デンマークでの体験を通して学んだ、自分の満足感を自分で決めるということ【私のウェルビーイング】

 デンマークでの体験を通して学んだ、自分の満足感を自分で決めるということ【私のウェルビーイング】
Chiaki Okochi
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先生は私たちに、「自分で作ったこれらの色について、何か浮かぶイメージや感情、思い出はありますか?」と尋ねたのです。選んだのは写真にある緑、オレンジ、紫の3色。私にとって、この緑は東京で暮らしていたアパートのイメージの色、オレンジは小学生の頃に2本目を買ってもらうぐらいお気に入りだったジーンズの色、紫はデンマークの海岸で見た夕日の色です。

これらの記憶は数ヶ月前に見たものから、完全に忘れていた数十年も前の出来事にも及んでいて、まさかここで思い出すだなんてと驚きました。また色の捉え方が、実際の経験に基づいた、非常に個人的なものであるということにもハッとさせられました。いま目の前にあるこのピンポイントの色を観察し、思いを馳せたことなんてあったでしょうか。それはこれまで学んできたような、「海は青、太陽は赤」といった一般論よりももっと、「色」というものが身近で、生き生きと立体的に感じられた体験でした。

自分の満足感を、自分で決める

またとある日には、補色という正反対の特質を持つ色について学ぶ授業がありました。この日の内容は、写真のように青とオレンジという補色を両端に置き、絵具を混ぜながら12段階で均等にグラデーションを作るというものです。

授業を通して初めて感じた、自分の満足感を自分で決めるということ【私のウェルビーイング】
アートのクラスにて

絵具の配合を少し変えるだけで途端に変化してしまい、特に真ん中あたりはグラデーションになっているのか疑わしいほどです。けれども、必死に目を凝らして混ぜ合わせる、その絶妙な一瞬を捉える感覚は、ハンターのようでもありました。この色との静かな格闘を終えたあと、私はなぜだか左から3番目の青色の仕上がりがとても気に入りました。

そしてこの日初めて、みんなの前で「私はこの左から3番目の青色にものすごく満足しています!」と堂々と感想を口にしている自分がいました。課題の出来栄えはさておき、すっかりご満悦の私。それに対して、「私は上手くできなかった」とフラストレーションを口にする生徒もいます。けれどもそんな時も、ただ私たちはその素直な思いを聞き、先生はジャッジをすることなく見守ります。各々の状態や結果がどうであれ、ありのまま自由に感想を言い合える空間っていいなと思いました。そして、もはや上手く課題が出来たかなんていうことは、どうでもいい気持ちにすらなりました。

あのとき、私をそんな気持ちにさせてくれたのは、自分が誰からもジャッジされないという安心感があったからだと思います。先生からも、クラスメイトからも。フォルケホイスコーレでは、試験や成績がないのは前の記事でご紹介した通りですが、正しさを上手さで測ることをしないことで、誰が優れていて、誰が劣っているというジャッジが生まれません。そしてそこには自ずと、平均点という”普通"すらありません。この仕組みは私にとって、自分の満足感を、自分で決められるようになったきっかけの一つだなと感じます。正解か不正解か、あるいは上手いか下手かといった外側にある評価や人と比べるのではなく、自分なりの成果を、自分で決める。そんな喜びと満たされた気持ちを感じた出来事でした。

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大河内千晶

大河内千晶

1988年愛知県名古屋市生まれ。大学ではコンテンポラリーダンスを専攻。都内でファッションブランド、デザイン関連の展覧会を行う文化施設にておよそ10年勤務。のちに約1年デンマークに留学・滞在。帰国後は、子どもとアートに関わることを軸に活動中。



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