アリアナ・グランデ「人の体に意見することにもっと抵抗感を持って」発言の意味と社会にもたらす可能性
先日、人気歌手アリアナ・グランデが「人の身体にコメントすることにもっと抵抗感を持つべき」と発信したことが話題になりました。多くの人のダイエットに携わってきたトレーナーのmikikoが、彼女の発信の意味と、社会にもたらす可能性についてまとめます。
”普段こういう発信はしないんだけど、私の身体についてのコメントに関して言いたいことがあって。
どんな目的だったとしても、人の身体にコメントすることにもっと抵抗感を感じるべき。褒め言葉や善意からくる言葉だったとしても、やめたほうがいい。健康だ、不健康だ、太ってる、痩せてる、セクシーだ、セクシーじゃない。そうやって人の身体にコメントしないように努力するべきだと思う。
人それぞれの形の美しさや健康がある。私の話で言えば、皆が比べている昔の私の身体は、不健康だった時のもの。抗うつ剤をたくさん飲んでいたし、(薬と飲酒の組み合わせはよくないのに)お酒も飲んでいたし、食生活も悪かった。皆は当時の私を健康的と思っていたかもしれないけど、あれは私にとっては健康的ではなかった。”
アリアナ・グランデのこの発信は数々のメディアで取り上げられ、彼女の意見に賛同する声で溢れました。こうした身体へのコンプレックスや自身の経験をオープンに語る流れは、ハリウッドのセレブたちの中で広がりつつあります。
同じ週には、数々のヒット作に出演しているアーニャ・テイラー=ジョイも、子供の頃に顔のことでいじめられたのが原因で、今でも鏡を見るのに苦手意識があるとコメント。
今年、歌手セリーナ・ゴメスもゴールデン・グローブ賞授賞式で姿を現した際に自分の体型の変化に関して批判され、その理由・経緯を説明するという事態がありました。
歌手のテイラー・スウィフトは、自身のドキュメンタリー番組で、痩せることに必死だった彼女が摂食障害でツアー中にステージ上で意識を失いかける映像を出しています。「ポッコリ出たお腹にクローズアップして妊娠しているとメディアで指摘され、とにかく痩せるように意識するようになった」とコメントしていました。
身体のコメントが生きづらさに繋がる
自分の家族でも親しい友人でもない人に向けて『自分の体型が変わった理由』を説明する必要性を感じたり、「身体のコメントをしないで」と伝えなければいけない状況は異常です。本来する必要のないこと。
身体に関するトピックはプライベートな話題なので、軽々しく聞くべきことではないのです。「久しぶり!なんか太った(痩せた)?」と聞くよりも、「給料いくらになった?」と聞く方が抵抗感を感じる人が多い今の状況は、この社会での生きづらさや息苦しさに繋がっています。そのため、その言葉が善意・悪意からくるもの関係なしに、人の身体にコメントすることにもっと抵抗感を持つ人が増えるべき、というアリアナ・グランデの発信は、私たちが思っているよりも社会の価値観を変える大きな可能性を秘めています。
たとえみんなが憧れる“理想の”美貌の持ち主だったとしても、その人がどんな心の傷を抱えているかは見た目には現れません。これまで、身体に関する悪意のあるコメントは『ボディシェイミング』として問題視されてきましたが、たとえ善意のつもりでするコメントであっても、受け手にとっては苦い経験になることもあることは、まだあまりよく知られていません。
自分の見た目についてからかわれた経験がある人は、人からの褒め言葉にすがった不健全な自己肯定感を育てるようになったり、世間から常にジャッジされているプレッシャーから抜け出せなくなったり、いつまでたっても自分の身体に対するコンプレックスと戦うようになることもあります。
ダイエットのためにジムに入会する人にも「太ったから周りにどう思われてるか怖い」「太ったと言われたから痩せたい」「痩せすぎコンプレックスって言うと、嫌味だと思われるから誰にも相談できなくて」という理由で来る人が後を断ちません。周囲からのコメントで傷ついた心は、身体が変わったって癒せません。人からの褒め言葉を麻薬のように消費して、短期的な喜びのためにダイエットに依存するようになるのです。
嫌なことは嫌だと言っていい
残念ながら、嫌なことを嫌だと言うと、「痩せたねって褒めてるんだから素直に受け取れば?」と言われてしまうこともあります。でもそれは、相手の拒絶を真っ直ぐ受け止めることができない方の心の問題。
嫌なことを嫌と言うのは、boundary(バウンダリー)という「ここから先は立ち入らないでください」と心のパーソナルスペースを守る行為です。相手に嫌だと言われてムッとするのは、自分の尊厳が傷付けられたと受け取ってしまう心の脆さであり、傷つきやすいプライドでもあります。
自分にとっての褒め言葉が相手にとっても褒め言葉だと思っているのは、ただの想像力の欠如ですし、褒めてやってるんだから喜べというのも、ただの傲慢。欲しくないものをあげる方が悪いので、嫌だと言うことを悪く思う必要はありません。拒絶されて「褒めてやってるのに皮肉だな」と思ってしまうのは、自分のズレた親切心が否定された時にショックや悲しさを和らげるための『コーピング』という行動なのです。
嫌なことは嫌だと言っていい。その拒絶に対して怒る人は、あなたの気持ちを尊重してくれないので距離を置いていい。自分の心を守るために「皮肉だね」と相手を責めるのではなく、相手の気持ちを尊重するのがスタンダードでありたいものです。
嫌なことを言われた時に面と向かって嫌だと伝えるのは、とても勇気がいること。心拍数もあがるし、相手が傷つくかもしれないし、その後何日も繰り返し考えちゃうくらいエネルギーを使います。でも、そうまでしてでも自分の心を守ってあげることは大切なんです。
セレブのように、何百万人に向けて自分のバウンダリーについて説明することは、私たち一般人が想像しきれないほどのプレッシャーを感じることでしょう。「有名だから何言われたってしかたがない」なんてことはありません。こうして勇気を持って立ち上がってくれる人がいるのは、本当にすごいこと。こうした声が今後も増えて、私たちの社会にスタンダードとして浸透していくことを願っています。
AUTHOR
mikiko
パーソナルトレーナー|自身の失敗経験を元に個人差や体質を重視した『mikiko式フィットネス論』を提唱|身体と人生観が変わるフィットネス哲学で、一生ブレないための視野と学びを発信しています|流行を根拠と本質で斬る人| 筑波大学健康増進学修士|NZベストトレーナー入賞
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