【『日本の包茎』著者に聞く】いつから恥ずかしくさせられた?童貞・包茎への“イジり”が行われる理由
——「童貞イジり」の文脈に関しては、私自身もセクハラ発言など嫌なことを言われたときの対抗として「童貞」という要素を使ってしまったことがあります。当時を思い出すと私自身は「性経験がないこと」を恥ずかしいと思っているわけでなく、世の中の“童貞イメージ”から批判する手段として使ってしまいました。
「童貞は恥ずかしい」という感覚が男性の間で共有されていることを女性も知っており、確実に相手にダメージを与えられるとわかっているので、対抗手段として「童貞」という言葉を選んでしまうのでしょうね。ハズレのない武器として。
——ネット上では、例えば生理に関する誤った知識をベースに自信満々に批判していることに対し(発言者の性別は不明ですが)「童貞ですか?w」などという返しが使われているのを見たこともあります。
誤った知識をもとに発信している人に対して「間違ってますよ」と指摘することは問題ないと思います。ただ、批判をする際に「童貞」などとステレオタイプに基づく言い方はやめたほうがいいですよね。
とはいえ、「童貞や包茎をバカにするべきではない」という話をすると、歯がゆい思いをすることも事実です。「私もやってしまっていました。気を付けないといけないですね」と、自分の加害行為を反省する言葉が返ってくるのは主に女性からです。男性からは「そう言ってもらえてほっとしました」「恥の感覚を広めた美容整形外科医、許すまじ」といった被害者としての声はたくさん来るのですが、「自分も童貞や包茎をバカにしたことがあるのですが、もうやめようと思います」といった反応はなかなか見られず……。男性同士でも差別しているのですから、「バカにしないように気を付けなくてはいけない」というのは男性も同じなのですが。
「被害者であって、加害者でもある」ことに向き合う
——昨年、先生がご登壇されたオンラインイベントを視聴したのですが、「ジェンダー的視点からの分析が気に入らない」という感想を書いている男性がいた、とお話されていたことを思い出しました。「男性の生きづらさ」に言及する声を見ていても、一部の男性からは「男性から男性への差別」の存在への反発が見られることもあります。
「男性による男性への差別」の話は避けられがちな話題のひとつです。誰しも差別者と被差別者の側面があって、差別行為が明るみに出るのは嫌ですし、「仲間」であるはずの同性から差別されたことを思い出すのは独特の痛みを伴います。なので、男性でそれを話題にしたがる人はあまりいません。
ただ、そこを乗り越えようとしている方々はいて、『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書)著者の西井開さんや、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)著者の清田隆之さんは、自分の中にある加害者性も被害者性も引き受けながら、どう解決していくか道を探っていらっしゃいます。以前に比べ、ジェンダー平等を視野に入れつつ男性ジェンダーに関する発言をされている人も増えているので、そうしたものを参考にしながら、「男性による男性への差別」を考えるのもよいのではないでしょうか。
——男性性に関する研究を通じて、社会にどのような変化を起こしていきたいとお考えですか。
「男性による男性差別」を可視化していきたいです。男性による男性への差別は「冗談」や「遊び」として解釈され、被害者のダメージは不可視化されがちです。歴史研究を通じ「それは他者を傷つける暴力です」と伝えていきたいです。
ただ、指摘するまでが私の仕事で、それ以降どう解決していくか、実際に動くのは男性自身がすることだと思っています。他人による自己解放はありえません。自分を解放できるのは自分だけだと考えています。
【プロフィール】
澁谷知美(しぶや・ともみ)
1972年、大阪市生まれ。東京大学大学院教育学研究科で教育社会学を専攻。現在、東京経済大学全学共通教育センター教授。博士(教育学・東京大学)。ジェンダー及び男性のセクシュアリティの歴史を研究している。著書に『日本の童貞』(文春新書→河出文庫)、『平成オトコ塾―悩める男子のための全6章』(筑摩書房)、『立身出世と下半身―男子学生の性的身体の管理の歴史』(洛北出版)、『日本の包茎―男の体の200年史』(筑摩選書)など
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