死を思うことはどう生きるかを考えること|自身の体験から考えた、死と生【40代のリアル】
無力さは成熟のあかし?
資本主義の国に生まれ育った私たちは、自分の力に(人間の力に)不可能はないというような幻想を抱くことがあったように思います。頑張れ、上を目指せ、努力さえすれば世界は変えられると。もちろん、自分の努力次第で変えられるものはたくさんあります。でも同時に、自分の力ではどうにもできない領域がある。その領域まで自分の力でなんとかしよう!と思ってしまうことこそがエゴであり、自分本位や人間本位の考え方です。
だから、自分の持つ力以上のことをしようとしたり、自然の力さえも越えようとすることは、不自然であり不要なことなはず。そう考えると、自然の摂理や人知を超えた力を見出せるということは、精神的な成長のあかしだともいえるのではないでしょうか。無力さや自分の力の限界を理解したら、エゴイスティックにならず調和を大切にできる。成熟した人間とは、きっとそういう生き方をできる人のことを指すのではないかと思っています。
委ねることを始めてみる
自分ではどうにもできない領域があると知ることは、委ねることの始まりでもあります。実際この先の人生はきっと、委ねることでしか解決できない問題に多く出会っていくはず。老いや病気、死別も自分の死も。それに抗わずに受け入れることは、今ある環境や人間関係に感謝できることに繋がるように思います。
逆説のように聞こえるかも知れませんが、無力さや有限さを知ることが今の時間を輝かせてくれるくれるはずなのです。今の時間を丁寧に生きようと思わせてくれるし、有限だからこそ愛しさが生まれる。死を意識することで、大きな力(自然の摂理)に委ねることが上手になる。それはきっととても豊かな生き方です。精神的に成長した世代にしかできない生き方なのです。
恐らく、特別なことをしなくても良いのです。嬉しかったら感謝の気持ちをきちんと伝えて、大好きな人には大好きだと言う。自然の中に生かされている自分を感じる。自分の身体を大事にしながら、心の声も無視しない。つまり、自分を大切にする。自然の摂理に抗わずに身を委ねながら、同時に有限の時間を一生懸命に生きることを、ミドルエイジの私たちは生き方の真ん中に置いていけたら良いのではないでしょうか。そんなふうに、私は考えています。
AUTHOR
井上敦子
15年間の会社員生活を経てヨガ講師に転身。不眠症をヨガで克服した経験を持つ。リラックスが苦手だった経験から、ヨガニードラを通じてリラックスの本質を伝えるクラスを展開。週に8本のヨガニードラのレギュラークラスを持つ他、指導者養成講座やコラム執筆等ヨガニードラの普及に努めている。
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