世界を知るための感覚とその揺らぎ|理学療法士がヨギに知ってほしい体のこと
理学療法士として活躍する得原藍さんが、ヨギに知ってほしい「体にまつわる知識」を伝える連載。第十回目となる今回は「世界を知るための感覚とその揺らぎ」。
前回まで、視覚、前庭覚、体性感覚と、続けて感覚入力についてお伝えしてきました。この三つはわたしたち人間が様々な環境の中で生活するための、身体のバランスに必要な「情報」であり、それぞれの情報を受け取る眼、内耳、身体はその「インターフェイス」であると言えると思います。
今、掃除用の家電で、自由に部屋の中を行き来するものが盛んに販売されています。家電は生き物ではないので、機械自体が物事を判断することはできません。けれども、階段があれば落ちないように反転し、部屋の角では壁を傷つけないように回転します。それを可能にしているのは「センサー」です。どこからどこまでが部屋で、自分はどの程度の速度で部屋の隅に到達し、どの位置で方向転換すればいいのか、そういった判断を可能にするのは「どこに階段があるのか、どこに壁があるのか、障害物で自分の運動はどう変わったか」を知るためにはセンサーが必要なのです。
視覚や、前庭覚や、体性感覚は、わたしたちに備わった自然の、繊細な、優秀なセンサーです。そしてこれらのセンサーは、生き物としての「揺らぎ」も抱えています。
もう一度、機械のセンサーを思い浮かべてみましょう。例えば先ほどの掃除用の家電の場合、位置を確認するのに主に使われているのは赤外線です。赤外線は、一定の速度で空間を進みます。なので、同じ距離をいつ計測しても同じ答を導き出すことができます。赤外線を発する部品と、赤外線を受ける部品が故障していなければ、明るい部屋でも暗い部屋でも、寒くても暑くても、いつでも同じ計測結果になるでしょう。とても正確です。では、身体のセンサーはどうでしょうか。
視覚で考えてみましょう。明るい場所から急に暗い場所に移動すると、視界が暗く狭くなります。そして徐々に目が慣れてきて、少しの光でもあれば景色を把握することができるようになります。電気のスイッチをオンオフするような明確な瞬間的な変化が起きるわけではありません。視覚は光と色をそれぞれ別の細胞が受け取ることで景色を作り上げていますが、受容器である網膜、刺激を伝える視神経、それを受け取る大脳と、それぞれが生き物として小さな誤差やその補正を繰り返しているので、いつも必ず同じ情報が同じように認識されるのか?というと、そこには多少の揺らぎがあるのです。
同じように、前庭覚や体性感覚も、その時々の条件によって感覚としての機能に揺らぎを持っています。しばらく船に乗っていると頭も体も揺れている感覚を持ちますが、陸に上がってもしばらくは体が揺れているように感じる…というのもわかりやすい例かもしれません。また、身体は、強く押したり触ったりした後に弱い力で同じことをすると、最初の刺激の影響で後の刺激を感じにくくなったりもします。これらの感覚全てが、さらに相互作用を持って周囲の情報を脳に伝えているのですから、その揺らぎの幅も単独で理解するよりはるかに大きいものになり得るでしょう。
大切なのは、自分たちが世界を把握しようと活用している感覚は、絶対的な値を常に返す機械ではない、ということです。そこには揺らぎがあり、前後の状況からの影響もあり、並行している他の感覚との相互作用もあるのです。体温や心拍数など、生きる上で必要な機能も関わっています。
今自分の身体がどのような状況にあるのかを捉えようとするとき、感覚の揺らぎを無視することはできません。それは身体の内側の声です。身体の感覚に集中しようとするとき、穏やかな光と、密やかな音と、適切な温度が助けになることがあると思います。感じるには集中力が必要なのです。
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