”結いの島”で繋がるご縁|奄美在住ヨガ講師 蘇ひかりさんインタビュー|前編

 ”結いの島”で繋がるご縁|奄美在住ヨガ講師 蘇ひかりさんインタビュー|前編
Photo by Chiaki Okochi

<日常に埋もれた感覚を掬い上げる>をキーワードに、さまざまな領域で活動される方へのインタビュー企画。大人になると、いつのまにか「当たり前」として意識の水面下に沈んだ感覚たちを、一旦立ち止まり、ゆっくりと手のひらで掬い上げる試みです。第6回目は、奄美大島に移住された蘇(いける)ひかりさんを訪ねました。

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2020年に名古屋から奄美大島へ移住した、ヨガ講師の蘇(いける)ひかりさん。奄美大島に惹かれ、キャリアチェンジから単身移住へと大きな変化を経て、昨年末にはご結婚をされました。「島の暮らしが愛おしい」と言うひかりさんに、その様子についてお話を伺いました。

ーー奄美大島に出会ったきっかけを教えてください。

学生時代に歌番組で元ちとせさんを見て、「奄美大島ってどんなところなんだろう?いつか行ってみたいな」という気持ちがありました。そこからきっと、潜在意識の中にずっとあったように思います。それで27歳の時にふと思い立ち、初めての1人旅で奄美大島に来たのがきっかけです。

ーーその時はいかがでしたか?

直感で「(私の場所は)ここだな」という、不思議だけど確かな感触がありました。でも、その時は1人のうえにノープランで来たので、何もすることがなくて(笑)。ガイドブック片手に、1時間ぐらい行く宛もなく歩いていました。もちろん海は綺麗なのですが、ひたすら歩いても何もなく……きっとこのまま進んでもだめだろうと。だから、「とにかく人に聞かなくては!」と偶然見つけたお店に入ってみました。

今から振り返ると、それが大正解でした。そこで出会った方が「次の日にシュノーケリングをするからおいでよ」と声をかけてくれたんです。そこから色々と案内をしていただき、おかげさまで楽しく過ごすことができました。

それで名古屋に帰ったあとも、なんだかこの出会いを無駄にしちゃいけないような気がして。かと言って、連絡先もわからなかったので、お店の住所宛にお手紙を書いたんです(笑)。その後お返事をいただき、これが今にも続くご縁になりました。

Photo by Chiaki Okochi
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ーー奄美大島には、直感で何かを感じたんですね。

初めて来た時から、「奄美大島に住みたい!」と強く思っていました。もともと田舎暮らしや、”古き良き”のような世界観に憧れていたんです。たとえば、テレビドラマの「Dr.コトー診療所」や「サザエさん」とかも大好きです(笑)。だから、離島でのあたたかい生活や、平屋に家族が集まるような暮らしが理想でした。

祖父から受け継ぎ、自分の中にも繋がる縁

ーー心の中で思い描いていたものが、きっと奄美大島にはあったのですね。

はい。でも思い起こせば、祖父は奄美大島のある鹿児島県にゆかりがあったようです。

戦時中に祖父は、知覧(鹿児島県南九州市)にあった海軍で予科練をしており、特攻隊として出征する日を待っていました。ですが、その最中に終戦を迎え、生きて名古屋へと戻ることができました。それから、結婚して子どもが生まれた後にも、ふらっと3年ほどいなくなっては、たびたび鹿児島に来ていたようです。

それから、この奄美大島という場所が、知覧から沖縄へ向かう特攻隊員たちにとって、目印になっていたことを最近知りました。ここを越えると、もう生きては戻れない分かれ道なんだということを。

知人からその話を偶然聞いた時、おじいちゃん子だった私が今、奄美大島に住んでいることがなんとなく腑に落ちました。祖父から生前、戦争の話を聞いたことは一度もありません。そして戦後に、鹿児島でどんな思いで何をしていたのかも知りません。ですが、祖父から受け継ぎ、自分の中にも繋がる縁のようなものを感じたんです。

Photo by Chiaki Okochi
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ーー移住するまでの経緯を教えてください

初めて来た当時は、名古屋の美容院で受付の仕事をしていました。だから「奄美大島に住みたい!けど、生きていく術がない!」という思いでした。

もともとは、学生時代から憧れていた有名サロンで美容師として働いていましたが、夢と現実の差やプレッシャーから転職も2度ほどしていて。当時もまた、仕事に対するモチベーションに辛さもあり、もう働きたくないとすら思っていました。

けれども、そういうわけにもいかないから、「どうせやるなら自分のやってみたいことをやろう!」とキャリアチェンジを決意しました。そこで選んだのが、ヨガの講師だったんです。勤め先はホットヨガのスタジオでしたが、講師としてデビューできるよう練習を重ねるうち、ヨガの楽しさにのめり込んでいきました。そうするうちに、「ヨガがあれば奄美大島でもやっていけるんじゃないか?」と思い、移住への望みに再び火がつきました。

そこから1〜2年は、数ヶ月に1度のペースで奄美大島を訪れ、実際に移住するまでには10回以上は来たと思います。その中で貯金もしながら、まずは住む家を探すことから始めました。

ーー住む家はすぐに見つかりましたか?

それが全く見つからず。現地の友人が協力してくれていたのですが、いまのお家に住めることになったのは、引っ越しの1週間前でした。その時が自分の誕生月だったこともあり、たとえ家が決まらなくても、このタイミングで移住することだけは宣言していました(笑)。

私は奄美大島の中でも市内ではなく、この田舎の集落の中で生活がしたいという思いがありました。それもあってなお、貸し手を探すのが難しかったのだと思います。

田舎では空き家は多くても、なかなか貸してもらえないとういうことも聞きます。私の場合は結局、友人が役場に相談に行ってくれて、奇跡的に見つけることができました。内見も代わりに行って大家さんに挨拶までしてもらい、私は写真だけで即決しました。

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ーーもとは観光客だったところから、ひかりさんのためにそこまでしてくれる人たちと出会えたのはすごいことですよね

島の人たちが本当に優しくて。お互い当たり前のように、何か困った時には助け合っているように感じます。奄美大島は、”結いの島”と呼ばれているのをご存知ですか?人が助け合い、繋がっていく”結い”の心がある島だと言われています。

それから、ヨガにも”Yuj(ユジュ)=繋ぐ、結びつける”といった語源があります。初めて奄美大島に来た時から、出会う人、出会う人に本当に恵まれているなと感じます。もちろん美しい海や自然も魅力的ですが、こうした人との出会いが、私が移住を決めた大きな理由です。

▶︎インタビュー後編に続きます!

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AUTHOR

大河内千晶

大河内千晶

1988年愛知県名古屋市生まれ。大学ではコンテンポラリーダンスを専攻。都内でファッションブランド、デザイン関連の展覧会を行う文化施設にておよそ10年勤務。のちに約1年デンマークに留学・滞在。帰国後は、子どもとアートに関わることを軸に活動中。



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