発達障がいのわが子と生きる|沖縄在住ベーシストMIYAが語る「とにかく毎日、息子が可愛い」
沖縄在住、385、ZAZENBOYSでベースを担当するMIYAのインタビュー。以前から親交のある臨床心理士の石上が、発達障がいを抱える子供や家族との生活、子育てとバンドの両立やストレスとの向き合い方について話を聞いた。
他の子供と比べてゆっくりだけど成長している
―――SNSでも発達障がいのお子さんの子育てについて発信されていますが、改めてお子さんはどのような特性を持っていらっしゃいますか?
自閉スペクトラム症で、知的障がいがあると病院で診断されています。基本的に発語がなく5歳になって初めて「チョコ、食べる~!」と言えるようになりました。他の言語は基本的にないので、今は手話などを用いたジェスチャーや絵カードを使ってコミュニケーションを取れるように教えています。知的障がいもあるので、他の子供と比べてゆっくりだけど、成長はしてきているかな。」
―――発達障がいだと分かった経緯を教えてください。
息子が1歳半ぐらいになった時に保育園付きの特養介護老人ホームで働きはじめたんですが2歳になった頃に「息子さんは目が合わない」「名前を読んでも振り向かない」と発達障がいの可能性を指摘されました。病院に受診を考えていたその頃、休止中だった385という自分のバンドのライブがありまして、出演中に息子が高熱を出したんです。病院で川崎病という血管の病気だと分かり入院することになったんですが、その時の主治医が言語訓練を勧めてくれて、そのまま小児科にて発達検査をして貰い通院することになりました。病院に診断した流れで療育(※)もスタートしています。その頃から市役所、児童デイサービス、相談員さん、病院と連携して、困りごととかを助けてもらっている感じですね。川崎病は今も定期通院しながらフォローしてもらっています。
※障がいのある子どもが自立した生活を送れるように支援すること。
息子といっしょに
— MIYA (@385miyaboys) January 16, 2022
かわい子ちゃん作った☺️ pic.twitter.com/iL8KJ7mtpE
ベースをやめます…と仏壇に祈っていたら「ZAZEN BOYSでベースを弾かないか?」と電話が鳴った
ベースを演奏中に息子が難病指定の川崎病になってしまったことで、親として息子が苦しんでる時に何やってるんだろう…と思いました。385は夫婦でやっているバンドなので、私がベースを弾くのを辞めたらいいんだと決心して、週5で介護の仕事頑張りながら息子を育てるぞ! とやる気満々だったのですが、そのタイミングで父親が亡くなったんです。思った以上に喪失感が大きく落ち込んでしまいました。仏壇に向かい線香に火をつけて……、
「今までワガママで自分の好きなベースをやらしてくれてありがとう!これからは好きなベースをやめて頑張るので、どうか息子を見守ってあげてください!」
とお祈りしたんです。そうしたら祈った直後に急に電話が鳴って、ZAZEN BOYSの向井秀徳さんからでした。「バンドでベースを弾かないか?」と言われて驚きすぎて顔をツネったのを今でも覚えています。正直、向井さんじゃなければ断ってたと思います。演奏をすること、音楽を続けることができて本当に嬉しいです。
たくさんの人の協力がないと、うまくやること自体が難しい
―――ご先祖さまが「あなたは音楽を続けるべきだ」と言ってくれたのかもしれないですね。子育てとZAZEN BOYSの両立は実際やってみていかがですか?
