「何者でもないから自由になれた」/ NY在住舞台演出家・河村早規が夢に向かって踏み出せた理由
頑張っている人の姿は、力になる。元気がない時、やる気が出ない時、停滞を感じる時、必ず見るYouTubeチャンネルがあります。屈託のない笑顔と自信に満ちた声のトーン、分かりやすいプレゼンテーション力、そして時に見せる不安な気持ちまで全てに惹きつけられる河村早規さんのYouTubeチャンネルは、チャンネル登録数11万人以上にものぼる。3年前に舞台演出を学ぶためニューヨークの大学院に留学し、今年5月に主席で卒業。現在もニューヨークで舞台演出家・マルチメディアアーティストとして活動する彼女に3回に渡ってお話をお伺いしました。
「仕事がつまらない」という大人を見て…
— 舞台芸術に興味を持ったきっかけを教えて下さい。
早規さん: 小さい頃にバレエを習っていたのが一番最初です。小さすぎてハッキリとは覚えてはないんですが、母に「そろばんか、水泳か、バレエか1個だけ選んでいいよ」と言われ、バレエをはじめました。それと同じくらいの時期に…2歳だったんですが、ミュージカルに連れて行ってもらって、食い入るように観ていたらしいです。母がそれを見て「興味があるのかな」と思ってくれて。そこから色々な作品を観るようになり、演者にもなりました。
— 演出をやりたいと思ったのはどうしてですか?
早規さん: 演者をしている時に、自分の思考回路的に舞台に立ちながらも「わたしだったらこうするな」という演出側のことを考えている自分に気づいて、そこから演出にすごい興味を持つようになりました。
— それは大人になってからですか?
早規さん: 中学生の時でした。
— 中学生の頃から自分の好きがハッキリ分かっているのは才能ですね。そこからずっと演出家を志していたんですか?
早規さん: 実は、演出を将来のキャリアにするという気持ちは持っていなかったんです。
大学在学中にダンスサークルに入って、振り付けをしたり舞台の総合演出をしたりして、演出することは続けてはいましたが、就職活動もしました。
— 転機となったのは?
早規さん: 大学3年生の時に複数の企業で長期や短期のインターンをしていたんですが、その時に、会社で働いている30代後半や40代前半の方々が「あんまりキャリアに満足いってないんだよね。」とか「仕事がつまらないんだよね」という声をよく聞いていて…それなら、自分のやりたいことをやってみようかな思い、そこで舞台演出というのが自分の中ですごく大きかったので、挑戦することに決めました。
— 人生がつまらないと絶望している大人と、そうはなりたくない若い人たちは今多いかもしれませんね。けどニューヨークに舞台演出の勉強に行くと言った時、ご両親は驚きませんでしたか?
早規さん: 唐突すぎて、だいぶ驚いていましたね。コンサバティブな家庭だったので、両親にはプレゼンテーションをしたりして説得しました。
— 日本だと大学を卒業して就職をして、しばらくしたら結婚をして、と言ったようなお決まりの道が固定概念としてあると思いますが、そういうのには最初から興味がなかったですか?
早規さん: それが今まで日本社会が示してきた正解の形だという感覚は、わたし自身にもありました。けど、それを大きく変えてくれたのが英語や演劇の存在だったんだと思います。海外の演劇を日本で観たりすると、自分の知らない世界に触れることができて、選択肢は一つではないということを教えてもらいました。日本で良いとされている...もちろんわたしもそれは良いことだと思うんですが、それだけが全てではなくて、世の中にはたくさんの考え方があって、それを自分で選択していいんだと思ったんですよね。
怖さがあったから自由になれた
— ご家族は反対とまでは言わないけれど、できれば日本に残ってほしかったんですね。
早規さん: そうですね。私自身も、合格からはほど遠いと思っていました。舞台演出の窓口ってとても狭くて1つに対して2〜3人と限られていますし、そもそも舞台演出を学べる大学院もすごく少なくて。例えば、すごく極端かもしれないですけれどもアメリカ全土で舞台演出を学べる大学院に受かる人って1年に30人とかそれくらいだと思うんですよ。
— その狭き門を通れたのは何でだと思いますか?
