「生まれつき子宮がない」ロキタンスキー症候群当事者のMayuさんが自己受容できるようになるまで

 「生まれつき子宮がない」ロキタンスキー症候群当事者のMayuさんが自己受容できるようになるまで
Getty Images

誰かと同じでいることに安心感を得たり、“自分と違う誰か”に優しさが持てなかったり。誰もがなんとなく生きづらさを感じている現代社会で、自分らしく生きるには? 自分自身を信じ認めて自分らしく人生を歩んでいる方々に「これまでのこと・今のこと・これからのこと」を伺うインタビュー連載「人と違う、私を生きる」。

広告

今回お話をお聞きするのは、生まれつき子宮や膣がない先天性疾患、ロキタンスキー症候群の当事者としてピアサポートを行っているMayuさん。これまでの経験や気づきをSNSやYouTubeで発信されていらっしゃいます。インタビュー前半では、Mayuさんがロキタンスキー症候群を「病気ではなく個性」だと思えるようになるまでの経緯をお話しいただきました。

生理が来ないからと受診したことで発覚

――まずは、改めてMayuさんも当事者でいらっしゃるロキタンスキー症候群について、どんな病気なのか、教えていただけますでしょうか。

Mayuさん:ロキタンスキー症候群は、性分化疾患という生殖器やホルモンに生まれつきグラデーションがあるとか、そういった障害の一つで、生まれつき完全な膣や子宮を持たない女性たちのことを指します。

――Mayuさんが病気に気づいたのは、高校2年生のときだとお聞きしました。

Mayuさん:17歳、高校2年生になっても生理が来なかったんですね。もともと体型が細かったのもあって遅いのかな、と思っていたんですけど、さすがに……ということで母と一緒に近所の婦人科を受診したときに、検査で子宮のようなものが見当たらないと。そこでは正確なことが分からなかったので、大学病院で詳しい検査をしたら、子宮らしきものの跡のようなものはあると。つまり、子宮がなく、膣も爪の先くらい。くぼみのようなものしかないと。それがきっかけでした。

――それまで生理が来ないこと以外の自覚症状はなかったわけですよね。

Mayuさん:そうですね。最初に「子宮と完全な膣がない」と言われたときはすごくびっくりしたというか、とにかく混乱しました。

というのも当時、ロキタンスキー症候群という病名を言われず、体の状態だけ伝えらたんですね。それって生理は来ないってこと?とか、子どもは産めないの?とか。はっきり言ってもらえなかったので、頭のなかでぐるぐると分からないまま時が過ぎていった感じでした。

ロキタンスキー症候群
photo by Getty Images

混沌とした状態で過ごした20代

――そういう状態から、ご自身がロキタンスキー症候群だと理解できたのはいつごろだったのでしょうか。

Mayuさん:自分が性分化疾患の一つである、ロキタンスキー症候群で生理も来ないし、子どももできないんだというのが本当に分かったのは、20代前半になってからでした。当時は、自分の体の状態を調べようとネットでいろいろ検索しても全然情報が出てこなかったんですね。

それもあって、はっきりと理解するのが遅くなってしまったんですけど、病名や将来子どもを産めないことなどをネット情報から知った当初は、ちゃんと伝えてくれなかった周りの大人たちに対して「どうしてはっきり言ってくれないんだろう」という静かな怒りのようなものを感じていたように思います。今は、そっとしておくことが周りの大人から私への優しさで、最大限の配慮だったのだと受け止めています。でもやっぱり事実を伝えてもらいたかった。その方が頭のなかで整理がついたのかなと。無駄に混沌として悩まなかったのかなとは思います。

私も生殖器の話だから親に突き詰めて聞けなかった、というのもありますけど、事実を知るということは当事者にとってはすごく大切なこと。それがないと受け入れることも、ステップを踏めないというか。一つずつクリアにしていった方が自己受容につながりやすいんじゃないかなと思いますね。

