中学2年生の約17人に1人が「ヤングケアラー」、子どもがいつなってもおかしくない社会の仕組みとは

 中学2年生の約17人に1人が「ヤングケアラー」、子どもがいつなってもおかしくない社会の仕組みとは
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本来、大人が行うような家族の世話や家事などを行う子どものことをヤングケアラーと呼びます。厚生労働省の調査では、中学2年生の約17人に1人、全日制高校2年生の約24人に1人が世話をしている家族がいると回答しました。ヤングケアラーは幼いきょうだいの世話や見守り、料理や洗濯などの家事、感情面のサポート等を行っています(※)。前編では、ヤングケアラーに詳しい成蹊大学文学部現代社会学科の澁谷智子教授に、ヤングケアラーの実態について伺いました。後編では社会的な課題や自分ごととして考える必要性について聞いています。

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実家を出ることは悪いことではない

——ヤングケアラーの子どもたちが家族のケアから離れたいと思ったときに、実現することは可能でしょうか。

現状は、子どもが親元を離れて生活するとなると、児童養護施設に入るなど、極端な選択しかありません。現実はもう少し中間の支援が必要だと思います。家族のことが嫌いじゃなくても、ケアに疲れるとか、少し離れたいことは当然あると思いますし、そういうときに1週間程度距離を置ける場所があってもいいのではないかと。

若者が自分のペースで時間を使いたいと思ったり、自分の空間で集中したいと思ったりしたときに、それを可能にするのは生活空間を分けること。ケアは共に住んでいることから発生する面も少なくなく、一緒にいるから状況に対応しなくてはならなくなります。若者ケアラーのことも考えるのであれば、私は、若者がバイトをすれば住めるような安価な住宅が必要になってきているのではないかと思っています。

「空き家問題」など家は余ってきていますし、近くに頼れる大人がいる形で若者の生活空間を分けられる政策が、国や自治体で進められたらいいなと思います。

——「自分が家を出ると家族が回らない」と思って家を出られないという話も聞きます。

確かにヤングケアラーの「実家を離れられない」問題はあるのですが、出たら出たでどうにかなってしまい、「あれ?」と思う人もいます。実際に出た人からは、「あんなに出たらいけないって思ってたのに、出たらなんとかなってて、あの罪悪感を抱いていた日々はなんだったんだろう」と聞いたこともあります。

頼れる人がいないなら、いないなりになんとか動くところもあるみたいです。たとえば事故とか急病とかで突然ケアをしていた人が亡くなってしまうこともあり得るわけですよね。そのときに家族が生活できなくなってしまうかというと、そんなことはなくて、他に頼れる先を探すなど、別の方法を探すようになると思います。

ヤングケアリングというのは、家の中に人手が少なくて、子どもがいるから、子どもに頼る方が便利だから子どもにやってもらっているところがあって、子どもがいなければ、きっと別の方法を考えます。でも、いきなりそういう想像をするのは難しいと思います。自分と共通項があって実家を出た人の話を10人くらい聞くと、少しイメージできるようになるのではないでしょうか。

あと、ヤングケアラーというと、家に残ってケアをした人だけ見えていますが、「自分は逃げました」とおっしゃる人もそれなりにいます。実家を離れたからといって、全て縛りがなくなるものでもないと思うのですが、本人としては「自分はヤングケアラーにならなかった」という感覚の人もいます。

——それはなるべく家に帰らないようにするなどしていたのでしょうか。

そういう場合もあります。それでケアがなくなるわけではないですが、触れる時間を少なくするという感じでしょうか。寝るためだけ家に帰るとか、朝早く学校に行くとか。子育てにおいても、仕事を忙しくして、ケアにあまり関わらないというお父さんも、以前は割といたと思います。それと似たような面があるのかもしれません。

——実家を離れることに罪悪感を覚えている人も少なくないようです。

「一人暮らしをしたい」という気持ちは悪いことではないと思います。もし、ケアする家族がいなければ、何も罪悪感を抱かずに一人暮らしを始めている人が大多数でしょう。

自分の中で価値規範が強力に築かれていると、罪を犯したような気持ちになってしまって、なかなか踏み切れないようです。踏み切っても、罪悪感を覚えているという話も聞きます。でも、新しい生活が始まっていくと、「意外となんとかなる」みたいなところもあって、意識がだんだんと変わってくることも珍しくないようです。

生活空間を分けても家族と関わる方法はあります。たとえば、親が電話をかけてきたときに話を聞くことも、感情面のサポートであり、ケアの一つだと思います。

なぜヤングケアラーは注目されるようになったのか

——なぜここ数年でヤングケアラーの存在が可視化されたのでしょうか?

昔は「上の子が下の子の面倒を見る」「家の手伝いをする」といったことは珍しくもありませんでしたが、高度経済成長期に日本の家族は豊かになりました。長期的な時間軸の中で見れば、男性一人の給与で家計を支えられる見通しがつき、女性が専業主婦になれたという珍しい時代です。当時のかなり特殊な家族イメージをベースに福祉などの制度設計がされました。

その後、経済状況が変わり、男性一人の給料だけでは生活が厳しくなり、共働きが当然になってくると、時間の編成を考え直す必要に迫られます。今まで人口の半分が家のことを担っていたのに、その人たちが急激に仕事に時間を使うようになり、誰が家のことを担うのかは十分に考えられてきませんでした。仕事の領域は公だからきちんとしなくてはいけないという意識が強いものの、家族領域はプライベートだからといって、個人に丸投げにされていました。

でも生活していくために絶対に必要なことはありますよね。「誰がやるのか」という視点が希薄なままで誰もやらないと家事は溜まっていき、気づいた人がやることになります。そうした中で、大人のようにはお金を稼げない子どもの負担が大きくなっているところはあると思います。

