美徳か、はたまた罪悪感か。断捨離提唱者やましたひでこが「もったいないは、もったいない」と語る理由
日本ではなじみのある「もったいない」という言葉。断捨離提唱者のやましたひでこさんは、「もったいないという言葉を間違えて捉えている場合がある」と語ります。その理由とは?
『暮らしも心も調う 大人の断捨離手帖』(著者/やましたひでこ Gakken・刊)より抜粋してご紹介します。
もったいないという正義の言葉
モノを大切にする「もったいない」の精神。日本人の美徳であり、圧倒的な正義です。
「もったいない」には、2つの意味があります。ひとつは、そのモノを愛おしく大切に思う気持ちから生まれる「もったいない」。もうひとつは、使えるモノなのにその役目を発揮していない状態に対して感じる「もったいない」。
2つめの「もったいない」には、自分がそのモノを活かせていないという後ろめたさが関わっています。使われずもったいないと感じるのであれば、使えばよいだけのこと。しかし、結局使いもせず、捨ててしまうのはなお後ろめたいので、「もったいない」という正義の言葉を持ち出し、捨てない自分を正当化しているのです。
「捨てる」行為は、たしかに心が痛みますよね。しかし、後ろめたさを回避するために、使われていないモノを抱え込み続けることは、ゴミ・ガラクタを大事にとっておくことと変わりありません。ゴミに囲まれた環境の中で、快適に暮らせる人や幸せを感じられる人はいません。使いもしないゴミ・ガラクタのために、私たちの空間、時間、エネルギーを消費していくほうが、どんなにもったいないことかと思いませんか?
モノに奪われているもの
「もったいない」の言葉の捉え方を間違ったために、空間を占有され、時間を消費し、エネルギーを消耗しがちなのが私たちです。使いもしないモノをとっておくことで、心のゆとりまで奪われ、狭い・忙しい・疲れたを言い続ける人生になるとしたら、それこそもったいない。
私たちは、モノがたくさんあると、決定回避・現状維持を繰り返しがちです。
例えば、居酒屋のメニューを想像してみましょう。数多くのメニューがあると、とりあえず店長のおすすめや人気ナンバーワンメニューを選んでしまい、「これが食べたい!」とはならないのです。
ところが、松・竹・梅の3つしかないとすると、自分で選択をします。つまり、モノを抱え込み、ため込んでいると、決定回避・現状維持のまま、人生が埋もれていってしまうのです。
人生の目的は、「モノの片づけ」ではありません。片づけは人生をより快適に、ごきげんな気分で過ごすための手段にすぎません。ご自身の人生にとって、何がもったいないことなのか?と問いかけてみると、収納という名のもとに、保管・保存・放置されているモノの見え方が今までと異なってくるでしょう。
著者/やましたひでこ
断捨離提唱者、ミリオンセラー作家、一般財団法人「断捨離(R)」代表。学生時代に出逢ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み応用提唱。誰もが実践可能な「自己探訪メソッド」を構築。断捨離は人生を有機的に機能させる「行動哲学」と位置づけ、空間を新陳代謝させながら新たな思考と行動を促すその提案は700万部ミリオンセラー。アジア各国、ヨーロッパ各国において20言語以上に翻訳されている。
AUTHOR
ヨガジャーナルオンライン編集部
ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。
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