話すと、歌やブラスバンドなど音楽関連の活動に取り組んでいる子も珍しくなく、一人の人間として自由な選択ができていることは応援したいです。

もう一点、親は聞こえないきょうだいが大人になっても子ども扱いしがちで、情報共有や役割分担が不平等という話はよく聞きます。親の介護の話をしていて、聞こえないきょうだいが他人事だったり、父親が夜中に倒れた際に、母親が聞こえないきょうだいには連絡しなかったり。その理由が「あの子に話したらかわいそうだし、明日も仕事があるから」とSODAに告げられた話を聞いたことがあります。じゃあ、私は何なの?って感じてしまって当然だと思います。

耳
AdobeStock

——書籍には<他の障害のある人のきょうだいから「聞こえないという障害は軽いよね」等もよく言われます>と書かれています。私自身は知的+発達障がいの弟がいますが、つらさや大変さは比較するものではないですし、他者がジャッジするものではないと思っています。藤木弁護士自身はこういったことを言われたとき、どのように感じましたか。

前提としてお伝えしたいのは、この部分は何かを打ち明けるつもりでなく、ただ事実として書きました。ただ、本音を言えば傷ついていて、きょうだい児者同士で話すときに「私は聴覚障がい者のきょうだいで、皆さんより大変でなくてごめんなさい」と最初から防衛線を引いてしまう部分があります。そういった私を見て「きょうだいの障がいの種類関係なくやっていこうよ」と言ってくれる人もいます。

ただ、逆の立場だったら言いたくなってしまう気持ちもわかるんですよね。私も、自分の過去を引き合いに出し、交際相手に「あなたはいいよね」と相手の苦労を軽視した発言をしてしまった経験があります。言われた方は傷付きますよね……。それがきっかけで相手から連絡がしばらくもらえなくなりました。相手がいい人だったので、最後は互いに笑顔と感謝で関係を解消することができたのですが、反省しています。

子どもの頃から、誰から何を言われても笑顔でサンドバックのように吸収して我慢して、できるだけその人とも仲良く友好的でいたい、それが自分自身を守ることだと思っていました。それを他者にも無意識に求めてしまっていたのかもしれません。でも、「嫌なことは我慢せず嫌だって言っていい!言おう!」が本のコンセプトですし、お互いに相性や時期が悪い場合もあります。だから、まずは自分から実践しようと、今年は「無理に仲良くしようとしない」を目標に掲げています!

——きょうだい児者同士でコミュニケーションをとる際に大切にした方がいいと思うことはありますか。

きょうだい会など複数人が集まる場合には、プライバシーを守る・他者の話を否定しない・他者の悩みの重さを比較しない・良し悪しの価値観を押し付けないなどのルールを設けることがあります。基本的にはみなさん同じ立場で、悪気や傷つける意図はないと思いますが、安心して話せる空間づくりは必要だと思います。

課題や支援の必要性を明確にするために、つらさや大変さそのものではなく、経験を比較することで可視化される部分はあるので、お互い配慮しながら意見交換ができるといいですよね。

きょうだい児者にも「幸福追求権」「自己決定権」がある

——「親亡き後」について不安に感じているきょうだい児者は多いと思います。

法律上は、民法877条で「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養する義務がある」との記載がありますが、きょうだいが面倒を見る義務は実際にはありません。どういうことかというと、親の未成年の子どもへの扶養義務や、配偶者の扶養義務は、自分と同じ生活レベルを保障する重い扶養義務ですが、親と成人した子どもや、きょうだい同士の扶養義務とは「余力がある限度で援助すればよい」という義務にとどまります。

「余力があればする義務」というのは、実際には、支援するかしないかは、結局は個人の選択の問題になります。義務として強制的に、同居しなさい、生活費を援助しなさいということにはなりません。事実、障がいのある当事者が障害年金や生活保護、福祉サービスなど社会からの支援を受けてきょうだい児者とは別々に暮らしているケースはたくさんあります。障がいの有無にかかわらず、自分のきょうだいが生活保護を受けているという人も多いです。憲法に「生存権」がありますし、法律で定められている制度を利用しているだけですから、きょうだい児者が痛みや罪悪感を覚える必要はないと思います。

——弁護士としてきょうだい児者に伝えたいことはありますか。

誰もが一人の人間として「自分が望む幸せ」を基準に、自分が誰とどこでどう生きていきたいかを、選択や決断していく自由・権利があります。これを憲法では「幸福追求権」「自己決定権」と言います。これは障がいの有無にかかわらず全ての人にある権利です。

自己決定権や幸福追求権は、権利であるにもかかわらず、行使することの負担が大きいと感じることがあります。人によっては痛みが生じることがありますし、他の人の幸福追求権と衝突し、話し合いが必要になることもあると思います。自己決定権や幸福追求権は守られることが難しいからこそ、権利としての保障が必要なわけですね。

