「どうせ私なんか…。自分を大切にできず幸せを感じられない」【専門家に聞く「悲嘆」との向き合い方】
「悲しみ」は、生きていれば誰でも経験する感情です。悲しみのない人生はあり得ないとしたらゼロにしようともがくより、悲しみと手をつなぎ上手く折り合いをつけるほうに意識を向けてみませんか。必要なのはちょっとした視点の切り替えであり、新たな視点を身に付けると悲しみが運んでくる大切な気付きを受け取ることができます。今回は「自分を大切にできない」ゆえの悲しみをテーマに、臨済宗曹渓寺の僧侶でグリーフケア(悲しみのケア)にも詳しい坂本太樹さんに話を伺いました。
他人軸ではなく、あなた自身を拠り所とする生き方へ
― 「どうせ私なんか」という思いに囚われるのは、例えばSNSの影響で他人と比較する癖が強かったり、あるいは子供の頃に受けたいじめや、大人から十分に愛情を注いでもらえなかったりする場合が考えられます。坂本さんはどう思いますか?
「周りからの期待に応えたいけど上手くいかず、理想と現実のギャップに落ち込み自分はダメだと思ってしまうと、比較したり羨望の眼差しで他人を見ることもたまにはあるでしょう。または、世間の『あたりまえ』を気にしてその枠から外れると、引け目を感じることがあるかもしれません。『みんなが言っているから』、『昔からそうだったから』という理由で常識を決めがちですが、『みんなって誰?』と問われると明確な答えはなく、『昔っていつから?』と聞いてみると、たかだか50~60年ほど前にその時の社会や環境に合わせて作られたしきたりや習わしだったりすることもあります。これからの時代にあっては、本質を忘れない中にも今を生きる私たちの世代が作る『あたりまえ』もあってしかるべきだと思います。みんなと同じであることを良しとする傾向がある中で、周りに同調することに不都合を感じなければ問題ないですが、生きづらさがあるなら考えを変えていいと思います」
― 足りない部分に目を向けず、自分のアイデンティティを自覚できると変われるかもしれませんね。
「仏教には、自分自身を拠り所とする生き方を説く『自灯明(じとうみょう)』という教えがあります。周りの情報や世間に惑わされず、自分の心が信じるものを灯にして支えとして生きましょうということです。隣の芝は青く見えるけど幸せは自分の心が決めるものです。人の目から見てどう思われるかは自分の幸せには関係ありません。等身大の自分の幸せは何でしょうか。他人は素敵な花を咲かせているように見えるかもしれませんが、すべての人が大きくきれいな花を咲かせることもないでしょう。花をつけない植物もあるように、何事にも揺るがず根をしっかり張り続ける人生もいいかもしれません。自らを拠り所とする生き方を根幹に据えると比較癖が和らいでいくと思います」
― ヨガでは、「最終的な師は自分の中にいる」と伝えています。つまり、何かを学ぶうえで先生となる存在は大切だけど、最も大事な決断は自らに聞いて行うと後悔しないという意味です。自灯明と通じる自分軸のようなものを感じます。でも、自分を認められない人に「あなた自身を信じて」というのは難しく、何から始めればいいでしょうか。
「まずは小さくても自分ができていることや、周りにあるものに感謝してみてはいかがでしょうか。今一度初めての気持ちを思い出し、自分ができていることに目を向けて、喜び、感動し、感謝して幸せだと自覚する。そういう積み重ねのうえで少しずつ自分を認めていくのです。あるいは、自分が何かを素敵だなと思う感性を信じて大事にしてみる。その感性は周りと同じである必要はなく、むしろ違うからこそ尊く埋もれないように大切に育てていくと、どうせ私なんかという思考は薄れていくと思います」
自己肯定が難しければ、否定する私も受け入れてみる
― 「自分に自信が持てない」という話をする時、自己肯定感という言葉が頻繁に登場します。自己肯定感を上げようという風潮をどう思いますか。
「自分を好きなのは何よりですが、嫌いな部分や思い出しただけで恥ずかしいなどと感じる部分も含めて自分です。私が仏門に入った際、『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、父母に逢うては父母を殺し……』という言葉を教わりました。これは実際に殺すということではなく、社会で真実とされていることや自分を縛っている価値観、敬うべき存在からいただいた教えでさえ手放し、我見を捨て去り、これからは自分で体得したことを信じていくという修行にあたっての心構えを表しています。修行の初めの一年は『虫けら以下の存在』と扱われ、ありとあらゆる術を使って自分というものを全部潰されるのです。言葉だけでは伝え尽くせない教えを水に例えるならば、師の器に入っている水を移すがごとく私の器に注ぎ入れようとしても、我見やいらぬ矜持があるとすべてを受け取れずこぼれてしまい、その本質が伝わらないからです。これは禅の修行においては必要な課程で修行の第一段階とも言えますが、自己肯定とは全く反対にあたります。でも自己を否定するどころかすべてを潰されるような経験の後に、その先にある自分を見つけていくようなこともあるわけです」
― 仏門の修行と一般社会では考え方に違いはありますが、かならずしも肯定感を高める方向に行かなくてもいいということでしょうか。
