「薬物を使ったことを後悔していない」回復者が語る依存症の実態と「だらしない人」という誤解
依存症について「意思の弱い人がなるもの」「気合いが足りない」といったイメージを持っている人もいるかもしれませんが、依存症は「脳の病気」と言われます。誰でもなる可能性があります。『専門家と回復者に聞く 学校で教えてくれない本当の依存症』(合同出版)の著者で、特定非営利活動法人ASK認定依存症予防教育アドバイザーで、自身も薬物依存症の当事者である風間暁さんに、依存症の真実について話を伺いました。
「産まなければよかった」という母親の言葉
——まず、風間さんのご経験からお話しいただけますでしょうか。
幼少期に母から虐待を受けていて「産まなければよかった」とも言われていました。そんな環境下で過ごし続ける中で、父が飲酒運転で事故を起こしました。被害者家族への謝罪に行った際、被害者のご家族から「その子が代わりに轢かれればよかったのに」と言われます。親からも他人からも存在を否定されて、小学校5年生の頃には「自分は死んだ方がいい人間だ」という考えを固めていました。
その後、両親が離婚。「加害者家族」として差別され、地域で過ごしづらくなり、母と2人で引っ越しをします。転校した先でやんちゃなグループと仲良しになり、そこで薬物・酒・タバコを覚えていきました。
——それがきっかけで依存症になったのでしょうか?
いえ、のめり込むことはなくて、使いたくてたまらなくなるようなことはなかったんです。薬がないと生きていけなくなったのは、補導されて入所した児童自立支援施設で生活をしていたときです。オーバードーズ(OD)を覚えて、施設を出た後も処方薬がないと生活できなくなって。すぐに薬がなくなってしまうのですが、医者に行くのは面倒なので、途中で市販薬や違法薬物も使うようになりました。だんだんとお金がなくなっていくと、稼ぐために外出するようになって警察の目につきやすくなります。
最終的には周りから「そろそろあいつ捕まるんじゃないか」と思われて孤立します。仲間だと思っていた人たちから避けられて、寂しさが湧いてきました。虐待などのフラッシュバックも起きて、両親や自分のことを否定してくる人を殺して自分も死にたいと思うのですが、薬を飲むとおさまって穏やかになる。
薬を使い続けると、耐性がついてだんだんと使う量が増えて、よりお金もかかって……という生活を何年も続けていたある日、薬が切れたときに「そもそもこんなことまでして生きているのはコスパが悪い。死んだら全て終わって楽になる」と思って自殺未遂をしました。
集中治療室に搬送された後、精神科に転院し、薬物依存症の診断を受けます。依存症の人は「診断を受けてほっとしました」と話す人もいますが、私は「うるせえよ」と思ったんです。そうやってまたレッテルを貼るのか。そもそも死にたかったのに、なんで勝手に助けるんだろうって。私の「死にたい」という気持ちを誰も聞いてくれない中で、「依存症だから薬をやめて健康になっていきましょう」と勝手に治療方針を決められることが、私の意思を大事にされない感じがして、ずっと反発していました。それで薬をやめてお酒を飲むようになったんです。
分岐点となったのは、パートナーとなる男性と知り合い、子どもを授かったこと。それまでは惰性で薬をやめていたのですが、妊娠がわかってから「この子のために薬物やお酒を全部やめたい」と初めて思ったんです。それまでは将来や先のことを考えられなくて、家庭を持ちたいか持ちたくないかも考えたことがなかったですし、いつ死んでもよかった。初めて自分の人生に未来の軸ができる感覚がありました。薬やお酒をやめないと、この子を苦しめることになる。「私の親みたいになるのは嫌」と思って、自分から病院に通うようになりました。
——妊娠をきっかけに「死にたい」とも思わなくなったのでしょうか?
いや、今でも「死にたい」と思うことはありますよ。実行に移さずに、思うに留めることができるようになっただけです。
——死にたい気持ちの濃度に変化があったのですか?
