アジャストメントに潜む罠|現役ヨガ講師が大怪我を通して感じたこと

 アジャストメントに潜む罠|現役ヨガ講師が大怪我を通して感じたこと
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ベテランヨガティーチャー同士の間でなぜこのようなことが起きたのか

もうそろそろベテランと呼ばれても良いような年数を教えている先生同士の間で起こった今回のこの怪我。実は、ヨガの初心者同士だからうっかり怪我につながったという話ではないのです。ではなぜ、このようなことが起きてしまったのでしょうか? そこにあるのは、先生と生徒、それぞれの心の背景にあるお互いへの強い依存ではないかという仮説にたどり着きました。

「アジャストしたい先生」の心の背景にあるもの

強いアジャストをしてしまう先生、強いアジャストを好む生徒のこころの背景にはなにがあるのでしょうか? まずヨガの先生であるみなさん、クラスで生徒に必要とされる事に気持ちよくなっていませんか?もっとやってあげよう、気持ちよくしてあげよう、と思った事はありませんか?その「やってあげよう」という思い、本当に生徒のためですか?

…それとも自分のためですか?

ちなみに正直に言います。私はクラスでやってあげようって思い、めちゃくちゃありました!人間ですもの。そりゃ認められたら気持ちいい。わかります。質問されたら答えをあげたいし、助けてあげたい。色々なものをみせてあげたい。「私」が!
私がティーチャートレーニングを教えはじめたのは十数年前。ある先輩が、そんなふうに自己陶酔している私の姿勢を見て真剣に叱ってくれました。「まゆみ、生徒に全て答えをあげてどうするの?生徒から考える力、感じる力を奪ってどうするの?そんなことを続けてあなたがいなくなったら、みんな何もできなくなっちゃうんだよ?それ、あなた先生って言える?しかもあなたはヨガの先生の先生なのよ。いい加減自覚を持ちなさい」と。この、あまりにも直球で核心をついた先輩先生の言葉は、突然顔面におもいっきりビンタされたような、衝撃的なものでした。
完全にその通り。私の傲慢でうぬぼれた態度。優しさと言う殻を被って自分を正当化し、承認欲求を満たそうとしていた私。この「心のビンタ事件」を思い出すたびに、今でも穴があったら入りたい気持ちになります。

先生はなにを伝えたいのか。生徒をどうしたいのか。

これは何度考えても良いと思います。ヨガの先生はヨガのプロ(であるべき)であり、医者でも運動指導のプロでもない。それをもう一度自覚し直したいものです。今はお金を払えばヨガを教える資格がもらえる時代。誰でもヨガの先生になれちゃう。でもそんなの言われて悔しくないですか?プライドを持って自分をヨガの先生と呼ぶなら、専門外のことに逃げないでヨガを教えようよ。そんなふうに私は思います。

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