"自分の中の子供"とどう向き合うか?自分で自分の面倒をみるということ【#40代のリアル】
私は時々、「大人でいること」を休みたくなります。皆さんはそんな時がありませんか?子供の頃のようにフィクションの世界を生き、現実に縛られずに伸び伸びしたい!手放しで思いきり誰かに甘えたい。そんな自分の中の子供の部分がうずくのです。今回は、大人である私たちが「内なる子供」とどう付き合っていったらいいのか・・・。そんなお話です。
甘えたい願望ありませんか?
40代も後半になった私は、甘えることよりも甘えられることの方が多くなりました。周りの同世代の人たちを見ていても、常に「誰かの面倒を見ている」人たちが多い。子供、親、後輩、パートナー・・・こういった存在は責任感や使命感のようなものを与えてくれるし、与える喜びを教えてくれる大切な存在でもあります。
誰かに頼られ、そこに責任が伴う。40代はきっとそういう世代なのだと思います。子供でもなく、若者でもなく、老人でもなく、「大人」として生きる時期だから。それが不満なわけではないのですが、私は時々手放しで誰かに甘えたい!なんていう願望がムクムクするのです。内なる子供の部分から「私のことも面倒見てー」という声が聞こえてくるみたいに。
内なる子供を抱えている
内側から発せられる声は、甘えたい!という声だけではありません。もっと愛して欲しい、私にかまって欲しい、といった欲求であったり、現実からもっと自由になりたいという欲求であったり。大人である私たちは、そんな子供の部分を内包しながら生きているのではないでしょうか。
そんな内包する子供の部分をさらけ出せる相手がいる人は、よっぽどその相手との信頼関係と理解が深いのだと思う。少なくとも私には、思いきり誰かに甘えるなんていう機会はなかなかないのです。
そんな幼稚な自分も受け止めて、自分の面倒を自分でみれる。それが出来るのが自立した大人だとするのなら、ミドルエイジの私たちには内なる子供と上手に付き合い、面倒をみていくスキルが必要なのかも知れません。
自分で自分の面倒をみる
それでは、どんな風に自分の中にいる内なる子供と付き合っていったらいいのでしょうか。それにはやはり「自分との対話」が鍵になるのだと思います。忙しい日常を過ごしているとつい、自分が何を感じているか?どんな感情を抱いているか?といった「自分に起きていること」に目を向ける時間がないものですが、それが長く続くと内側との対話が途切れてしまう。まずは自分との対話上手になることが、自分で自分の面倒をみるファーストステップです。
自分との対話が出来れば、誰に癒してもらわなくとも自分で自分を癒すことが出来る。寂しい自分は自分で抱きしめることが出来るし、甘えたい時は自分に甘えればいい。そんな風に自分で自分の面倒をみることが出来たなら、誰かに依存せずとも内なる子供の部分と上手に付き合えるのかも知れません。
大人でいることって・・・
「大人」には様々な定義があると思いますが、私は先のように「自分で自分の面倒をみれる」ことが自立した大人であるというなのかな、と思っています。内側に子供の部分を消す必要はなくて、むしろその部分があることでより豊かに生きれることもある。自分の内側にある幼稚な部分だって自分で面倒がみることが出来たら、何の問題もありません。
私はヨガの講師なので、自分との対話をする力は瞑想の練習で養われている気がしていますが、ツールは色々あると思います。ジャーナリングなども良い方法でしょう。どんなツールを使っても良いので、自分と対話をしながら内包した子供の部分を上手にあやしながら付き合っていきたいものです。そして、この大人でいることのできるミドルエイジの時期に、しっかり大人であるということを楽しんでいきたいですよね。
AUTHOR
井上敦子
15年間の会社員生活を経てヨガ講師に転身。不眠症をヨガで克服した経験を持つ。リラックスが苦手だった経験から、ヨガニードラを通じてリラックスの本質を伝えるクラスを展開。週に8本のヨガニードラのレギュラークラスを持つ他、指導者養成講座やコラム執筆等ヨガニードラの普及に努めている。
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