死を考えるほど苦しい家族との関係。絶縁してから生きづらさを解消するまで【ヤングケアラー体験談】

 死を考えるほど苦しい家族との関係。絶縁してから生きづらさを解消するまで【ヤングケアラー体験談】
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ヤングケアラーというと、家族で助け合っている姿をイメージする人も多いと思います。現実にはヤングケアラーといっても一括りにできず、色々な背景があるのが実態です。デザイン事務所の代表を務める米田愛子さんは、小学生の頃から家族のケアをしてきましたが、だんだんと心身に不調が出始め、自傷行為や不眠症などに悩まされます。4年前に家族と絶縁をし、生きづらさを解消していくために様々なことに取り組んできました。後編では絶縁をしたときの心境の変化や、ヤングケアラーであったことが大人になってどのような影響があったか等を伺いました。※本記事には機能不全家族に関する具体的な記述が含まれます。

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「絶縁」について

——米田さんは結婚して実家を離れたことを機に、実家とは絶縁しているとのことですが、現在、法的な絶縁の仕組みはない中で、どういった絶縁をしているのでしょうか。

二回絶縁書を送付しています。一度目は「これからの連絡は夫経由にし、直接私と関わらないでほしい」と伝えましたが、その要求は無視されてしまいました。

その後、家族の絶縁方法について調べる中で、行政書士が内容証明郵便という形で絶縁書を作成してくれるサービスがあることを知り、二度目の絶縁書を送付しました。それ以降は連絡が来ていません。

当事者間のやり取りでは相手も非を認めず、こちらの思いは理解されないどころか、余計こじれる可能性もありますが、第三者である専門家による内容証明郵便という形を取ることで、本気であることが伝わりやすくなった感覚はあります。

——絶縁した当初は「罪悪感」があったとのことですが、どういったものだったのでしょうか。

「家族は支え合うべき」「家族ならわかり合える」という社会通念が鎖のように引っかかっていました。

家族と絶縁する前に友達に相談したら「家族なら絶対にわかり合えるから、素直に気持ちを言ってみなよ」と言われ、そのまま素直に受け取り、家族に打ち明けたら「お前が勝手に苦しくなっているだけ」と一蹴されてしまって……。

世間にある「家族ならわかり合える」という理想と自分の状況のギャップや、友達と見えている世界が違うことが大きな傷として残りました。それでも家族に対して割り切ることもなかなかできず、罪悪感として残り続けました。

——絶縁を決めるとは「わかり合えるかもしれない」という思いや、家族への期待を捨てることだと思います。それがなかなか難しいとは思うのですが、どうやって整理しましたか。

悩んでいる多くの方は「家族は仲良くあるべき」という価値観が染みついていることもあって、一緒にいてつらい家族でもなかなか離れられないのだと思います。でも、私自身を否定して傷つけてくる人や、自分の機嫌や家族の円満な雰囲気を人質にし、他人をコントロールしようとする人は、社会生活の中で出会えば離れるだろうと思うんです。

そうやって自分が縛られているものが何なのか向き合い、「家族は諦めよう」と考えるようにしました。今は「私は私の人生を生きるから、あなたたちも自分の人生を自由に生きたらいい」という気持ちです。とはいえ、生理前など不安定なときは、家族のことを思い出してつらくなることが今でもあります。

——米田さんは実名・顔出しで発信をする中で、家族との絶縁をオープンにすることは怖くなかったですか?

メインの仕事であるデザインの仕事では、聞かれない限りは言わないので、日常的に何か支障を感じることはないです。ただ、SNSを始めた頃はこんなにオープンではありませんでした。だんだんと、もっと自分を出したいと思うようになって、どんな作品を作っているか、どんな家庭で生まれ育ったかという話をするようになりました。

家族に関する生きづらさの発信をする前の私を知っている人には「投稿見たけど、どうしたの?」と聞かれることもあって「あれがありのままの私なんだよね」と話しています。

ヤングケアラーとして生きてきた影響

——ヤングケアラーやきょうだい児(病気や障がいのある兄弟姉妹がいる人)は、福祉や医療、教育など、きょうだいの障がいや病気に関係のある進路を選ばなければならないと考えている人もいますが、米田さんは進路選択に何か影響はありましたか?

