「親との死別後、後悔ばかりで自分を責めてしまいます…」【グリーフケアの専門家が回答】
「悲しみ」は、生きていれば誰でも経験する感情です。悲しみのない人生はあり得ないとしたらゼロにしようともがくより、悲しみと手をつなぎ上手く折り合いをつけるほうに意識を向けてみませんか。必要なのはちょっとした視点の切り替えであり、新たな視点を身に付けると悲しみが運んでくる大切な気付きを受け取ることができます。今回は「親との死別」をテーマに、臨済宗曹渓寺の僧侶でグリーフケア(悲しみのケア)にも詳しい坂本太樹さんに話を伺いました。
死別後に生じる自責の念は、深い愛情の裏返し
― 誰もが避けられない親との死別。第三者から見ると十分に尽くして看取ったように見えても、残された家族は「何もできなかった」と自責に駆られることがあります。何がそうさせるのでしょうか?
「親御さんを看取り肩の荷が下りたと思う一方で、自責に駆られるのは愛情の裏返しだと感じます。愛が深いほど悲しみも大きくなり、もっとできることはなかったかと自分を責めることもあります。このような思いは親子の間で紡ぎ重ねてきた物語があるからこそ生まれるもので、第三者には計り知れない領域かもしれません」
― 親子関係の在り方は様々で、なかには親と疎遠というケースもあります。疎ましく感じていたにも関わらず、死別後に自責や後悔がわくのはなぜでしょうか?
「親御さんが亡くなって自分に意識を向けたとき、ご自身の中に親御さんの存在を感じることはないでしょうか。私のこの口癖は母親と一緒だな、朝のこの習慣は父親もやっていたな……、と自分の成り立ちへの親御さんの影響などを垣間見ると改めて大事な存在に思えて、愛おしさや慈しみがこみ上げてくるのだと思います。実体として会えなくなっても、”精神的ないのち”のようなものに存在を変えて今の私に結びついている。そのつながりの大切さに気付くのは意味のあることだと思います」
― いろいろあって不仲でも亡くなってから心の中で故人との対話が増え、「私の中に居る」のを実感することがあります。実体として近くに居ないからこそ思いを巡らす、その時間を大切にしたいですね。
「そうですね。できれば生きている間にその有難さに気付き思いを伝えることが一番良いことかと思いますが、人間は失って初めて気付くということがよくあります。思い出を通して親御さんとつながるたびに、自分の中にその存在が宿っていると気付くことがあります。実体があるときより精神的ないのちとつながるほうが共に生きている感覚が強いということもあるかもれません」
故人と絆を結び直し、共に生きていけると心が楽に
― 自責の念は愛情の裏返しと言われましたが、その思いが自分を苦しめてしまう場合はどのように折り合いをつければいいですか?
「悲しみもそうですが、力づくで排除しようとすると自分の中に違和感というか不和が生じてしまいます。そんな自分をひっくるめて今の私なんだと、否定も肯定もせずただ受け止めるところからスタートしてほしいです。そして、かかる時間やペースはそれぞれですが、故人との付き合い方は徐々に変化し、実体がなくても故人との”継続する絆”の存在に気付くときが訪れます。その絆を通して今も一緒に生きていると実感し、親御さんが大事にしていたこと、故人から授かったことを生きている私が大切にしていこうという前向きな思考になれると辛さが和らいでいきます」
― 故人との間に生まれる「継続する絆」についてもう少し知りたいです。どのような結びつきを表していますか?
「自責や後悔の念を抱えるのは、死を受け止めている証と言えます。受け止め、受け入れることは実体のある親御さんではなく、前途した精神的ないのちと関係を結び直すきっかけになります。それにより再生された絆が続いていくイメージです。新たな存在としての故人と、そこに継続している絆があると思えることで適正な距離を取れるようになるのではないでしょうか」
悲しみは質感を変え、いずれ慈しみへと変わっていく
― 親との死別に限らず様々な喪失体験をした直後に味わう悲しみは、苦しみを伴います。出口が見えない悲しみとどう付き合えばいいですか?
