最近よく聞く「ヤングケアラー」はどんな経験をしてどんな思いを持っている?専門家に聞いた
本来は大人が行うような家事や家族の世話をしている子どものことを「ヤングケアラー」と言います(18歳以上の場合は「若者ケアラー」と呼びます)。厚生労働省がヤングケアラーの実態を調査したところ、中学2年生の5.7%、全日制高校2年生の4.1%が世話をしている家族がいることがわかりました。内容としては、幼いきょうだいの世話・見守り・買い物や料理、洗濯などの家事・感情面のサポート等が多くを占めています。ケア役割を担うことで、勉強や睡眠、友人と遊ぶ時間、自分の時間が取れないといった制約も見えてきました(※)。成蹊大学文学部現代社会学科の澁谷智子教授に、ヤングケアラーの実態について聞きました。
甘えたり頼ったりする経験が少ない
——ヤングケアラーに特徴的と思われるのはどのようなことですか。
ヤングケアラー自体は千差万別ですが、共通しているのは子どもながらに甘えることができなかったという点です。子どもなので、ケア役割を担うにあたって、初めての経験で怖かったり不安を持ったりすることも当然ありますし、日常生活で嬉しいとか悲しいとか共感してもらいたいこともあると思うのですが、「家に自分より大変な人がいるから」と思うと、後回しにしたり自分の中だけで処理したりしてしまうんですよね。
それを繰り返すと、どうやって人に頼っていいかわからなくなってしまう人もいるようです。本当にギリギリになるまで自分で抱え込んでしまう人もいます。
状況が深刻になる前に、ちょっとした愚痴を言うことによって、悩みを共有してもらって一人で抱えなくて済むことってありますよね。でもヤングケアラーの場合、誰かと共有して考えるきっかけがないまま最大限自分で引き受けてしまって、勉強時間や睡眠時間を削るとか、部活を勝手にやめてしまって、それに家族が気づいていないことも珍しくないです。
——人に甘えたり頼ったりする経験が難しいのですね。
そうですね。「親も頑張ってるから負担をかけないように」と思うようです。それは優しさなのですが、「じゃあ自分はどこに甘えられるのだろう」という感覚もあって。子どもの頃は「そういうものだ」と受け止めていても、大人になって子どもを育てるときに、「本来、子どもはもっと守られるものでは」「子どもはもっと自分中心に動いてもよかったんじゃないか」って気づいて、自分にはそういう経験がなかったことに引っかかりを覚えることもあると聞きます。
——「ヤングケアラー」で一括りには語れないとのことですが、支援がほとんど必要なかったり、社会的に課題を感じない人もいるのでしょうか。
います。たとえば、障がいなどなく単純に幼いきょうだいのお世話をしている人の中には、弟や妹が成長していく過程を見られるので楽しいという人もいるようです。
埼玉県や国の調査でも、ヤングケアラーだったことに「影響がない」と回答している人も多くて。後から影響に気づくパターンもかなりある一方で、本当に影響がなかった人もいるとは思います。たとえケア役割があっても、子どもらしく過ごせていて、その中でできる範囲のケアを担っていたとか、小さい子のお世話が好きで積極的に関わっていたとか、比較的選択肢があるうえでケアをしていた人も一定数います。
——ケア対象の違い(親・祖父母・きょうだい)によって、ヤングケアラーの悩みに違いはありますか。
あると思います。親のケアの場合、小さい頃から親のケアをしていて、周りに頼れる大人がほかにいない状態だと、大人への頼り方がわからないまま成長していることもあるように思います。もちろん、体が上手く動かせなかったり病気を患っていたりしてケアを必要とする親でも、子どものために色々と考えて子どもへのケアをしている人もいます。一方で、病気のためにイライラが続いたり激しい感情表現をしたりしてしまう親もいます。そういう状況で周りにサポートもない状態で育つと、子どもは、人に相談する経験を十分に持てず、コミュニケーションや信頼関係をつくっていくときに難しさを感じるかもしれません。
ケア役割が始まったのが小さい頃なのか思春期ぐらいからなのかで違う部分はあるでしょう。祖父母の場合は、ケアが必要となるのが中高生くらいからのことが多いです。思春期だから大変ではない、という意味ではありません。思春期は自分自身を模索したり将来を考えたりする時期で、そのときに家族が色々なことができなくなっていくのを間近で見ていると、頑張ることの意味がわからなくなったり、自分だけ社会に羽ばたいていいのか罪悪感を抱いたりすることもあると聞きます。ケアのために祖父母と過ごす時間が長く、同世代と充分に遊べなかったヤングケアラーは、自分自身の趣味にも影響を受けることがあります。祖父母の時代に流行ったものなどを祖父母と一緒に見ている中で、同世代の流行にはそれほど興味が持てないと感じることもあるようです。
