超ハードモードな時代、ワンオペ育児のしんどさを少しでも減らすには?研究者がSNSに見出した希望

 超ハードモードな時代、ワンオペ育児のしんどさを少しでも減らすには?研究者がSNSに見出した希望
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「ワンオペ育児」というワードを耳にすると、嫌悪感や胸騒ぎ、もやもやを感じる読者もいるのではないでしょうか。子育てをしている人にとっては決して他人事ではないワンオペ育児、「どうにかしたい」と願う社会課題のひとつです。今回は、ジェンダー研究、日本研究、エスノグラフィーを専門とする社会学者の津田塾大学の北村文准教授に、前編・後編に分けてお話しを伺いしました。

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「〇〇ちゃんママ」と呼ばれるようになってもう6年半が経ちますが、わたしにはあまり「母親である」という自覚が薄いことがコンプレックスです。幼稚園に行っても「Hi,  Mummy」と呼ばれ、心の中で「いえ、わたしの名前はMaikoです」と答えたことは数しれず。それは、おそらく24時間母親ではあるのだけれど、それでも母親以外の役割をたくさん抱えているからなのかもしれません。さっきまで仕事をしていたのに、いきなり母親になるなんて、不器用なわたしにはそう簡単にはできません。

一方で、〇〇ちゃんの母親で、妻でもあり、社会人でもあり…と同時に何役もこなさなくてはいけない。そして、好むと好まざるとにかかわらず、完璧にするためにはマルチタスク能力が必要になります。そして、自分でも完璧にこなせるマルチタスクを自分に求めるうちに、周りからも「できるだろう」と期待されてしまう。これがワンオペ育児の苦しみにさらなる追い打ちをかけるのではないでしょうか。インタビュー前編「お掃除ロボットで『ワンオペ育児』はなくならない|なぜ母親は"ずっとしんどい"のか」に続いて、社会学者の津田塾大学の北村文准教授にお話を伺います。

できないのは自分のせい?

——マルチタスクであることは、現代を生きる中で重要な要素として捉えられていると思います。それが完璧にできたら理想だし、もちろんできる人もいると思いますが、それって結局、ワンオペ育児のハードルをさらに上げているように思えます。

北村先生: マルチタスクはすごく大事で、家のこともそうですけれど、そもそも育児のようなケアワークってマルチタスクなんですよね。例えば、新生児のお世話ということで言えば、オムツを変えながら口に何かを入れないように見てなくちゃいけないし、離乳食を作っている間に後ろで何か吐いているかもしれないから目が離せない。トイレに行く時間をコントロールできないし、ケアワークって、とにかくカオスなんですよね。

——確かに、一つのことに集中なんてできないですよね。

北村先生: さらに、現代社会ってリスクヘッジ(リスクを予測してリスクに対応できるようにすること)して、マネジメントして、っていうことができないといけないと思われています。けれど、それってケアワークとは真逆。ケアワークは、そもそもそれができないことなのに、「上手くやれ」「上手くできるはずだ」と期待値が高い。「お掃除ロボットがあるじゃない」「食洗機あるじゃない」と言われることもあるけれど、私はそういうことじゃないんだよって言いたい。全部そろえてもらったとしても寝ない子は寝ないし、食べない子は食べない。理論的にはできるかもしれないけれど、現実はそうじゃないんですよね。

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——「ちゃんとできないのは自分が未熟だから」と考えたりもします。

北村先生: 社会全体としてネオリベラリズムに起因する自己責任論というのがあると思うんですよね。「ちゃんとしなくちゃいけない」むしろ「ちゃんとできないのはお前がいけない」っていう自己責任というもので、すごく苦しめられているなという気がしますね。

それは男性もそうで、資格の勉強だったり、スキルアップしなくちゃいけなかったり、みんな競争の輪の中で必死に頑張っているし、お母さんたちはグローバル社会に通用するために子供を英会話に通わせたりとか、習い事に行かせたりとかしていて、その輪の中から降りる勇気は必要なのかなと思います。

——その輪から降りたら楽になりそうですね。

北村先生: でもそれがそうでもないんですよ。降りたら降りたで「子どもがかわいそう」「グローバル社会で生き残れないわよ」と周りから脅かされたりして…。自己責任の社会だから「子がうまくいかなかったのはあなたが悪い」って責められたりするんです。社会がみんなで子どもを育てるんじゃなくて、親がどれだけ子供に労力とお金をかけたかで将来が決まるって、恐ろしい社会ですよね。そして、そこでは障がいや貧困の問題はないことにされていて、「みんなちゃんと同じように競争できるはず」と考えられているんです。

