愛着を持つのはそんなに悪いこと?

 愛着を持つのはそんなに悪いこと?
YJ US

スティーブン・コープは、瞑想的な伝統として愛着への嫌悪 ― 愛着を持たない傾向(ヨガではヴァイラーギャ) ― があると考え、愛着を持つことはそんなに悪いこと?と問いかけた。

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30年以上、瞑想をプラクティスしてきたが、愛着に対する瞑想の伝統的な考え方に戸惑いを感じてきた。しばしばそれは苦悩だとされ、愛着とは苦しみの最大の源の一つだとされている。とはいうものの私は、実際には人生の中で多くの人たちへの深い愛着を持ってきた。それに加えて、私はそれを楽しみ、頼りにし、深く支えられていると感じている。一体どうしたことだろう?

この興味深い難問は、十分に検討されたことも、瞑想やヨガの教えの中で解析されたこともないようだった。私はこの問題を4年間に渡り深く考えることにした。

愛着への4年間に渡る探求

過去4年間に渡り、私自身の感情的な愛着を探求し、結果として私の最新の本である”Soul Friends: The Transforming Power of Deep Human Connection”を出版することになった。
探求を始めるために、書斎に腰掛けて以下の疑問点を熟考した:

  • 人生で最も愛着を感じているのは誰か。
  • その愛着の本質は何か。
  • その結果はどんなものか(善し悪しは別として)?本質的な良い点と悪い点は?

この楽しくてやりがいのある自己精査を自分自身で行うことを強くお勧めする。ヨガの伝統では、これを『自主学習』またはスワダヤーヤと呼ぶ。私の研究では最も重要な14人のリストができた(驚くほど速く)。私の人生において『変革の仲介者』だった人たちだ。この一人一人の写真を集め、机の周りに置いた。それからその中に飛び込み、それぞれの人についてのショートエッセイを書いた ― どうやって知り合ったのか、彼らのどんなところが好きなのか(私のどんなところが好かれているのか)、どのようにして私を変革し、今日の自分を形作る助けになったのかと。

途中で、実際に『変革が起きたのはまさに愛着の中』だと気付いた。愛着は許容されるだけでなく、不可欠だ。(本当にイギリスの偉大なる心理学者、ジョン・ボウルビィは他者への安定した愛着は健全に育つための必要条件だと述べている。ボウルビィは、苦しみは不安を抱くような、回避性で無秩序な愛着からくる、と明確に述べている。)

あなた自身の深い愛着がどのように自分を変革したのかを考えてみよう。私の大学時代の親友セスを例にする。私たちが出会ったのは、ある夏に家の塗装事業のために彼を雇ったときだった。セスは向こう意気の強いアイルランドの若者で、純真で、ほぼ会った瞬間から私は彼をとても気に入った。最初の夏を通して、猫のようによく喧嘩もしたが。彼は根性があり、賢く、大胆不敵で、私の母校のアマースト大学の近くにあるマサチューセッツ大学の学生だった。

セスは私の人生で最も深い友情を結んだ一人だ。初めからお互いに、考え、願望、将来の夢、過去の話にとても興味を持っていた。長い時間を共に過ごし、家に塗装を施すだけでなく、ホールヨークの山をハイキングしたり、アマーストの農村辺りの森でキャンプしたりした。


私たちが愛着を持っていたかって?その通り。私たちは毎日話し、互いに目を配る大切な存在だった。喧嘩してもすぐに仲直りした。彼のケルトの野蛮人気質が時々はそれを邪魔していたけれど。この愛着の本質は何だろうか?主に、深く『つながる』気持ち ― まさに魂の根底にまで続くもの。継続的に魅了され、お互いの心と体にさえ触れることが必要だった(性的なものではない。むしろ、私たちは格闘したり、スポーツ、ハイキング、仕事で競い合った)。世界はお互いがいることでより完璧になった感じだ。強い熱心さは、これまでで経験した中で最も深い愛の形の一つだった。


では何が問題なのだろう?本当に苦しんだ状態?この愛が私たちを悩ませたりするのだろうか?うーん、答えはノー。そして、イエスでもある。

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Text by Stephen Cope
Translated by Hiroe Humphreys