テレビを見なくなって4年。得たものは多い一方で、会話のテンポが行方不明に…【連載 #発酵適齢期】
第29回『発酵適齢期』、テーマは「テレビを見ない生活」です。
こんにちは。ライターの高木沙織です。29回目の『発酵適齢期』、今回は「テレビを見ない生活」について。
NO TV NO LIFE、静かな環境ってなに?
物書きたるもの、シンと静まり返った環境で集中力を研ぎ澄ませながら黙々と執筆すべき―。イメージは、明治~昭和初期の文豪が文机の前であぐらをかきながら原稿用紙にペンを走らせる姿です。ちょっと古風かもしれないけれど、いかにもな感じがして密かに憧れているんですよね。
しかしまあ、その姿を改めて思い浮かべてみると、かつての文豪たちってすごくストイック。文机とあぐらだなんてお尻が痛くなるのは確実だし、手書きで原稿をしたためていたら腱鞘炎になることだって容易に想像できます。長きにわたって読まれ続ける名作が誕生した背景には、文豪たちのお尻や手首の悩ましい痛みがあったことでしょう。
それともうひとつ注目したいのが、静まり返った環境の部分。当然のことながら彼らが生きた時代にテレビはなく、聞こえてくるのは人の話し声や生活音、自然の音が中心だったのではないでしょうか。
かたや私ごときのライターが、テレビをガンガンにつけて気を散らせながら原稿を書くだなんてまったくけしからんわけです。ときには、(うるさいかも)とボリュームを下げてまでテレビをつけているのだから、(それなら消したら?)と自分でも突っ込みを入れたくなる始末。
こんなふうに、起きているあいだは見ている・見ていないに関わらずテレビをつけっぱなし。どうしてテレビを消さないのかというと、これといった理由はなく何となくとしか言えないから習慣って恐ろしい…。そんな私ですが、実は今年でテレビを見ない生活4年目に突入しているんです。
環境の力は偉大なり
長らく住んでいた千葉市内のアパートから、同じ千葉県内とはいえ自然豊かな祖父母と兄が暮らす家に引っ越しをしたのは、今から4年前の2020年春―。37歳のときです。
引っ越しの理由はすぐに思い浮かぶだけでも5つはあって、なかでも家族の心配ごとは特に大きく住み慣れた快適な環境を離れるのには十分な理由でした。
さて、引っ越し先の祖父母宅はもうすぐ築100年をむかえる古民家です。8畳の和室と、祖父が使っていた書斎を仕事部屋として借りることになった私は、まず千葉市内での暮らしで蓄えた9年分の荷物を減らすというミッションに取りかからなければなりません。それはもう、大量…なんてものじゃなく、何年も着ていない洋服や使っていない美容グッズ、わちゃわちゃとした雑多なもの、ソファにテーブル、冷蔵庫、電子レンジなどの家具・家電。この片づけ、永遠に終わらないんじゃないか…と、ときに投げやりになりながらも、最後の最後でようやくテレビをどうするか問題にぶち当たったのでした。
祖父母宅の8畳間は長押(なげし)にご先祖様方の写真が掛けられ、年代物の桐箪笥がズラリ。そこにテレビを置いてゴロゴロしながら見るのは、うちの子孫ときたら…とバチ当たりなことをしているようで気が引けます。それなら、居間と台所でテレビを見よう。と、結局テレビは持たずに引っ越しをしたのでした。
ところが…。
「沙織、テレビを見ててもいいからな。ばあちゃん、もう寝るから」
引っ越し当日の夜。居間で祖母と談笑していたときです。
時刻は18時半。
83歳の祖母は、となりの部屋へと引き上げていくではないですか。(この時間に寝れるの?)と驚きつつ、テレビ画面に映し出した番組表をチェックしていると、隣室の電気がフッと消えます。上半分が曇りガラスになった障子からは、こちらの明るさがダダ洩れになっているに違いありません。(これじゃあ、まぶしいよね)そう思い、もう一台のテレビがある台所へと移動。ひとりで引っ越しパーティでもするかと缶ビールとポテチを手にテレビの前に座ると、急に胸の奥がソワソワしだしてどうも落ち着きません。