ありのままの自分をオープンにしていく

——では、どんな社会を目指していけばいいのでしょうか。

北村先生: わたしは、「お母さんたち、そんなにキラキラしないでいいのにな」って思っています。キラキラママのイメージが蔓延していて、それができて当たり前だと思われがち。逆を言えば、できないのはあなたが悪い、っていう考えに陥りがちです。例えば、子供のためという大義名分のもと、ホームパーティーしたり、誕生日パーティーやハロウィンやクリスマスまで、すごい思い出づくりしてあげなくちゃって頑張っていますよね。さらにそこで「何か残さなくちゃ」「なんならインスタにあげなくちゃ」ってなっていて…。私は「それもう、いいんじゃない?」って思っています。「子供のためにがんばらなくちゃ」というプレッシャーに、親も子どももストレスを感じて泣いて終わるみたいなこともあります。それって本末転倒だなって思いませんか?これは意識の話になりますが、現代社会が母親に「キラキラママであれ」と煽ってくるわけですよね。私は、もうその煽りに乗らなくていいんじゃないかと思います。散らかった家とか、すっぴんで子供の送り迎えをするっていうのがどんどん当たり前になってくればいいのに、とも思います。

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——具体的なアクションとしてできることはありますか?

北村先生: 緊急事態宣言の際、ツイッターのハッシュタグを使ってどうしようもなさを表現した母親たちがいたのをご存知ですか?例えば「#名画で学ぶ休校休園中の育児」は、美術や世界史の教科書に載るような芸術作品に、母親たちのカオスな日常を当てはめたもので、「わたしたち、キラキラしていないよね」ということを発信しているものです。

こういう話はママ友の中では当たり前だったかもしれないけれど、それがSNSにのることによって、キラキラしていないお母さんこんなにいるんだとか、育児ってこんなに大変なのっていうのがこぼれだすということは、社会全体がガラッとは変わらないけれど、みんなが気づき出すことができたらいいなと思っています。

——SNSは匿名性でできるのもいいですよね。

北村先生: そうですね。SNSの強みは誰かとは明かさないで匿名で本音が言えること。日本のツイッター人口が多いのは、本音が言いにくい社会だからなのかなとも思いますが、わたしはそういったお母さんたちのツイートにすごく希望を見出しているんです。ただ面白おかしいだけじゃなくて、すごく社会的な意味がある。ああやって、良妻賢母といった「理想のお母さん像」とはちがったお母さん像が出てくることが希望の光だと感じました。

ライター取材後記

日本のお母さんたちは本当にキレイでがんばり屋さんだと思います。幼稚園の送り迎えでさえも、キレイなお化粧をしてキレイな洋服を着て…もちろんそれが好きな方もいると思いますが、スッピンにヨガウェア(時にパジャマのような格好)で送り迎えをしているわたしは「絶対にできない」とも思いつつ、それは私が海外に住んでいて開き直りやすい環境なのかもしれません。 前編でもお話があったように、ワンオペ育児の現状がなかなか進展しないのは、構造改革と意識改革の両方が叶っていないから。いくら、当事者である母親たちが「変えたい」と願っても、会社や他人を変えることは簡単なことではありません。「できないことはできない」と言える勇気を持つことができる人が増えてきたらいいなと思います。

取材協力: 津田塾大学准教授 北村文さん

津田塾大学准教授。1976年滋賀県生まれ。専門は、社会学、ジェンダー研究、日本研究、エスノグラフィー。著書に『日本女性はどこにいるのか イメージとアイデンティティの政治』勁草書房、『英語は女を救うのか』筑摩書房、共編著書に『現代エスノグラフィー 新しいフィールドワークの理論と実践』新曜社。

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桑子麻衣子

桑子麻衣子

1986年横浜生まれの物書き。2013年よりシンガポール在住。日本、シンガポールで教育業界営業職、人材紹介コンサルタント、ヨガインストラクター、アーユルヴェーダアドバイザーをする傍、自主運営でwebマガジンを立ち上げたのち物書きとして独立。趣味は、森林浴。



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