また、自己決定権や幸福追求権を知っていても主張できなくて悩んでいる人もいます。例えば社会人なので実家を出て一人暮らしをしたいと思っていても「親から反対されてできません」という悩みを聞いたこともあります。

今の社会では「家族で協力し合うべき」「きょうだい助け合うべき」という風潮が強く、地元を出て働く・一人暮らしをする・結婚するといった、本来自由に選択しても良い行動をとることによって「冷たい人間」というレッテルを貼られる、まるで踏み絵のようになっている部分があると思います。

踏み絵になってしまう社会構造を変えるべきですが、社会が変わるのには時間がかかります。ですので、自分が納得できる乗り切り方をしていく必要もあると思います。あなたの選択に対して、あなたの人間性を否定してくるような人がいたら、それはただの無責任な発言ですので、言われるだけで傷つきますが、真に受けないでほしいとも思います。

きょうだい児者には自分のことを後回しにしてしまう人も珍しくなく、「一ケ月に一度の外食を楽しみに生きているのですが、それも我慢して弟の生活費を支援しないといけないのでしょうか」と相談されたこともあります。もちろん、我慢する必要はありません。自分で稼いだお金は、税金など以外は自分の自由であることが基本です。ただ、私自身も「障がいのない自分が、自分のことを第一に考えたり、楽しいことをしたりするのはズルい」という考えに捉われている側面があります。

一方で自分のことを一番に考えられるのは自分だけだと思うんですよね。きょうだい児者の場合、「自分の希望や選択を優先すること」と「冷たい人間というレッテルを貼られる」ことが表裏一体で、自分ファーストで考えることには勇気が必要ですが、自分を犠牲にしない・自分を守るという意味でも、自分の意思や選択は大切にしてほしいです。障がいのある当事者ときょうだいは対等であり、互いに負担や犠牲となることは、双方にとって望ましくありません。

なお、心から望んで障がいのあるきょうだいと一緒に暮らしたい人もいます。私が言いたいのは、何を選択するかという内容ではなく、(きょうだいに限らず、障がいのある当事者も親も誰もがですが)どのような選択をしても否定されず、自分の意思や選択を尊重されることが大事だということです。

セルフコンパッション
AdobeStock

——藤木弁護士はどのようなきっかけで自分の意思や選択を大切にしていけるようになりましたか。

きょうだい児者同士の交流を始め、「自分は自分」という考え方の人に多く出会えたことです。Twitterでのきょうだい児者同士での交流も考え方に影響を受けました。

きょうだい会で知り合ったインドでヨガの修行をしてきた友人からは、ヨガのレッスンをしてもらいながら色々な話をしました。彼女からは「人と比べなくていい」「自分のペースでいい」「親に全てをわかってもらおうとせず、きょうだい会で話せればいい」といったことを言ってもらって、心が軽くなりました。

きょうだい同士だけでなく、社会全体でのサポートも「助け合い」

——書籍では「助け合い」についても書かれていました。

私の場合、大人になってから弟に「きょうだいからの善意は嬉しいけれども、どう返せばよいのか悩むので、ときどき助けてとか、協力してとか言ってもらえると安心する」と言われたことがあります。

ただ、特にコミュニケーションにハードルのある障がいの場合、世間一般でイメージされるきょうだい同士の「助け合い」を行うのは、向こうが私に何をしてくれるの?と難しい部分もあると思います。「きょうだいの存在だけで元気をもらっている」と話すきょうだい児者がいる一方で、様々な家庭環境や背景、個々の感受性もあるので、そう思えない人もいます。

きょうだい同士は選択したわけでなく、たまたま親を同じくしたという偶然の関係です。助け合えたら素敵ではありますが、友人のように自分で選んで築いた人間関係ではないので、一対一で助け合えると感じられることは「運が良い」くらいの感覚でいいと思います。障がいのあるきょうだい側からしても「きょうだい同士の助け合い」を周囲から強要されることの困惑もあると思うんです。

「助け合い」とは一対一の関係に限らず、社会全体での助け合いや、困っているときに助けてもらえることが重要です。きょうだい児者が巡り巡って、周囲の人や社会からサポートを得られる環境を整えていく必要があると考えています。

——「社会全体での助け合い」の視点が少ないからか、周囲の大人が「きょうだいの存在から得たものは?」「障がいのあるきょうだいがいるからしっかりしている」などと、一対一の関係性で得たものを作ろうとする圧力を感じることがあります。

私自身も周囲の大人から無邪気に「いつか弟が助けてくれるよ」と言われて、「何を根拠に言ってるのだろう」と思ったことがあります(笑)