それもそのはず。家のまわりには、ほかの民家も外灯さえもない環境ですから、夜になるととんでもなくひっそりと静まり返るんです。まるで、夜の海に浮かぶ一隻の舟状態。電気をつけていてもどことなく薄暗いのは、夜は寝るためだけの時間だと言わんばかり。テレビから笑い声や歓声が流れてくればくるほどに孤独感が増し、じわじわと見る気が消失していくのでした。
迎えた翌日―。仕事をする書斎は、居間からも台所からも離れた場所にあるため、これまでのようにテレビをつけながら…とはいきません。当初はテレビを見る時間が減ったことで、急激に情報弱者になったような、社会とのつながりが絶たれたような打ちひしがれた気になったりもしていたけれど、一ヶ月ほど経ったある日こんなふうに思ったんです。
(そういえば最近、気持ちの揺らぎがあまりない)
このときは、一回目の緊急事態宣言真っただ中。テレビがついているというだけで、集中して見ていなくても、さまざまな情報を拾ってしまいます。それが、自分が欲している情報だったり、知って得する情報だったりすればいいのだけれど、(こんなことが…)とか、(これからどうなっていくんだろう)とか、必要以上に不安をあおるような内容も然り。
情報過多で心がざわつきがちだったことに気がつくと、テレビをつける代わりにネットで自ら選んだニュースだけを見るようになっていきます。
テレビが消えていると、聞こえてくるのは風の音や虫の声、家族の会話。かの文豪たちと同じような環境に身を置くことで、さぞかし仕事がはかどるだろう…これっていいことばかり。って、そこは私ですから。スマートな原稿がサクサクと書ける日もないことはないけれど、進み具合はぼちぼちといったところ。とはいえ、総じて自由な時間は増えました。そこですることといったら、読書です。もともと読書は好きだったけれど、より時間を費やしたことで、語彙力・想像力が増していったのは確かだと思う。
約半年間にわたる祖父母宅での暮らしですっかりNO TV LIFEに慣れると、次の引っ越し先である今の家でも自室にテレビを置くという選択肢はありませんでした。なきゃないで、全然イケるんです。少し前は、テレビを見ない人=自分の世界を確立している浮世離れした人(いい意味で!)なんて思われがちだったけれど、別に今はバラエティ番組やドラマ、映画の多くはスマホで見られる時代です。
読書量がますます増えると仕事の幅が広がり、これまで挑戦したことがなかったWEB小説の連載が決まったときには自分が一番びっくりしました。
もちろん、テレビが悪いわけではありません。けれど、すっかりテレビに依存していた私に環境の変化が強制終了をかけてくれたのか、ようやくしっくりくる暮らしを手に入れられたような気がする。
ただ、ここでひとつだけ問題が発生。人と会話をするときのリズム感というか、間というか、テンポ?がつかみにくい…。読書中って、句読点を頼りに読み進めていくじゃないですか。だけどリアルな会話には、独特のテンポがあって。気を付けないと「私は、今日髪を切りに行きました。長さはミディアムで、セットするときは、まず~」みたいな句読点を強調した文字文字した話し方になってしまう。
そんな私の次の目標は、外に出て人との会話に慣れる―です。
ではまた、30回目で。
AUTHOR
高木沙織
ヨガインストラクター。「美」と「健康」には密接な関係があることから、インナービューティー・アウタービューティーの両方からアプローチ。ヨガインストラクターとしては、骨盤ヨガや産前産後ヨガ、筋膜リリースヨガ、体幹トレーニングに特化したクラスなどボディメイクをサポートし、野菜や果物、雑穀に関する資格も複数所有。“スーパーフード”においては難関のスーパーフードエキスパートの資格を持つ。ボディメイクや食に関する記事執筆・イベントをおこない、多角的なサポートを得意とする。2018~2019年にはヨガの2大イベントである『yoga fest』『YOGA JAPAN』でのクラスも担当。
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