恋愛やセックスを楽しむことはヨガの教えに反する?

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恋愛やセックスを楽しむことはヨガの教えに反する?

yasushi
yasushi
2018-01-27

もともと「ブラフマチャリア」とは「ブラフマンに至る道」「神のように歩む」という意味を含みます。相手を自分の欲を満たすものとして扱うのではなく、神の顕現として敬う、その行為そのものを、神を讃えるものとして捉える......という教えがベースにあります。人間として生まれた時にすでに備わっている機能、感覚、感情を頭から否定することは創造主をも否定することになりかねません。そして人を愛すること、子供を儲けるという人間本来の喜びを否定する教えは見当たりませんね。

禁欲ではなく、他人を自分のエゴで利用しないことが「ヤマ」の教え

ヨガスートラ』にある「ヤマ」の5つの教えは他者との関係においての教えです。5 つに共通している考えは、一つ目でもある「傷つけない」ことがベースにあるのでしょう。そこに節度があり、自分の喜びの為に相手を利用していないのなら「禁ずる」という直接的なルールでなくても良いのではないでしょうか?愛無くして人生にどれ程の深みを持てるのでしょうか?では愛は形式に当てはめられるのでしょうか?

大切なのは、自分の価値観に覚悟を持つこと

愛そのものは人間間の経験です。昨今「パートナーシップ」を「婚姻関係」と同様に保証するのがグローバル化し、「結婚」は形式のチョイスであることの要素が強くなっていますね。現に人間自身が「制度」や「戸籍」を作る前から人は愛し合っていたわけですし、また出産に関しても同様です。人を愛するというコミットメントをどのように社会的に示すか......当事者たちで決めるならそれでいいじゃないですか。形式にかかわらず、私達は人との関係の中で多くを学ぶのだと思います。
では出産、子育てでは?僕は若いうちから「子育てしてこそ人は一人前になれる」と思っていました。人を育てるというのは人間ができる最高の学びの経験だと思っています。しかしながらこれも縁が関わるでしょうか?「大仕事へのコミットメント」ができた時に、その縁があれば学びのチャンスが訪れるかもしれませんね。自分の価値観に覚悟を持てればいいじゃないですか? 残念ながら答えはありません。でもヒントはあります。これでいいのだ!

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yoga Journal日本版Vol.29掲載

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