子育ては本当に大変なことだと思います。私は両立は出来てない、子育ても全く上手くやってる実感はありません。たくさんの人の協力がないと、難しいと感じています。子供を育てて気が付くことや学ぶことは多い。私は旦那さんのご両親と同居しているのですが、バンドのライブやリハーサルで長期間、家を開けることがあるので、家族に協力してもらいみてもらってます。衝動性や癇癪など、息子の色々な特性があるので、見てる方は大変だったりするけれど息子の今の状態を接することで理解して貰えるし、彼のことを尊重して大事にして貰っています。息子は2歳から療育で学ばせて頂いてるので、はじめはできなかったけれど出来ることはとても増えています。私のように家族や病院、療育の先生、幼稚園の先生などに協力を得て子育てをしようと思っている人もいれば、普通の子供達と同じように普通学級育ててあげたいという考え方もあるし、全ての親御さんが何が子供にとって良い環境なのか手探りの状態だと思います。今年、息子は小学生になるので特別支援小学校に申請を出していますが、入学を希望するお子さんが多くて…もしも通えなかった時の為に通常学校にも見学に行きました。その場合は、先生達とどんな風に連携していくのかを考えていかないと、と思っています。
―――小学校に入ることは大きな環境の変化だから一山ありそうですよね。
新しいこと、いつもと違うことは癇癪を起こすきっかけにもなるけど、成長につながっている。色々な困りごとに直面するのはその子の成長が見られているということ。困ったら相談員さん、市役所なんでも必ず相談しています。私は息子をすごい甘やかしてしまうので、周りのサポートも客観的に見てもらえるといった意味で大切だと考えています。
―――そうやって色々な人と連携できているのも助けになっているし、困りごとだけでなく、成長している部分も見れているのも素敵だなと思います。
日本社会は平均をとろうとするから、みんな何も間違っていないのに決めつけてしまう
旦那さんの両親と同居しているから、子育てについて色々と言われるわけですよ。以前は全部を真に受けて「う~ん、私ってダメなのかしら」と悩んでいたんですけど、家族の意見は時に聞き流すことも大事だってことを覚えて。みんなそれぞれ考え方があって、個性があるじゃないですか。それを変えることはできないから全部を受け取らず、ある程度聞き流す。「そうか、でも私は違う」ってやっていかないと人間関係が成り立たないなって。自分の意見やワガママも大事だと思ってると同時に皆んなの意見も同じく大事だと思ってる。だから半分でいいんだって思ってる。ずっと遠慮していたら寿命が縮まるでしょ。多少、横柄な嫁でいるようにしています(笑)。
息子は、特性でできないこともある。これが得意だけれど、これが苦手と偏っているだけなんだけど、日本社会は平均をとろうとするから、みんな何も間違っていないのに間違いだと決めつけてしまって。私自身も発達障がいじゃないかって思うんですよ。とっても考え方が偏っているし自分でも苦しんでしまう場面が多々あります。そう考えると、息子は自分のところに来てくれてよかったなって気持ちがある。自分自身の特性も気が付くことが出来たし、出来ないことをどこまでお互いで補うか、どこまで助けあうかという…お互い許し合って認め合って私も息子も家族も育っている最中です。親が辛いと子供も辛いんじゃないかな。かなり影響あると思うので。
―――お母さんがドンと構えていて、笑顔な方がね。
私は毎日大きな声でゲラゲラ笑って過ごすようにしている。我慢ばかりしていると心がダメになると思う、お母さん、お父さんも同じ人間だから
息子はちゃんと分かる子だと信じている
―――MIYAさんが我慢しなくなってから、息子さんにも変化がありましたか?
息子というか、家族。例えば、ずっと我慢をしていても、旦那さんは私がなんで怒っているか分からないわけですよ。こっちは旦那さんに「なんだこのやろう」と思っているけど、我慢してた頃は気持ちを言えないわけ。だから少しの嫌なことですぐに私が怒って黙ってしまう。でも、ある時期から我慢するのをやめたら楽になって。旦那さんも「ああ、それが嫌だったんだ」と理解できる。私が正直に伝えることで急に関係が良くなって。その方が息子も家族も、なんで私の機嫌が悪いか分かりやすい。
溜め込んで我慢しすぎると子育てにも影響が出ていました。何もかも我慢しないわけじゃないですけど、我慢して苦労して育てられるのって子供も嫌じゃないですか。実体験でも、実母は私が3歳の頃に離婚して子供の私を手放したことに罪悪感を持っているわけですよ。そういうお母さんを見ているとこっちが辛い。母も苦労してきているから、母が生きているだけで嬉しい、と思っているけど、罪悪感を持っているお母さんに接するのが辛くなる時があるんです。だから、息子には、僕を育ててしんどそうだなって思わせたくない。そこまで考えられているか分からないけど、私は、息子はちゃんと分かる子だと信じているから。
―――音楽で表現するのもストレス発散になってる?