早規さん: 何でしょうね(笑)わたしもそれはすごく聞きたい。けど、1つ思うのは自分のベストを尽くして受からなかったら、そこに縁がないっていうことだし、違う道を頑張った方がいいということだから、後悔がないように頑張りはするけれども、そこに執着しないように…頭では思おうとしていました。
— これがあったから大学院受験を頑張れたというエピソードはありますか?
早規さん: 先輩の一人が「行くって決めて努力していることが自体が才能だから、それを信じた方がいいよ」と言われたことがあって、大学院受験中すごく大変だったんですが、それはすごく支えになりましたね。
— 合格通知がきた時のことを教えて下さい。
早規さん: 忘れもしないです。飲食店でアルバイトをしていたんですが、その日はお店のオープンを任されていて、朝5時半からお店を開けて12時くらいまで働くというシフトでした。学生マネージャーだったので、忙しくなる前に休憩を取らなくてはいけなくて、6時40分くらいの休憩でメールフォルダーを開けたら「Congratulations」って書いてあって全身鳥肌という感じでしたね。
— 大学院に合格してJFK空港に最初に降り立った時のことを覚えていますか?
早規さん: 覚えている…かもしれないです。ちょっと待って下さいね…。…すごく不安でした!直前までは実感がなかったんですが、見送りに来てくれた友達と「バイバイ」と言って離れてから空港で号泣したのはすごい覚えています。JFK空港についた時も期待でワクワクという感じよりも「受かっちゃったけどやっていけるのか…」という気持ちの方が強かったかもしれないですね。
— どうやってその不安な気持ちと向き合い、和らげましたか?
早規さん: アメリカの大学院って経験を積んでから来ることが求められている場所なんですが、わたしの場合は、運良く入れたというのを自分でちゃんと分かっていました。自分は何者でもないし、何も持っていないから、最悪ここで失敗したとしても帰ればいいと最初は気持ちは持っていました。だからこそ何にでも挑戦できたのかもしれないですね。怖さが自分を逆に自由にしてくれたんだと思います。
ライター取材後記
パソコンの画面上にYouTubeでいつも見ていた彼女の屈託のない笑顔が写った瞬間、思わず「こんにちは!」と声をかけてしまいました。取材はニューヨーク時間の23時。慌てて「あっ、こんばんわですよね。」と言い直しました。わたしに「あはは。そうですね。」と笑顔で返してくれた早規さんからは日付が変わる直前だということを感じさせない、エネルギーに満ち溢れている姿が画面越しからも伝わってきました。いつもスクリーンに映る彼女の姿からは、エンターテイメントの本場ニューヨークに身をおき切磋琢磨している中で得た自信やポジティブな姿が伺えますが、それでもお話をしていく内に、いい意味でどこにでもいる26歳の日本人の女の子という印象がとても強まりました。次回は、不安と葛藤にもがきながら過ごした激動の3年間のニューヨーク生活についてお話を伺いながら、早規さんのさらなる魅力を探っていきます。
取材協力 - 舞台演出家/マルチメディアアーティスト・河村早規さん
現在NY在住、日本生まれ日本育ち。NYにて舞台演出家・俳優として活動。映像も勉強中でオーストラリア・Quarantine Film Festivalにて優勝。チャンネル登録者数11万人以上の大人気YouTubeチャンネルでは、NYでの生活や大学院の情報、英語学習について発信中。
公式HP: Saki Kawamura
YouTube: Saki Kawamura in NYC
AUTHOR
桑子麻衣子
1986年横浜生まれの物書き。2013年よりシンガポール在住。日本、シンガポールで教育業界営業職、人材紹介コンサルタント、ヨガインストラクター、アーユルヴェーダアドバイザーをする傍、自主運営でwebマガジンを立ち上げたのち物書きとして独立。趣味は、森林浴。
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