「相手を好き過ぎた過去の自分が恥ずかしい」彼女が恋愛をこじらせた理由|かくれ繊細さんの恋愛

 「相手を好き過ぎた過去の自分が恥ずかしい」彼女が恋愛をこじらせた理由|かくれ繊細さんの恋愛
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でも、その恋愛にのめり込んでいる自分を、誰かに見られても良いか?というと、それはまったく別の問題です。かくれ繊細さんは、そういう"恋愛にのめり込んでいる自分"を誰にも見られたくはないのです。恋愛にのめり込んでいる時の自分は、手放しで相手のものになろうとしている「はしたない自分」だからです。自分であって自分ではないのです。自分の一部を恥ずかしげもなく相手に見せることによって、相手とより一体になろうとしている恥ずかしい自分だから、誰にも見られたくないのです。

その恋愛の最中は、その一面が自分全体になってしまっている特異な期間とも言えます。客観性なんてひとつも存在していません。誰にも見せていない自分を、その人だけに見せていることを、その時は恥ずかしいとも思っていなくて、それで幸せ。このままずっと生きていけると思い込んでしまってもいます。(わかるだけに、この状態の自分を思い出すとめちゃくちゃ恥ずかしい!)

恋愛する相手には"本当の私"を受け入れてほしい、だけど…

人は、学びます。その時が終わると、そのときの自分がどれほど「溺れていたのか」を、別の自分が見るように見えるようになるのですね。それで、後からSさんはそのときの恋愛どっぷりの状態の自分を振り返って、で、なにをするかというと、新しいマイルールを作ります。Sさんが作ったルールはこれです。

「あんな恥ずかしい自分には、もう二度と戻らない。戻ってはいけない」

そこで、Sさんがとったのは、そういう自分だけになってしまうような恋愛をしなくても良い相手を探しました。のめり込まない相手です。

のめり込まない相手とは、自分がおぼれない相手で、「まっとうな相手」でした。

このときのお相手は、話をしていても、デートしていても、すごくまっとうだったそうです。自分が溺れるスキがない。溺れさせてくれないのですね(最初の相手は、Sさんが溺れることを受け入れてくれた、許してくれたので、どんどん溺れていってしまったと言えます)。

で、会えば会うほど「この人は(自分とは違って)まっとうだ」ということを認識するのだそうです。立ち居振る舞い、感性、価値観、会話の返答、性行為も。それは、最初の恋愛の後にできた「恋愛におぼれて客観性を失った恥ずかしい自分を感じさせないでいられるルール」を守らせてくれる相手です。

ルールが守れる相手に安心するところももちろんあったと思います。そして、こういう人とつきあって結婚したら、自分もまっとうな人生を歩めるんじゃないかと考えたと言います。ただ、彼といると、自分がかつての恋愛で感じていた「まっとうじゃない部分を受け入れてくれる感覚」が一切ない。Sさん、迷ったそうです。わからなくなりますよね。なにが起こったのかわからない、というのが正直なところではないでしょうか。だって、自分がかくれ繊細さんだという自覚も、概念もないのですから。人の受け入れ方、感受性に差があるだなんて想像もしていなくて、相手は自分とまったく同じ範囲を持つ人であると思っています。

だからただ、自分が「こんなにまっとうな人に合わせることができない人間なんだ」と自分にダメ出しするしかなくなったのだと思うんです。

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時田ひさ子

時田ひさ子

HSS/HSP専門カウンセラー。繊細で凹みやすいが同時に好奇心旺盛で新しいものへの探求欲が旺盛なHSS型HSPへのカウンセリングをのべ5000時間実施。講座受講生からのメール、LINEのやりとりは月100時間以上。著書に『その生きづらさ、「かくれ繊細さん」かもしれません』(フォレスト出版、2020年)がある。



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