ストレス発散というか本来の自分に戻れる時間なんじゃないかな。言いたいことを言えるようになってから普段、そこまでフラストレーションはないかもしれない。でも、そういう時間を作れないのが子育てしてるご両親の現実だと思うんですよ。私は最近、音楽で表現するだけじゃなくて、BTSの音楽を聴いたりMVを見たりするのも好き。BTSで発散していますね(笑)。
―――意外ですね(笑)。
よく言われます。私も初めてアイドルを好きになったから。私の中でのアイドルの概念が壊されたというか。マイケルやプリンスを見てるような心の栄養になっています。色々なところに息抜きがあったらいいのになって思う。私は自分らしくいる場所や環境があるからよいバランスを取れているのかもしれない。忙しくて息抜きできる時間を作ることがなかなか簡単にできることではないと思っています。
診断されたとき、本人は困ってたんだなって納得した
―――なかなか難しいですよね。お子さんが自閉スペクトラム症と診断された際に、受け入れることは時間がかかりましたか?
受け入れることに時間がかかったというよりは、これまでのことに合点がいったという感じ。子育てが教科書通りに行かないことは分かっていても、インターネットや本で見た子育てと合わないことばかりで。これまでのやり方が合わなかった理由がわかったし、本人は困ってたんだなって納得した。すぐに療育を頑張ろうと切り替えられた感じです。
―――子育ての中で感じていた違和感が、腑に落ちてってことですね。東京ではなく、沖縄で子育てをしようと決意された理由があれば教えてください。
もともと父親の病気の看病の為に沖縄に帰ろうと思っている時に妊娠したので、選んだというよりはそうなったという感じです。でも結果的に沖縄で子育てができて良かったですね。息子は道に飛び出すし、危険行動が多いから車移動がメインで良かったとも思います。例えば、東京で病院まで電車移動すると、電車内で騒ぐじゃないですか。それに、沖縄は割と療育機関も手厚いんじゃないですかね。市役所からも「様子どうですか?」と何回も電話かかって来るので、今住んでいる市はちゃんとしている気がします。色々助けられて有難いと感じます
とにかく毎日、息子が可愛いと思う
―――子育てをする中で嬉しいことは何ですか?
とにかく毎日、息子が可愛いんでね。全ての喜怒哀楽も全部ひっくるめて、この子は生きているんだって感じがします。私は子供産まれるまで、子供に対して好きとかいう感情がなくて、可愛いと思ったのは自分の子供が生まれてからです。1日に何回好きと言っているか分からないくらい。あ~可愛い、あ~可愛い。遠くから見ても、あ~可愛い。泣いてても、あ~泣いている!可愛い!大丈夫だよ!みたいな!!
―――(笑)。同じように発達障がいのお子さんを育てる人に伝えたいことはありますか?
いい意味で人と比べないで育てていくとこですかね…。完璧を求めないことかな。あと叱ってもいいけど怒鳴らないことも大切だと思います。子供にこうなって欲しいという気持ちがあると思うけど、人間は生まれた時から核みたいな性格が決まっているような気がして。それを尊重するように育ててあげたら一番いいのかと思うんですけどね。私の場合は手探り状態がずっと続くと思いますが、その度に色々な人にすぐに相談することが大事な気がしてます。
▶【後編】発達障がいのわが子と生きる|ベーシストMIYAが語る、自己肯定感とは「自分を愛することは許すこと」
プロフィール/MIYA
沖縄在住。1998年にガールズ・ハードコア・バンドBLEACHを結成。2001年にメジャー・デビューし、海外でも積極的にライブ活動を行なうが2009年に解散する。2008年からはハードコア・ファンク・バンド385でベース・ヴォーカルを担当しているほか、2018年7月にはZAZEN BOYSに加入した。激しいプレイ・スタイルを特徴とし、アグレッシブなスラップが注目を集め、雅-MIYAVI-が2011年に複数のベーシストをフィーチャリングして発表した『WHAT’S MY NAME? e.p.』にも参加している。Twitter:@385miyaboys
AUTHOR
石上友梨
大学・大学院と心理学を学び、心理職公務員として経験を積む中で、身体にもアプローチする方法を取り入れたいと思い、ヨガや瞑想を学ぶため留学。帰国後は、医療機関、教育機関等で発達障害や愛着障害の方を中心に認知行動療法やスキーマ療法等のカウンセリングを行いながら、マインドフルネスやヨガクラスの主催、ライターとして活動している。著書に『仕事・人間関係がラクになる「生きづらさの根っこ」の癒し方: セルフ・コンパッション42のワーク』(大和出版)がある。
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