生きづらい社会には中指を立てていいんだと気づかせてくれる『呪術廻戦』の初期描写
社会起業家・前川裕奈さんのオタクな一面が詰まった連載。漫画から、社会を生きぬくための大事なヒントを見つけられることもある。大好きな漫画やアニメを通して「社会課題」を考えると、世の中はどう見える?
2024年9月30日、ついに週刊少年ジャンプで『呪術廻戦』の連載が幕を下ろした(拍手)。まずは、芥見下々先生お疲れ様でした!呪術ロスの寂しさを紛らすためにも、いにしえのシーズン1を猛烈なスピードで早速再履修。推しの真人が無邪気に無為転変していたあの頃を再び……なんて気持ちで見返していたものの、今回私の心を鷲掴みにしたのは意外なキャラだった。桃ちゃんこと、京都校の西宮桃。彼女が、現代を生きる私たちのモヤモヤを代弁してくれるような発言をしていたのだ。このシーンを筆頭に、ジェンダー問題を一歩先の視点で考慮していると感じた『呪術廻戦』の描写を紹介していきたいと思う。
西宮桃といえば、そう、初期の姉妹校交流会編。かなり昔の描写だが、オタク達はきっと脳内を掘り起こせば思い出せるはず。「忘れた」「知らない」「時間ない」という方は、一旦アニメでシーズン1の17話、6分20秒あたりから約5分間の視聴をおすすめする。
「呪術師が実力主義だと思ってない?それは男だけ。女はね、実力があってもかわいくなければナメられる。当然、かわいくても実力がなければナメられる。分かる?女の呪術師が求められるのは実力じゃないの……”完璧”なの!」
桃ちゃんのこのセリフ、かなり考えさせられる。頑張る女性たちが単に「実力」だけではなく「可愛さ」も兼ね備えた「完璧」を必要以上に求められるのは、呪術師の世界も一緒だったんですかッ!?と、共鳴しすぎて思わずキモめな声が出てしまった。このセリフに対して、男尊女卑的なのではという見解もあったが、私には「(こんな世界)反吐がでるぜ」的なニュアンスで言ってるように聞こえた。そして、これは我々が生きる3次元の社会にも通用していることが多々ある。
例えば、かつて民間企業で働いていた頃、私は他の男性社員たちと同じ総合職の試験で入ったので、男性と同じように働くことはもちろん求められたし、そうしていた。だが、そこに加えて「接待要員」「女性だから〜して」と、さらなるウェイトを課されることは日常茶飯事的にあった。日々仕事で「実力」をつけるのにヒィヒィいってるのに、そこですっぴん出社なんてすれば「えっ、すっぴん?笑」。社畜の証、別名クマがひどくて濃いめの化粧をしていった日には「今日、化粧濃いね〜」。こういうことが起こるたび、何度も脳内で『ストリートファイター』の春麗に変身して、気功拳を飛ばしてから空中百裂脚をかましていた。「実力」だけではなく「可愛さ」を加えた「完璧」を必要以上に求めてくるアンフェアな社会に対して、若かりし頃の私は声をあげることはできず、脳内決戦が精一杯だったのである(今の私なら領域展開発動するけど)。
きっと同じような経験をしている同士も多いなか、こうして西宮桃ちゃんのようにキャラが代弁してくれると「あ、私間違ってなかったんだ」「フェアじゃない世に怒ってもいいんだ」と安堵させてくれることもある。リアルでは言いづらいからこそ、二次元で言ってもらえるのはありがたい。それに、「当たり前だと思っていたけど、確かにおかしいことだ」と気づく視聴者だっているのではないだろうか。
「実力」だけでは満足してもらえずに「完璧」を求められてる私たちの生きづらさを西宮桃ちゃんは見事に言語化して、代弁してくれている。そして、この発言に対する釘崎野薔薇ちゃんの反撃もこれまた推せるのだ。
「男がどうとか、女がどうとか知ったこっちゃねえんだよ!てめえらだけで勝手にやってろ!」
ううっ、野薔薇ちゃーん!よく言った!そう、働く女性に「実力」だけではなく、+「可愛い」=「完璧」を求めてくる呪術師および現代社会に対して、まさに言い返してやりたいのはこの一言。性別で生きづらさを与えてくる世の中に中指たてて生きてこうぜ、と。代弁してくれた桃ちゃんも、反撃してくれた野薔薇ちゃんも、ありがとう。姉妹校交流会編で対戦しているこの二人だが、実は相反することを言っているようで「性別で生きづらい世の中にうんざりだ」と同じことを言ってるように思えるし、人気作品でここまでリアルな発言で描かれたことに心を掴まれた。リアタイしていた時は、真人のことで頭いっぱいだったけれど、こうして見返すと新しい発見もあったりするから面白い。
なんと、今回の推しポイントはこれだけでは終わらない。ジェンダー系のことを発信すると「はい、出た〜過激派フェミニスト」などとインターネット上ではどうしても批判も生まれやすい。しかし、性別による生きづらさを作るのはやめようという主張自体、そもそも男女の二項対立を求めているわけでもない。このコラムでも何度か書いてきたが「歩み寄り」の姿勢をもつことが、境界線を溶かしていく鍵だと私は思っている。だからこそ、「男性」である芥見下々先生がここまで具体的な言葉で描いたこと、当事者じゃないと出てこないようなセリフに行き着いたこと、そこに嬉しさも感じた。男性だって女性の生きづらさを理解できる。それは逆もしかり。私たちは歩み寄れるのだ。「性別なんて知ったこっちゃねえんだよ!」と手を取り合える希望を、私は『呪術廻戦』に見せてもらった気がする。本当に素敵な作品をありがとうございました。
AUTHOR
前川裕奈
慶應義塾大学法学部卒。民間企業に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。 独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にフィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業し代表に就任。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、様々な社会課題について企業や学校などで講演を行う。趣味は漫画・アニメ・声優の朗読劇鑑賞。著書に『そのカワイイは誰のため? ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』(イカロス出版)。
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