「”かなしみ”には、悲しみ・哀しみ・愛しみがあると教えていただいたことがあります。喪失体験をするとこの三つのかなしみが行きつ戻りつしながら立ち現れます。死別直後は心が張り裂けそうな痛みを伴う『悲しみ』を背負い、いろいろな人やものとの関わりの中で『哀しみ』と向き合っていく。様々な支えの中で、または自分の中で力を得て絆を結び直し、慈しみが生まれ『愛しみ』と共に生きていく。かなしみが与えるのは苦しみだけでないと知るだけでも心が楽になるのではないでしょうか」
― 季節の移ろいに合わせて木々の葉が色を変えるように、かなしみはなだらかにその質感を変えていくのですね。一方でかなしみが薄れるのは、故人を忘れてしまうようで罪悪感を引き起こす場合があります。
「薄れるというより『かなしみ』の質感が変わる中で、付き合い方が変わっていくと考えてみてはいかがでしょうか。痛みが伴わないと悲しみが薄れたと感じるかもしれませんが、慈しみを持って思い出せるように変化があったと捉えることもできるでしょう。故人の残してくれた言葉や生き方、思い出や記憶があり、自分にそれとなく受け継がれている性格やしぐさ、生活習慣や癖などが残された遺族、親しかった者の中には宿っている。それは今でも自分の中ではとても大切で、そういう精神的ないのちのようなものと共に生きており、絆は続いている。そう思えた時に亡くなってしまい会えないことは受け入れながら、故人を新たな存在として認識し適切な距離感を保ちながらお互いが安らげる場所にいるのだろうと思います」
優しく自分を受け止める「あるがままを観る瞑想」
意識の軸が相手にあり、その人への思いが強いと自責の念などが生まれやすいものです。静かに座り意識を自分に向けて「あるがままでいい」と自身に語りかけて。
〈やり方〉
1.椅子や床に楽な姿勢で座り、目を閉じる。
2.「自責を抱いているのが今の自分です。それが今を生きているということだよ」と心の中で自分に語りかけます。この語りかけを5分間続ける。
〈プロフィール〉
語り手/坂本太樹さん
1985年生まれ。臨済宗妙心寺派 曹溪寺副住職(東京都・港区)。2008年学習院大学法学部政治学科卒業。卒業後、京都妙心寺専門道場で5年間修行。2016年より2022年まで(公財)全日本仏教会に勤務。その後、大切な人を亡くした悲しみなど喪失による悲嘆を抱える人に対する真の寄り添いを学ぶため、2022年4月より上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学。(公財)日本宗教連盟 宗教文化振興等調査研究委員会委員を務める。
聞き手/北林あい
活字に関わる職業を志したのは小学校3年生のとき。大学卒業後、制作会社勤務を経てフリーランスのライターに転身しグルメ・旅行メディアで執筆。2009年、30代で左乳房に乳がんを発症し、治療過程で正しい医療情報の必要性を強く感じてがん情報や健康に関する分野の取材、執筆に携わる。その後、がんは寛解してもがんで体の一部とこれまでの自分を失ったショックから心の回復が遅れた経験を機に、2022年4月より上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学して悲しみのケアを学び、現在は「心」に関するテーマも執筆。乳がん体験者コーディネーターの資格を取得し、神奈川県の乳腺外科でピアサポート活動も行う。
AUTHOR
北林あい
臨床傾聴士(上智大学グリーフケア研究所認定)。30代で発症した乳がんの闘病中、心の扱い方に苦労した経験からグリーフケア(悲嘆のケア)を学ぶ。現在は、乳がんのピアサポートや自殺念慮がある人の傾聴に従事。医療・ヘルスケア分野を得意とする執筆歴20年超のフリーライターでもあり、「聴く」と「書く」の両軸で活動中。
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