家族が助け合うことも、子どもが家事能力を身につけることも、それ自体は悪いことではありません。しかし、明らかに子どもとして想定されている範囲を超えた重い責任を子どもが負わされたり、恐怖心を抱えたり、同世代と同じような生活ができなくて学校や友達や趣味に時間が使えず、自分が何を好きなのかもわからない状況になったりするのは問題だと思います。

大人は「自分だってやってる」と子どもを大人扱いして済ませてしまうことがあるのですが、その年齢でその役割を担わされているのは、子どもの負担として適当か、という視点は必要だと思います。

このように、時代の変化が家族の役割や時間にもたらした影響への意識が希薄な状態で、「子どもまでもがそんな大変なケアに巻き込まれている」ことに世間がびっくりしたところがあります。子どもは自分で説明することが難しく、大人がきちんと考えなくてはならないということもあり、ヤングケアラーは注目を集め、社会課題として見られるようになりました。

——公的な支援を十分に受けられず、家族がケアの主体となっていることにはどんなデメリットがありますか。

最大のデメリットは、何でも家族で担うことになっているために、「自分のことだけでも大変なのに、家族なんてとても持てない」と、家族を持つことを「怖い」と感じる人が増えてしまったことかもしれません。

北欧では家族が行き来する頻度が高いそうですが、1回のケアに使う時間が短いと言います。ケアが大変だと、関わり自体を避けてしまうようです。それは育児も同じことが言えて、保育園など外に頼れるものが複数あると肩の力を抜いて関われるのですが、自分1人で担わなくてはいけないと思うと恐れをなしてしまうと言われています。

なんでもかんでも家族に頼ることは一時的には公的な支出が減っているように見えますが、その分を親が負担しています。日本では奨学金を借りている人も多いですし、その返済もあって、自分の生活で精一杯になってしまうと、若い人は子どもを持てないと思ってしまう。一瞬は得したように見えても、長い時間軸の中では、働く人が減って税収も減ってしまいます。

——家事や育児を外注するにもお金がかかってしまいます。所得に関係なく子育てしやすくなるためには、公的サービスの充実が必要でしょうか。

そうですね。民間サービスは家計に余裕のある人しか使えません。経済的に余裕がなければ、子どもにしわ寄せがいったり、親が働くのを諦めたりと、結局負の循環が起きてしまうでしょう。

金銭的なことに加えて情報の格差もあって、高学歴ほど共働き志向で、家事も分担して当然という意識が強い一方で、教育年数が短い人ほど、従来の性別役割分業を前提とした家族意識を持っている傾向があります。共働きの家庭のメリットが十分に理解できる機会がないと、「今まで(親の世代が)そうだったから」と意識をアップデートするきっかけもないんですよね。公的なサービスがあることは、社会が変容する過程で大きな意味を持つと思います。

もし自分かパートナーが病気になったら、うちの子はどうなる?

——「ヤングケアラー」という言葉を知ってる人は増えつつあると思いますが、次のステップとしてどのような課題を感じていますか。

「自分ごと」として捉えている人はどれくらいいるのか疑問に感じています。現状、「大変だね、偉いね」と他人ごとで見ている人が多いのではないでしょうか。

でも、今の社会の仕組みだと、ちょっと状況が変わったら同じような境遇になる人は少なくないはずです。「自分か配偶者が病気になったら、うちの子はどうなるんだろう?」と想像してみてください。親戚が遠くに住んでいて頼れないのであれば、親のどちらかが病気になったり離婚したりすると、かなりの確率で子どもはヤングケアラーになるかもしれません。

「家族のことは家族でカバーするのが良いこと」とされている社会では、子どもがいつヤングケアラーになってもおかしくありません。子どもに頼る以外の方法でどんなことができそうか、想像を膨らませることが求められていると思います。多くの人にとって、ケアは突然やってくるもの。何も考えてなければ、「ごめん、やってくれない?」と子どもにお願いするしかなくなります。

日頃から子どもの保護者同士で意識的につながりを作ることは大事だと思います。どうしても外せない用事があるときに、「今日なら休みだし、うちの子と一緒にごはん食べさせてあげるよ」というママ友パパ友に見てもらうなどして、お返しできるときにする。しがらみが面倒だという気持ちがあるのも、なかなか必要に迫られないと行動に移しにくいのも、わかるのですが。

公的な制度は必要だとは思いますが、一気に進むものではないです。少し前は「地域の繋がりで支え合う」という言葉を聞きましたが、今の時代、地域でボランティア活動できる人はどれだけいるのでしょうか。みんな働いていますし、今まで地域活動を担ってきた人はもう高齢。地域に時間と余裕のある人がいるというのは幻想なんですよね。そういった現実から、忙しい人たちが少しずつできることをして繋がっていくしかないと思います。


※「ヤングケアラーの実態に関する調査研究 報告書」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)
https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2021/04/koukai_210412_7.pdf

 

『ヤングケアラーってなんだろう』(筑摩書房)の表紙
『ヤングケアラーってなんだろう』(筑摩書房)

【プロフィール】
澁谷智子(しぶや・ともこ)

1974年生まれ。成蹊大学文学部現代社会学科教授。専門は社会学・比較文化研究。著書に『ヤングケアラー――介護を担う子ども・若者の現実』(中公新書)、『コーダの世界――手話の文化と声の文化』(医学書院)、編著に『ヤングケアラー わたしの語り――子どもや若者が経験した家族のケア・介護』(生活書院)、『女って大変。――働くことと生きることのワークライフバランス考』(医学書院)など。
 

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雪代すみれ

雪代すみれ

フリーライター。企画・取材・執筆をしています。関心のあるジャンルは、ジェンダー/フェミニズム/女性のキャリアなど。趣味はヘルシオホットクックでの自炊。



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