彼氏や夫から「愛されていないと不安」なのは、あなたのせいではない。
エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。
「これって、いつも同じ展開だなと。最初は男性は私のことが大好きで、でもその後、私は何やかんやで不安になって、私は自分が愛されているか、どのくらい愛されているか知らなくちゃいけなくなって。(略)私はそれを表現するし、安心させて欲しくなる、で、男はみんな引き上げてく」
これは『なぜ愛に傷つくのか 社会学からのアプローチ』(エヴァ・イルーズ著・久保田裕之訳 福村出版)にて紹介されているアンという女性の語りだ。インタビュアーが「どんな時に不安になるのか」と問いかけると、アンは以下のように答えた。
「えーと、自分に価値がないように感じる時、誰かに私に価値があるって示してって頼むとき、とか酷く落ち込む。(略)で、安心させてほしいと彼に頼む。させてくれるわけないけれど」
アンのように、恋人から愛されていないと感じたり、もっと愛してほしいと感じたりする女性は少なくない。
こういった不安を抱く人に向けて「自己肯定感を上げろ」と励ましたり、「幼少期に両親から愛されなかったトラウマが原因」だと解説したりする書籍や動画は少なくない。
しかし、社会学部教授のエヴァ・イルーズは本書において、全く異なるアプローチをとっている。すなわち、現代の恋愛の不幸は個人の責任ではなく、私たちの愛し方を形作る制度的な力が原因である、と。
(注:本書は中産階級の異性愛者を対象に研究した結果をまとめたものなので、今回は、異性愛者についてのみ言及する。)
マルクスが商品に対して行ったことを、愛に対して行う
本書の目的は、「マルクスが商品に対して行ったことを、愛に対して行うこと」だという。
かつて、貧困は社会問題ではなく、個人の問題だった。貧困に陥るのは、怠惰や精神的欠陥が原因なのであって、自らが解決するべきものだ、と考えられていたのだ。現代では当たり前だと思われている貧困の連鎖や、体系的な経済的搾取が貧困を生み出すといったことは、マルクスが主張するまでは考慮されることがなかった。
本書では同様に、恋愛から生み出される苦しみの原因を、個人の資質や精神的な弱さのためだと見做さず、むしろ、制度的な力によって苦しむように仕向けられている、と主張している。
恋愛の苦しみや破綻は自分のせい=近代以降の悩み
エヴァ・イルーズの研究によると、女性はしばしば恋愛的困難や破綻の責任を自らに負わせる傾向がある、という。
愛されなかったこと、愛しすぎたこと、恋愛が成就しなかったことは、きっと私の性格、あるいは過去、愛し方に原因があったのだろう、と。
そして、こういった傾向は近代以降に見られることであり、近代以前は全く様相が違ったという。
例えば、19世紀の西洋では、約束を遵守すること、恋人への愛を高らかに宣言することこそが「男らしい」ことだとされていた。男性に感情的一貫性が求められていたため、婚約し、最後まで愛し抜くことは男性の地位を高めこそすれ、落とすことは決してなかった。逆に、婚約を反故にするなどの「男らしくない」行動は、彼自身の評判を貶め、道徳的に非難された。この際、女性の評判は落ちなかったし、女性の自己肯定感が下がることもなかった。なぜなら、約束を守れなかったのは男性の責任であり、女性には関係がない、と考えられていたからだ。
19世紀の西洋では、いわゆる「捨てられた側」の女性は精神的に無傷だったわけだが、現代は様相が異なる。彼氏や夫との破局と、アイデンティティ、および価値の感覚を一直線に結び、自らを責める人は少なくない。
存在論的不安は、男女で不平等に分配されている。男も女も、男に承認されたい
エヴァ・イルーズは、社会制度の変化によって、現代の恋愛市場は男女が異なる条件で参加しており、「女性側が感情的に入れ込み、また、傷つきやすい構造になっている」とも述べている。
第一に、現代の男性の社会的地位は、家族を持つことよりも経済的達成に大きく依存する。第二に、中産階級の男性は、生殖が女性よりも重視されていないため、女性より遥かに長い間、性的探求を続けられる。そのため、男性は女性よりも特定の相手とコミットすることを避ける。第三に、男性の社会的地位が性的魅力と結び付けられ、また女性に対する年齢差別が男性に対し有利な立場を与えるため、男性はパートナー選択の幅が女性に比べて広くなりがち、などといった条件があるという。
以上の点から、現代の女性は、男性と同じ条件で恋愛・結婚市場に参入しているように見えて、実は、最初からより多くを感情的に投入するシステムに巻き込まれており、傷つきが発生しやすい、というのだ。
また、家父長制がまだ健在であることも、「なぜ女性は恋愛で傷つくのか」の一因であるという。家父長制が続く限り、男女はともに、他の男性からの承認を必要とし、女性は恋愛で傷つくことになるのだ。
つまり、こういうことだ。
男性は、男性から承認されたい。そのために、地位や知識を身につけて、男性との競争に勝ったり、男性同士の絆を深めたりすることを求める。女性からの承認に重きを置いていないため、恋愛が破綻したとしても、女性ほどダメージは受けづらい。一方、女性も男性からの承認を必要としている。そのため、恋愛で受けるダメージが男性よりも多くなるのだ。
「愛され女子になる」にうんざりした人におすすめの一冊
本書では、現代の恋愛の苦しみを理解するために必要なのは、精神的欠陥や幼少期のトラウマ、ましてや「女性は感情的な生き物」という決めつけではなく、恋愛を取り巻く社会学的な状況だ、という。
近年、セルフラブや自己肯定感という言葉が声高に叫ばれ、それが時に過熱して「自分自身を愛せ」「自分を愛せないのは努力不足」という圧力が強迫的なまでに高まっているシーンも存在する。その中で、「あなたのせいではない」と淡々と指摘する本書は、恋愛に傷ついた女性に新たな視点を与えるだろう。
(注:訳者の久保田は、本書の主張はある程度男女の社会的地位や賃金が平等に近づいた欧米のデータをもとにしているため、男女の賃金格差が大きい日本とは状況が異なる、と指摘している。また、欧米諸国と違い、日本は男性にも家庭を持つことに対するプレッシャーがある程度残っているため、コミットメントのあり方についても欧米とは異なるだろう、と述べている。日本の恋愛の現在地を示すためには、新たな研究が待たれる。)
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