42歳。独身、子なし、仕事なし。“憧れの女”に会いに行く。

 42歳。独身、子なし、仕事なし。“憧れの女”に会いに行く。
Adobe Stock

エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

広告

フィンランド人の作家ミア・カンキマキは、『眠れない夜に思う、憧れの女たち』(草思社)の冒頭付近でこのように書いている。

私は42歳。独身、子なし、仕事なし。住んでいた家を売り、第一作をかき上げ、勤め先を退職した。私は白い霧のなかへ踏み出した。私は自由で、何にも囚われていない。が、どうやら見通しは最悪で、次に何を書けばいいのか本当にわからない。どこに行こう? 誰について行こう? 家族も仕事も家も後にした40代の女は人生で何ができるのか?――。

ミア・カンキマキは、自由を感じていたが、同時に、自分は何にも属しておらず、あらゆる場所で部外者だと感じていた。調子のいい時は全てから解放されたように感じるのに、調子の悪い時は、自分が何一つ成し遂げていないかのように感じていた。

結婚しているか否か、子どもがいるか否かに関わらず、こんなふうに感じている女性は少なくないだろう。自由を謳歌しつつも、孤立しているように感じたり、この先の人生でできることが限られているように感じて眠れなくなったり……。ミア・カンキマキは、そういった眠れない夜に、憧れの女たちに思いを馳せ、彼女たちについて調べ、彼女たちが旅した場所(ケニアや、京都、フィレンチェなど)に旅をし、『眠れない夜に思う、憧れの女たち』を書き上げた。

冒険家、作家、芸術家。憧れの女性について調べれば、彼女たちが身近になる

ミア・カンキマキが足跡を追った女性たちは、さまざまな偉業を成し遂げていた冒険家や作家や芸術家たちだ。

その中のひとり、オーストリア人のイーダ・プファイファーは、若い頃に二回り年上の夫との結婚を強いられ、出産、育児を行なった。しかし密かに計画を練り、夫を捨てると、44歳で初めての旅に出る。

イーダが旅をした1840年代は、「女性には旅はふさわしくない」と思われていた時代だったため、どうしても旅をしたい女性は、「病気療養のため」「聖地巡礼のため」などの理屈を捻り出す必要があった。イーダも例に漏れず、「巡礼のために」旅に出た。イーダはかなりの低予算で地球を二周し、本を書くことで旅費を稼いだ。紀行作家となり、出版した書籍はこれまでに七カ国語に翻訳されるなど人気を博した。

ミア・カンキマキは、日本にも訪れた。お目当ては草間彌生だ。草間彌生は、言わずと知れた前衛芸術家だ。裕福な家柄の末娘として生まれ、結婚して良家に嫁ぐことが期待されていたが、彼女は画家になることしか考えていなかった。19歳になり、母親を説得して京都の美大に入学。しかし、しがらみだらけの画壇に嫌気がさし、学校に行かなくなった。何度か日本で個展を開催した後、アメリカに渡りたいと考えたが、当時はビザの取得や生活費を保証するスポンサーレターが必要だったため、簡単ではなかった。

そこで草間彌生は、ある女性に手紙と水彩画を送った。アメリカを代表する作家・ジョージア・オキーフだ。ジョージアは驚いたことに草間彌生の手紙に返信し、のちに、草間彌生の絵の販売を助けるなど、その後、長きにわたって親交が続いたという。草間彌生はアメリカに渡って芸術家として名を上げるが、その後、精神病に悩まされ、帰国。現在に至るまで、数十年間、日本の精神病院に暮らしながらアトリエと行き来し、精力的に制作を続けている。

――ミア・カンキマキは、こういったさまざまな女性たちの足跡を追う中で、彼女たちの華々しい勇気とパワーに感服すると同時に、憧れていた女性の人間臭さや弱さを見て失望したり、親しみを感じたりもしている。

憧れの女性たちが見た世界を彼女たちの絵や文章、写真を通して見つめてみれば、そこには、何かしらの自分との接点が見つかるかもことも多いだろう。そうなれば、会うことができない彼女たちとの“つながり”を感じることができるはずだ。彼女たちとの出会いが、孤立している心を癒し、新しい世界に踏み出すきっかけになることもあるだろう。

女性がロールモデルを見つけにくいからこそ、“憧れの女性”が必要

女性にはきっと、こういった経験がもっと必要なのだろう。なぜなら、世の中の偉人とされる人は、極端に男性に偏っており、同じ女性でロールモデルを見つけることが、難しいからだ。

小学生が読む、漫画でわかりやすく偉人が紹介されるシリーズなども、男女比率が偏っている。女性の偉人は、マザー・テレサやナイチンゲールなどの女性に求められがちな“ケア”領域に関する人である場合が多く、物理学者のマリー・キュリーさえも、キュリー夫人として正式名称が表示されないケースもある。

女性が性別役割規範に沿った出産、育児、介護などのケア以外の場所で思いきった何かをしたいと思う時、目の前を歩いている女性がいないために、諦めてしまうこともある。とても勿体無いことだ。

自分の可能性を制限したくないなら、憧れの女性を見つけた際、その人について少し深掘りしてみるといいかもしれない。深掘りしたその人は、とても魅力的で、その人に近づきたいという気持ちが頑張る原動力になるかもしれない。あるいは、憧れ始めた当初のイメージと違って、失望することもあるだろう。

「なんだ、この人も普通の人間なんだ」と思えればしめたもので、憧れの女性はもう殿上人ではなく、あなたと同じ女性であり、単にあなたの前を歩いてくれる心強い先輩になるのだ。

広告

AUTHOR

原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



RELATED関連記事