一人ひとり環境も背景も違うので、周囲からは見えていない苦しい状況があるかもしれません。励ましのつもりでも根拠のない安易な話は逆効果ですのでしないでほしいと思います。下記でご紹介させていただくようなきょうだいの会やサイトがあるらしいから関心があれば見てみたら?くらいが十分かつ適切だと思います。

確かに障がいのあるきょうだいがいたからこそ気が付いたことやできた経験もあります。けれども、他者とは違う苦境の中で努力して得たものは最初から欲しかったわけではなく、「転んでもただでは起きない」精神で生きてきただけです。自発的に語るのはいいのですが、他者から「良いこともあったでしょ?」と問われることには違和感があります。

——表紙の「私のことは誰が助けてくれる?」というフレーズも印象的でした。

誰かを責めたいわけではないので、最初は強すぎるかなと思って、少しマイルドに「私のことも助けてよ」にしようかと悩みました。「親や障がいのあるきょうだいに比べたら大変じゃないでしょう」とバッシングを受けるのも怖くて。ですが、今は「きょうだい児者もつらい経験をしています」と言うこと自体が言いにくい状態で、少し強くてもそれを伝えることにこの本の価値があると思い、字も大きくしていただきました。「このフレーズは自分の気持ちを代弁してくれている」という感想を複数人からいただいていて、ほっとしています。

きょうだい児者も一人ひとり違う人間

——周囲の人がきょうだい児者と接するときに気を付けたほうがいいことはありますか。

してほしいことの前に「しないでほしいこと」を知っていただきたいなと思います。例えば、先ほどもお話ししたように「根拠のないことを言わない」もですし、勇気をふりしぼってSOSを出したきょうだい児者に「そんなことを言ってはいけない」と叱ること、「親や障がいのあるきょうだいのことを理解してあげて」と諭すことは「傷ついた」、「もう相談したくなくなった」という体験談をよく聞きます。

また良かれと思って言った「ありがとう」「偉い」などの言葉によって、不満や我慢を何も言えなくなってしまう心理があることは知っていただきたいです。

そして、きょうだい児者の存在がもっと知られてほしい一方で、「障がい児者のきょうだいとはこういう人」と決めつける見方は控えていただきたいです。人によって嬉しいこともされて嫌なことも異なりますので、目の前のきょうだい児者の声に耳を傾けていただければと思います。

——課題に感じていることはありますか。

きょうだい児者に情報が十分に行き渡ってないことです。「交際相手にきょうだいの障がいについてどう打ち明けるか悩んでいます」と相談されたことは数十回以上あるのですが、参考サイトのURLを送ると「知りませんでした」と返事が返ってきます。結婚に関しては、私も話している動画がYouTubeで公開されているので、参考にしていただきたいです。

1963年に設立された「全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会」、2018年には私も運営に関わっている「シブコト障害者のきょうだいのためのサイト」、オンラインできょうだい同士の語り合いの場が設けられてるなど、情報を得る場や交流する場は複数あるのですが、知られていないことを課題と感じています。

生きづらさを感じつつも、大人になるまで「きょうだい児者」という概念を知らなかったと話す人も少なくありません。SOSを待っているだけでなく、アウトリーチ的なアプローチも必要だと考えます。

また、多くは当事者間での語り合いの場で止まっていて、正確な情報や福祉サービス、カウンセリングなどに繋がるには自分で行政や団体などに問い合わせをする必要があります。SOSを適切に受け止めてもらえる、安心して助けを求められる社会になるよう、きょうだい児者の支援にも目を向けてほしいです。

『「障害」ある人の「きょうだい」としての私』(岩波書店)
『「障害」ある人の「きょうだい」としての私』(岩波書店)より

【プロフィール】 

藤木和子弁護士プロフィール写真
藤木和子弁護士より提供

藤木和子(ふじき・かずこ)

弁護士。聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会代表。全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会副会長。シブコト障害者のきょうだいのためのサイト共同運営。優生保護法弁護団。手話通訳士。埼玉県上尾市生まれ、横浜市在住。NHK、新聞各紙、AbemaTVなどに出演。

広告

AUTHOR

雪代すみれ

雪代すみれ

フリーライター。企画・取材・執筆をしています。関心のあるジャンルは、ジェンダー/フェミニズム/女性のキャリアなど。趣味はヘルシオホットクックでの自炊。



RELATED関連記事

Galleryこの記事の画像/動画一覧

聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会
耳
セルフコンパッション
『「障害」ある人の「きょうだい」としての私』(岩波書店)
藤木和子弁護士プロフィール写真
当事者の弁護士が語る【障がい者の「きょうだい」】が持つ人権と、社会に見過ごされてきた生きづらさ