「そうですね。もちろん、自分を肯定する気持ちが高まれば心に余裕が生まれ前向きな気持ちになっていいこともあるでしょう。しかし、人間はアップダウンの繰り返しの中で生きるのが常であり、ずっといい状態で人生を歩むのは難しいでしょうし、逆にずっと悪い状態が続かないのも人生です。あるアーティストが『なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう』と歌っておいでですが、私は自分のいいように勝手に解釈してとてもいい言葉だと思って大切にしています」
自分に問い自らをよく知ると、愛しさが深まる
― 子供時代に十分な愛情を受けていないなど、生育歴が今の心の癖に関係している場合、一長一短では改善できない根深さを感じます。
「今の自分を認めて愛してあげるのが第一歩、と言いたいところですが、そもそも自己愛が欠けている方に自分を愛してというのはハードルが高いかもしれませんね。私も自分を好きになれない時があります。しかし、好きになれなくても自分の中の感謝する部分を探すことはできるかもしれません。自分のいい部分と負の部分にも目を向けて、『そういう私を核の部分の自分はどう受け取っているかな』と考えながら、自己を拠り所にできるようになると生きるのが少し楽になると思います」
― 私自身の体験ですが、自己対話の機会を増やすのはどうでしょうか。「なぜ自分のことが嫌いなの?そんなに責めてしまうの?」と問いかけてみる。人は問われると自然と考えが巡り、答えを導き出そうと思考が働くものです。辛い過去と向き合う作業ですが、辛さを超えてきた生命力にも気づけます。
「確かに問いに対して考えていくと、他の人にない自分の魅力や役割に気づき、思っていた以上に頑張っているし努力が報われているという事実を再認識できるかもしれません。人に指示されるより、自分で出した答えに納得がいくことは多いですからね。前提として無理はしない、急に切り替わるものではないと認識したうえで長い時間をかけて自分の中で対話していくのはいいことだと思います」
― 自己と向き合う大切さを説く仏教の教えがあれば教えてください。
「臨済禅の世界では、『己事究明(こじきゅうめい)』あっての『為人度生(いにんどしょう)』と考えられています。己の事を究め明らめることを怠らず、自分をよく理解してこそ人のために生きられるという意味です。己といっても男だとか、父親だとか、僧侶だとか社会的な属性や役割の類の話ではなく、自らの名前さえ忘れ去った何の位もない、この肉体の中にある思考する元にある核のような己であり、苦しく辛い部分もしっかり抱えて生きていく。この姿勢があったうえで初めて本当の意味で僧侶として人の為にお経を読んだり、お話を聞いてさしあげたりできるのだと思います。己事究明は一生かけて続けていく修行と言えます」
自分への愛が高まる「自己対話の方法」
自己対話の一歩として、まず自分への挨拶から始めて言葉掛けを習慣にしましょう。次のステップとして今のあなた自身に尋ねたい「問い」を投げ掛け、正解探しではなく自分探しなので、今日と明日で答えが違っても問題ありません。素直な心で自分ができていること、周りにあることで感謝できるところも探してみます。心の波が静まる一人の時間に行い、問いに対して自分の中で反応があったら、その動きを大切に受け止めましょう。
〈やり方〉
1.「おはよう、おやすみ、行ってきます、お疲れ様」など、声には出さず心の中で自分に挨拶する習慣をつける。
2. 挨拶に慣れたら、「どうして自分を責めるの?」といった問いを投げかけてみる。もう一人の自分が今の自分に質問するイメージで行う。一日一問でよく、答えが浮かぶまで根気よく質問を投げ掛けてみる。
3. 対話する中で自分の持っているものに感謝できるところが見つけたら、胸の前で静かに手を合わせ「ありがとう」と呟く。
〈プロフィール〉
語り手/坂本太樹さん
1985年生まれ。臨済宗妙心寺派 曹溪寺副住職(東京都・港区)。2008年学習院大学法学部政治学科卒業。卒業後、京都妙心寺専門道場で5年間修行。2016年より2022年まで(公財)全日本仏教会に勤務。その後、大切な人を亡くした悲しみなど喪失による悲嘆を抱える人に対する真の寄り添いを学ぶため、2022年4月より上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学。(公財)日本宗教連盟 宗教文化振興等調査研究委員会委員を務める。
聞き手/北林あい
活字に関わる職業を志したのは小学校3年生のとき。大学卒業後、制作会社勤務を経てフリーランスのライターに転身しグルメ・旅行メディアで執筆。2009年、30代で左乳房に乳がんを発症し、治療過程で正しい医療情報の必要性を強く感じてがん情報や健康に関する分野の取材、執筆に携わる。その後、がんは寛解してもがんで体の一部とこれまでの自分を失ったショックから心の回復が遅れた経験を機に、2022年4月より上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学して悲しみのケアを学び、現在は「心」に関するテーマも執筆。乳がん体験者コーディネーターの資格を取得し、神奈川県の乳腺外科でピアサポート活動も行う。@kitabayashi1101
AUTHOR
北林あい
臨床傾聴士(上智大学グリーフケア研究所認定)。30代で発症した乳がんの闘病中、心の扱い方に苦労した経験からグリーフケア(悲嘆のケア)を学ぶ。現在は、乳がんのピアサポートや自殺念慮がある人の傾聴に従事。医療・ヘルスケア分野を得意とする執筆歴20年超のフリーライターでもあり、「聴く」と「書く」の両軸で活動中。
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