障がいのある子のきょうだいは、多くの場合、幼いときにケア役割が始まります。そして、共に過ごす時間の長さが特徴です。祖父母はどこかで看取る時期が訪れますが、きょうだいはケア対象が同世代で、「親なき後」も含めて、周囲からの期待を意識し、それが自分の人生設計に影響するところもあると思います。
一人ひとり経験も思いも違う
——子どもの「家族の面倒を見たい」という言葉は100%信じていいのでしょうか。先ほど仰っていたように、親の大変そうな様子を見て、気を遣ってしまう子もいるのではないかと。
「家族の面倒を見たい」という気持ちも、「ケアが大変」というのも、一人の人間の中に共存する気持ちだと思います。どういう場面で聞かれたかによっても答えは変わると思うんですよね。たとえば、きょうだいの世話でも、親から聞かれるのと、友人に聞かれるのでは、出てくる言葉も違うと思います。
私自身が経験したケアは子育てですが、子育てが大変だと思いつつも、「100%やってあげる」と言われたら、「それはちょっと……」と感じたと思います。別にケアを放り出したいわけではなく、他のこともできるちょうどよいバランスを模索していたようなところがあります。子どもが家族のお世話をしたいと言ってるなら、ほどよい距離でほどよく関われるのがいいとは思います。
家族には本心を言えなくても、他のところで「家族の世話が大変なんだよね」と言えて、本音を話せて息抜きしてスッキリできるみたいに、バランスの取れる環境は大事だと思います。
——大丈夫そうに見えているので気にかけなくてもよい、ということではないですね。
そうですね。とはいえ、本当につらさを感じてなかったら、頻繁に「大丈夫?」って聞かれるのはうっとうしいかもしれないですね。「うちの家族は普通に生活しているだけなので、『支援が必要な人』として見られることがすごく嫌」という子どももいます。ヤングケアラーだからといって、画一的な対応は望ましくないと思います。
「小学生の頃は時間的に余裕もあったものの、中学生になってから部活も勉強も忙しくなって家族のケアが負担に感じるようになった」というように、感じ方が時期によって変わることも覚えておきたい点です。周りの大人としては、段階的に利用できる福祉サービスの情報や選択肢を伝えられるといいかもしれません。
たとえば障がいのある子のきょうだいも、「今は当事者同士の集まりに行きたくない」と思っていても、そういう場があるという情報を知っておくことが重要だと思います。「同じような境遇の人に話を聞いてほしいな」って思ったときに、選択肢を持っているのといないのとでは違ってきますので。
——「つらいこともあるけど、良いこともあったでしょう?」という見方をしてしまう人もいますが、相殺できるようなものなのでしょうか。
それは周囲の大人や世間が注意しなくてはいけないことですね。ヤングケアラーの間では、「ヤングケアラーと言われたくない」「『ケアを通してプラスの経験を身につけた』と言わないでほしい」という声も少なくないです。
忍耐強さとか、複数のことを同時に回せるとか、確かに身につけられた能力はあったのかもしれませんが、「それは本当に子どもの頃にケアを通して身につけなくてはいけなかったことなのか」「大人になってから仕事を通じて身につけてもよかったのでは」という声もあります。その人の経験や思いを知らずに、外から「得たこともあったよね」と言われるのは本当に嫌だったという話も聞きます。
親をサポートしてきた人の中には、「自分も守られたかった」「親から色々なことを教えてほしかった」という思いを抱えている人もいます。親のことを大事に思っているヤングケアラーがいる一方で、親が余裕のない中で自分は嫌な思いをしたと感じているヤングケアラーもいるんですよね。
本当に色々なタイプのヤングケアラーがいるので、その人の経験について安易に他人がどうこう言うものではないと感じています。
※「ヤングケアラーの実態に関する調査研究 報告書」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2021/04/koukai_210412_7.pdf
【プロフィール】
澁谷智子(しぶや・ともこ)
1974年生まれ。成蹊大学文学部現代社会学科教授。専門は社会学・比較文化研究。著書に『ヤングケアラー――介護を担う子ども・若者の現実』(中公新書)、『コーダの世界――手話の文化と声の文化』(医学書院)、編著に『ヤングケアラー わたしの語り――子どもや若者が経験した家族のケア・介護』(生活書院)、『女って大変。――働くことと生きることのワークライフバランス考』(医学書院)など。
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