家族の「絆」や「相互理解」を手放す、というタフな生き方『タフラブ 絆を手放す生き方』【レビュー】

 家族の「絆」や「相互理解」を手放す、というタフな生き方『タフラブ 絆を手放す生き方』【レビュー】
信田さよ子著『タフラブ 絆を手放す生き方』(dZERO)

エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。今回は、信田さよ子著『タフラブ 絆を手放す生き方』(dZERO)を取り上げる。

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日本では、家族の絆が強いこと、家族のために尽くすことは、よきこと、とされている。とくに女性にとって、自分よりも夫や子どものサポートに徹する姿は、褒められがちだ。

公認心理士の信田さよ子著『タフラブ 絆を手放す生き方』(dZERO)は、家族というシステムが抱える根本的な問題に触れつつ、「家族のために尽くし、相互理解のために必死でコミュニケーションをとることはよいことなのだろうか」と疑問を投げかける。

本書で紹介される、新たな家族間の愛情のありかたである「タフラブ」は、しっかりとした絆で結ばれた、切り離せない愛ではない。相手と自分の問題とを切り分け、手放し、見守る愛だ。

家族というシステムが抱え込む根本的な問題。女性の献身、耐え忍ぶ姿は「美徳」か

数十年にわたるカウンセリングを通して、あらゆる家族との問題に向き合ってきた著者は、家族というシステムには根本的な問題があるという。

本来、人は誰もが自我を持ち、基本的人権を保障されているはずである。しかし、明治以降、賞賛されている家族像は、真逆のものだ。隠し事がなくすべて理解しあえてこそ家族だ、という風潮もある。境界線がない関係が理想とされているため、一方が一方に侵入する可能性や植民地化する可能性を含んでいる。

不況が深刻になるにつれ、家族の絆の素晴らしさが盛んに喧伝されるが、これは、政府が社会のセーフティネットとしての役割を家族に期待しているからだ。しかし「絆」の強い家庭の内実は、不況を乗り切るために羽を休められるオアシスではない。

家族の絆が強ければ強いほど、問題があってもそこから逃げられない。逃げられずに耐えるのは、多くの場合、女性だ。現行のDV防止法では、加害者である夫は何も失うものはないのに、被害者は家も、仕事も、生活環境もすべて失う。こういった状況では、被害を受けながらもなかなか逃げられないのは当然だと言える。

著者は、家族はまるで社会のごみ処理場だ、と表現する。腐った部分を全部引き受けて、社会を底辺で支えているものが家族なのだ、と。家族の中では、性犯罪、暴力、窃盗などのあらゆる犯罪が許されている。DVや虐待を受けても、被害者が告訴しなければ犯罪にはならない。絆の強い家族は、DVを受けても、「自分も悪かったかも」「家族を訴えるなんてできない」と告訴に踏み切ることは少ない。家族のなかで行われる様々な形の暴力は、家族という隠れ蓑に覆われ、法に問われることがない。

家族というシステムに組み込まれてしまったら、女性には様々な役割が期待される。「母性本能」というありもしない本能を持ち出して、子育てすること、子どもを自分よりも優先することが当然であり、そうでなければ母親失格だ、と突き付けてくるのが現代の日本の風潮だ。

夫や子どもに尽くすことこそ美徳だとされるなかで、家族になんらかの問題(アルコール依存症、子どもの引きこもりなど)が起きた場合、女性は必至で家族を理解し、問題を解決しようとコミットしがちだ。それこそが、「家族の正しい姿だ」と刷り込まれてきたのだから、当然だろう。

しかし著者は、相手を理解しようとやっきになったり、尽くしたりすることは、家族の問題を解決する方法に向かない、と言い切る。では、どういった態度がふさわしいかというと、「タフラブ」だ。

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AUTHOR

原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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