わたしたちの”いのち”とは何か、そして”こころ”とは何か|医師・稲葉俊郎さんインタビュー前編
その人の感性と、どう生きるかということは深く結びついている
ーー”こころ”の空間の真ん中にタンスが来た時に、その違和感に気が付くことすらできないこともありますよね。心地よさを維持するためには、どうしたら良いでしょうか?
自分にとって気持ちいいとか、心地よいと思える空間に行った時、その理由を深く探求してみてほしいです。たとえば、生まれた時から実家の真ん中にタンスがあって、その上に椅子が置いてあったとしたら何も思わないかもしれません。けれども、おしゃれなカフェや素敵な美術館に行って「あぁ気持ちいいな」と思った時、この家の空間と何がどう違うのかを考えてみるんです。
子どもの時からの環境は、意外とその前提を疑わなかったりもします。それは親や家族という存在や、距離感も含めて似たことが言えます。「こういうものだ」と思いこんでいるけれど、意外にその配置やバランスを変えるだけで問題が解決することすらあると思っています。
だからやはり、自分が心地よいと思えるところと、不快と思うところの理由を探求していくプロセスが大切です。そしてこれは、美術作品を見て、自分の感性を探求していくプロセスと似ていると思います。この絵はいいと思う、この絵はグッとこない、その理由は何なのでしょうか。
そこに客観的な答えはなくて、自分にとっての答えしかないと思います。自分の答えを探していけば、その人の感性と、どう生きるかということは深く結びついていると思うんです。
在宅医療の現場では、それを特に感じます。家の中に何が貼ってあって、どういう家の空間をしてるのか。そこにはその人の個性や表現があるわけですよね。ですから、相手の生活する姿をちゃんと丸ごと受け止めた上で、どういう言葉を選択するかなどを考えていくのです。
ーー患者さんの言葉と、実際の"からだ"の様子についてはどのように診ていますか?
わたしはそもそも、”あたま”というのは嘘をつくものだと思っています。人間には偏見や固定観念があり、その人の脳の範囲内で言葉を選んで表現しているわけです。その人が小説や文学や詩を読んでいると表現は細やかに多様になりますが、そうした背景は人によって異なります。
だからその人の言葉づかいは、その人の生きてきた歴史や感性や好みによっても異なります。ある意味で言葉は嘘をつくこともできるわけですよね。だから言葉はすごく大切なものだと思っている一方で、同時に必ずしも信用にならないものです。そういう意味で、”からだ”の状態が、結局その人を一番表しているわけです。
大まかな話で言うと、たとえばその人の”からだ”が硬いのか柔らかいのか。つまり”からだ”が開いているのか閉じているのか、その段階ですでに”からだ”の情報があります。東洋医学では「心身一如」と言って、”からだ”と”こころ”の状態は一体であるという教えがあります。
”からだ”が温かいのか冷たいのか、湿気っぽいのか乾燥してるのか、それはその人の特性が出ているわけです。同じ現象が起きても、人それぞれの”からだ”の状態によって、受け止め方が変わってきます。
ですから、その人の”からだ”の状態と言葉の世界を照合させながら、言葉そのものに引きずられず、それが指す先の方を探索しないといけません。”からだ"はどっちに向かっていて、この人は何を求めてここにきているのかを探り合うという感じです。
▶︎後編は、自分自身の”からだ”との付き合い方についてお話を伺います!
AUTHOR
大河内千晶
1988年愛知県名古屋市生まれ。大学ではコンテンポラリーダンスを専攻。都内でファッションブランド、デザイン関連の展覧会を行う文化施設にておよそ10年勤務。のちに約1年デンマークに留学・滞在。帰国後は、子どもとアートに関わることを軸に活動中。
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