――大学生のときに造膣手術を受けられたそうですが、それはロキタンスキー症候群だと理解できたあとのことですか。

Mayuさん:いえ、手術は病名を知る前ですね。当時、治療としては膣を作るか、そのままにしておくか、とう選択肢だけがあったので、どうするか親と話し合ったんですけど、当時私は手術しなくていい、と思っていたんです。造膣手術は、挿入を伴った性行為をするうえで必要になることで、当時の私はその行為の意味や大切さをそこまで理解できてなかったというか。

でも、両親は将来のためにはしておいた方がいいかもしれないよと。無理強いはされませんでしたけど、手術するタイミング的に夏休みとか時間のある学生のうちにやった方がよかったので、そこで手術した感じですね。

ヨガとの出会いが自己受容のきっかけに

――今はそういったご自身の経験をSNSやYouTubeで発信されています。そのなかでも「病気ではなく個性だと思えるようになった」という言葉がとても印象的でした。そう思えるようになったきっかけは、どこにあったのでしょうか。

Mayuさん:今の自分を受け入れる、自己受容できたきっかけは30歳のとき。ヨガに出会ったことでした。当時、結婚して環境が変わったこともあって、ヨガを始めたんですけど、そのヨガの先生が哲学的なことや心のお話を分かりやすく教えてくださる方だったんです。1日10分のヨガでしたが、頭がすっきりしたのか、自分のなかに新しい考えを受け入れるスペースができたような感覚があって。とにかくヨガにハマっていきました。

ヨガを通して、例えば個人は全体の一部。パズルのピースみたいに体も考え方も肌の色も、不得意なことも得意なこともみんな異なるけど、それが違うジャンルのピースの人たちと重なりあうことで宇宙はできているんだとか。そういうことを知り始めてから、私は膣がないとか、子どもが産めないとか。女性的な部分で足りないことはあるけど、その足りないことで私は完全なんだと思えるようになったんですね。

あと、1日10分くらいでできるヨガの先生の瞑想コースを取ったのも大きかったです。「Wellness To Go」というYouTubeチャンネルを主宰するヨガインストラクター・Arisaさんが指導する瞑想コースだったのですが、そこで学んだのは、“I am enough”ということ。そして、瞑想は頭のなかのごちゃごちゃしていたものが整い、例えるならパソコンのなかで開きっぱなしのフォルダを一つずつ消していくような、そんな作用があると教わったんです。そういった座学も学びながら瞑想の実践をするなかで、だんだん頭がクリアになっていくのを感じ、それを続けていくうちに私は女性として十分じゃないというセルフイメージが少しずつ書き換わっていき、「私ってこのままで十分なんだ」と感じられるようになりました。

いくつかきっかけはありましたけど、ヨガで体を動かして新しい知識に触れたこと。それが自分のセルフイメージを書き換えるような出会いだったからこそ、考え方が変わって自分のことを受け入れられるようになっていったんだと思います。

――ヨガを始めたのときは、何かそういう期待もあったのでしょうか。

Mayuさん:いえ、偶然ですね。それまで私、幼稚園教諭でずっと動きっぱなしだったんです。結婚を機に仕事を辞めたので何か運動しなくちゃ、という簡単な理由でした。それでYouTubeで検索して出会ったのが先ほどもお話に出てきた「Wellness To Go」のArisaさんのチャンネル。哲学的なことをお話ししてくださる先生が好きで、他の先生からもお世話になり学ばせていただいたのですが、始まりはArisaさんでした。価値観を壊してくれるというか、女性の体はこうだ、という自分が思い込んでいた当たり前という概念を壊してくれたように思います。ヨガに出会って、本当にいろいろ変わりました。

*後編に続きます

広告

AUTHOR

ヨガジャーナルオンライン編集部

ヨガジャーナルオンライン編集部

ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。



RELATED関連記事

Galleryこの記事の画像/動画一覧

ロキタンスキー症候群