私の場合は、映像関係の仕事をしたいと思い、そのまま貫き通しました。職業選択では影響はなかったものの、仕事中にフラッシュバックがあったのは、生まれ育った家庭の影響があったと感じます。

たとえば、職場内で機嫌の悪い人がいたら、全然関係がなくても「私のせいかも」「何かしてしまったかな」と気になって、それが積み重なっていくと、不眠になることもあって。家庭内で経験したつらかった出来事と、職場での出来事で何かしらリンクすることがあると、頭がごちゃごちゃになって苦しくなっていました。

——生きづらさを解消するために今までどんなことをしてきましたか?

2020年に家族と絶縁してから、4年間色々なことに取り組んできました。まずは毒親やアダルトチルドレン、機能不全家族について調べ、精神科やカウンセリングにも行きました。ランニングや読書、人と話す、日光を浴びるなど、「息抜き」と呼ばれるようなものを片っ端から試してもいます。

そういったことに取り組めるようになったのも、実家から離れるという、安全な暮らしを手に入れたことは大きかったと思います。「安心できる場」の重要性を感じ、家族の問題に関する発信をする中での色々な人との出会いや、自助会の参加などで会話を楽しんだり、心を開いたりして、信頼関係を築いていきました。人とのコミュニケーションが癒しになっています。

それまでは白黒思考で「相手が自分の考えを押しつけてくるような人かどうかで、相手が敵か味方か、殺してくるんじゃないか」と極端な判断していましたが、人との出会いを広げてからは、「攻撃されたわけじゃないんだから、決めつけるのはやめよう」と考える練習をしました。最初は上手くできず、4年かけて、麻痺していた部分を治療し、自分を肯定することや息抜きの仕方の感覚が掴めるようになってきたところです。

今でも「自分には価値がない」とときどき思います。そういう感覚になったとき、過去には自傷行為をしたり、外に飛び出して泣いたりしていたのですが、今は寝て一旦脳を休めたり、甘いものを食べたり、読書したり、ラジオを聞いたり……それでもダメなときは、落ちるところまで落ちたらあとは浮かぶだけだからと思い、一度とことん自分の感情を向き合うようにしています。

家族との関係性は一人ひとり違う

——「家族とは仲良くすべき」という社会にある価値観について、今はどう思いますか?

いわゆる「普通の家族」だけでなく、親がいない人、家族がいなくなった人……色々な家族の形を見てきて、家族は多種多様で100人いれば100通りあること、かつ、傍からは仲良しに見えても、実際にどうかはわからないことを知りました。なので「家族はこうあるべき」と押しつけないでほしいですし、私も気をつけようと思います。

毒親やアダルトチルドレン(※)、機能不全家族育ちの当事者の話を聞いていると、絶縁したいけれどもできない人が多いのを感じます。私の状況がラッキーとは言えませんが、レアケースでなくなればいいと思います。

※アダルトチルドレン:元々はアルコール依存症の親のもとで育った人を示していたが、現在では、様々な機能不全のある家庭で育ってきた人を示す。大人になっても精神的な側面や、人間関係等で影響が残っている人も少なくない。

——家族との関係にモヤモヤしているものの、家族のことを割り切れない人へメッセージをいただけますか。

今「好き」「大切にしたい」という思いがあるなら、無理に家族を嫌いになったり諦めたりする必要はないと思います。「家族を嫌いにならなきゃ」と思うのもしんどいですよね。

曖昧で入り混じった気持ちなら、その感情を持ったまま家族との付き合い方を考えてもいいと思いますし、手放したいと思ったときが訪れたなら、そのとき手放せばいいと思います。

あなたの思いはあなただけのものですから、あなたの今の思いを大事にしていいと思います。

【プロフィール】
米田愛子(こめだ・あいこ)

社会課題をテーマに活動。映像デザイン事務所CreDes代表。
ドキュメンタリー『おにい~筋ジスになって絶望はないの?機能不全家族の妹が問う〜』NNNドキュメント、世界仰天ニュース、海外映画祭受賞

■X(旧Twitter):@official_credes
 

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AUTHOR

雪代すみれ

雪代すみれ

フリーライター。企画・取材・執筆をしています。関心のあるジャンルは、ジェンダー/フェミニズム/女性のキャリアなど。趣味はヘルシオホットクックでの自炊。



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