「おいしい、うれしい」心の原点を取り戻せ #デジタルネイティブたちの食わずらい|最終回

 「おいしい、うれしい」心の原点を取り戻せ #デジタルネイティブたちの食わずらい|最終回
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腰塚安菜
腰塚安菜
2023-05-20

学業や進路、人間関係に加えて「食」に思いわずらい、揺れる若者の心。デジタルネイティブな若者たちの2つの「わずらい」(患い、煩い)のリアルを「人と違う、私たちのリアル」でお伝えしてきました。 最終回は前後編、そして10代、20代を振り返った筆者からの提言。SNSで切り取られたおいしさの画像や動画だけが流布し、ユーザー同士が影響し合うデジタル世界から離れ、改めて「食を楽しむ」ということの原点に立ち返ります。

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「許可食」「禁止食」というラベルから「おいしさ」の世界へ

前編「SNSが私のすべて?」、後編「他人軸で動く食」とは 2回にわたってお伝えしてきた「デジタルネイティブたちの食わずらい」。

当事者は「許可食」「禁止食」というラベルに支配された独特な食の世界を生きていました。

自分が食べられるものを「許可食」、今は食べられないものを「禁止食」という区別で、自分に許可・禁止の制限をかける。そんな独特な言葉に出逢ったのも、自分もデジタルネイティブの一人だったからです。

前編で経験者の方が「青春時代に『何を食べるか、食べないか』で頭が支配され、学業はもちろん、やりたいことが制御されてしまうことが、何より苦しかった」と話していたことも印象的でした。

食べ物=数字や体型に影響を及ぼすものという思考に囚われると、そこにある「おいしさ」が見えなくなっていることに気づかされました。

これは少々踏み込みすぎるかもしれませんが、おいしさは見えていないことの弊害では、簡単に余したり捨てたりする食べ物も増えるでしょう。

カップラーメンであろうと、野菜であろうと、食べ物に変わりはありませんが、心をつかった料理に対しても無感情になってしまうことで、倫理性にも影響が及ぶと考えられます。

読者の皆さんが、卓上で食される食べ物になる立場で、食わずらいの制限の中にいる若者を逆から眺めてみた時、彼らはどのように映るでしょうか。

もし、自分が食材や料理の立場で「禁止食」のようなラベルを貼られたならば、残念に思うのではないでしょうか。

くらしも仕事も、多数の著書で読者にヒントを与え続けている松浦弥太郎さんは、心を込めて作られた料理のおいしさや出会いについて、一冊の中でこう投げかけていました。

「決め手は料理でも味でも食材でもなく『おいしいものを食べに行く』という体験そのもの」

「心をこめて『どうぞ召し上がってください』と供されたものであれば、おいしくなる」

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筆者は幸運にも、20代までに食に見識を持つ様々な方とのコミュニケーションの経験に多く恵まれ、家族や友人以外に、先輩から近所の店の人まで、後世「大切な人」となった大人たちとの出会いの中に、いつも料理がありました。

料理の背景や味ともに存在する世界の文化に視野を広げるという「知る」時間も「おいしさ」の一つだったと振り返ります。

青年期から大人への人格形成にも関わる「食事を介して、人とも向き合う」というアナログなコミュニケーションや、10代~20代の若い世代の記憶が、食への思い煩いや、デジタルやSNSのコミュニケーションの時間に取って代わられてしまわないように、何か働きかけることはできないか。

そんな思いが、取材中に確かなものに変わりました。

「病まない食」はない|10代から学問したい「自分学」の追求

「やまない雨はない」「明けない夜はない」といった小説や古典のフレーズが、コロナ禍で見直されたと言われます。

そこから転じて、どんな人にも通用する健康上の正解はないから「病まない食はない」という筆者なりの言葉で「#デジタルネイティブたちの食わずらい」を締めくくりたいと思います。

日々、沢山の情報が目や耳に入ってきますが、その中から自分に本当に合う健康情報を取得し、自分の心と体で実感するのは、いくつ歳を重ねた大人でも至難の業です。それをデジタルネイティブな私たちが生きる社会が教えてくれています。

「自分の心と体を守ること」を軸に生活のあらゆる行動を見直すことは、学業を終えて10年が経った筆者が今まさに、働きながら手探りで実践しているところです。

前編で、食わずらいの当事者が「頑張りすぎる」「自分を追い込む」傾向があることを同世代に学びました。

後編では、世間で「正しい」と言われる食や他人軸ではなく、自分軸で自分に合うものを選ぶ考え方や生き方を20代に学びました。

筆者自身、自分のことが大人になるにつれて解った訳ではなく、まさに向き合い続けていると実感する今、若い世代へ、自分自身を深く考察し、追求する「自分学」を提案します。

具体的に「生活学」「休養学」という「自分学」の中の”選択科目”は、学業や仕事での自己実現より先に学び始めてほしい、身につけてほしいと思います。

今もこれからも「走り続けている」必要はありません。けれども生活だけはいつまでも続くのですから、10代、20代の今から持続可能なものにしていかなければなりません。

「デジタルと距離感を保つ生活」や「デジタル世界からの休養」を選択する自由もある。それを最後にお伝えしたいと思います。そんな少しの意識を持ちながらSNSを使ってみると、見える景色も日常生活も変わってくるでしょう。

大人と若者、世代間の理解にはまだまだ格差があると思えるデジタルやSNSの世界。リアルで接する大人たちは、デジタルネイティブな若者たちに傾聴し、オンラインとオフライン双方で寄り添える一人の隣人となっていくべき時だと考えます。

「障害」の見方や認識も、偏見を持たず、社会一丸で改めていくべき時代がきました。

医療従事者でもカウンセラーでもない筆者が、一人の隣人として、デジタルネイティブの若者たちに何ができるのか。これからも真摯に向き合い、考えていきたいと思います。

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誰もが不安なアンダーコロナ時代だから、みんなで共感できる。
デジタル時代の「わずらい」(患い・煩い)に、社会みんなで共感するためのヒントをお届けしました。

*この記事を読んでいる10代の方がいらしたら、以下をご紹介します。

ポータルサイト:「10代のあなたへ」

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腰塚安菜

腰塚安菜

慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代から一般社団法人 ソーシャルプロダクツ普及推進協会で「ソーシャルプロダクツ・アワード」審査員を6年間務めた。 2016年よりSDGs、ESD、教育、文化多様性などをテーマにメディアに寄稿。2018年に気候変動に関する国際会議COP24を現地取材。 2021年以降はアフターコロナの健康や働き方、生活をテーマとした執筆に転向。次の海外取材復活を夢に、地域文化や韓国語・フランス語を学習中。コロナ後から少しずつ始めたヨガ歴は約3年。



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