「死にたい」気持ちの濃度は、今も昔も変わっていないのですが、それを希釈するための液体を見つけた、とでも言いましょうか。それは子どもの存在もありますし、自分で病院に行くようになってから出会った主治医の先生や、私が所属する団体であるASK代表の今成知美さんなど、希釈液をかけてくれる人たちがいるから、死にたい気持ちが薄まる感じです。
——妊娠を機に気持ちに変化が生じ、依存症に向き合い始め、結果的に信頼できる人たちとも出会えたということでしょうか。
そう。運ですね。子どもを授かるのも運ですもの。色々な境遇の友人がいて、不妊治療したけれども無理だったとか、セクシャルマイノリティのカップルで子どもが欲しくても選択肢が限られているとか。多様な話を聞いているうちに自分の特権性を自覚でき、感謝の気持ちが湧いてきたことも、考えや行動が変わったきっかけとして大きいかもしれません。
依存症への誤解
——依存症について、「意思が弱い」などの誤解はまだ残っているように思います。
依存症の医学的定義は専門医にお任せしたいのですが、当事者として話せることは、一つの対象だけにのめり込みすぎて、日常生活が立ち行かなくなり、本人がものすごく困ったときに依存症と診断される可能性があるということ。
「自己管理のできないだらしない人」というイメージを持たれることも多いですね。本人が病気でコントロールできずに困っているということを置き去りにし、レッテルを貼られてしまうと、さらに病気を進行させてしまうおそれがあります。アクティビストの先達の努力もあって、最近では「依存症は病気」だと理解している人や、依存症アライ(理解者)は増えてきているように感じます。
一方で「依存」自体が悪いことなのかについては、病気の話とは別で議論していくべきだと私は思うんですよね。誰もが何かしらに依存はしています。たとえば仕事終わりの一杯とか、SNSや恋人の存在など、多くの人はそれなりに色々なものに依存しながら、なんとかやり過ごしながら生きている。にもかかわらず、画一的に「依存は病気だから治すべきだ」という風潮になると、個人的には違和感があるんです。そもそも依存症の人だって、シラフで生きるのがつらいから、依存対象にのめり込んでいるのに。「やめたら死ぬしかない」という状態の人もいることをわかったうえで「治すべき」と言っているのかは疑問に思います。
——依存症の背景には何かしらの心の痛みがあるのだと思いますが、薬物乱用防止の「ダメ。ゼッタイ。」という標語に関しては、「ダメと言っているのに守れない、弱い意思の問題」という誤解に繋がる気がします。
依存症の実態の理解は進んできているのに、なぜなくならないのか不思議です。依存症の予防は三つの柱があります。一次予防の「最初の使用を予防すること」、二次予防の「進行を予防すること」、三次予防の「再発を予防すること」です。
「ダメ。ゼッタイ。」は一次予防だけ強調しているんですよね。一度使った人間を引き合いに出して、「あんなふうになっちゃうのは嫌でしょう?」「使ったら怖い病気になるから絶対ダメ」と強調して脅す形で防ごうとしているのかなって思います。私も子育てをしているのでわかるのですが、子どもに教えるにあたって、説明するより怖がらせる方が、短期的は大人が楽なんですよね。でもそれは、子どもたちが真実を知る機会を奪っていますし、子どもたちの考える力を舐めていると思います。
過去を否定しない=生きてこられたことを喜ばしく思えるようになった
——風間さんは過去のご自身の薬物依存の経験をどう捉えていますか?
薬物を使ったことを恥じていないですし、後悔もしていないです。過去の自分も含めて受け入れています。ちょっと強い言い方になるのですが……薬物依存症の背景を知れば知るほど、私は薬物を使っていなかったら、憎悪だけで生きていて、人を殺すか自分を殺すかの2択だったと思います。言い換えれば、薬物を使ったから誰も殺さずに済んだし、今生きているんです。日本ではいまだに一部の薬物が犯罪なので、肯定されることはほぼありませんが、私は、自分のそういう考えを否定されたくないんですよね。
薬物使用の過去を否定しないでいられるようになったということは、自分が生きてこれたことを自分で喜ばしく思えるようになったということでもあって。「薬物を使ったことを後悔したことないです」って言い切れることが、私の人生の、回復の証左の一つでもあります。
一方で、メディアに出るときに「目覚ましい回復と更生を遂げた人」「かつてはこんなに悪いことをしていたものの、素晴らしい人との出会いで、今はこんな社会的な活動をしている人」というように扱われることがあるのですが、実は、薬物をやめ続けていることを褒められるのも、私は嫌なんですよね。「薬物を使ったら褒められない感」で、ある種コントロールされているみたいで。回復しても聖人になるわけではないですし、実際はもっと揺れ動いていて、不安定になるときもあります。
——「回復した人」について、過去を思い出さないとか「完全に乗り越えている人」というイメージを、世間は持ってしまいがちだとも感じます。
あったものがなくなるわけではないですからね。先日もフラッシュバックして「薬使いたい」って思いましたし。めちゃくちゃなことを経験してきたので、そういう後遺症は当然あります。
波が去ると「またフラッシュバックがきた。最悪」と思いながらも、「この苦しみは今起きていることじゃない。私は親に背負わされているだけ。私は何も悪くない」と再確認する時間にもなっています。フラッシュバックのときは母の「産まなきゃよかった」という声が脳内を駆け巡るんですよね。でも「お前が『死んでほしい』と思っていた私が生き延びて、お前より幸せに過ごしているのを見せつけてやる」と、思い通りにはなってやらない!という気持ちをフラッシュバックの度に持ち直しています。それが私のフラッシュバックとの向き合い方ですね。
※後編に続きます
【プロフィール】
風間暁(かざま・あかつき)
特定非営利活動法人ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)社会対策部。ASK認定依存症予防教育アドバイザー。保護司。自らの経験をもとに、依存症と逆境的小児期体験の予防啓発と、依存症者や問題行動のある子ども・若者に対する差別と偏見を是正する講演や政策提言などを行っている。2020年度「こころのバリアフリー賞」を個人受賞した。分担執筆に『「助けて」が言えない 子ども編』(松本俊彦編著、日本評論社、2023)など。
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