子供の偏食に悩むママへ心が軽くなるアドバイス
母親自身が、食との向き合い方を考える
道を外れてしまったのがいつかを特定できないように、戻ったのがいつかもよく分からない。まず私は少しずつ気持ちをゆるめていった。子どもが何を食べ、何を食べないかを心配するのをやめ、自分の食欲に意識を向け始めた。自分が食べたいものをつくり、息子が自分で触ることができる料理のプロセスに興味を引かれるのを観察した。ディナーでは、子どもに何を食べさせるかではなく、何を一緒につくれるのかが問題になり、料理をしている 間に大好きな料理をふたりで新たに発見した。
息子はキッチンカウンターのスツールの上に注意深く立ち、チャード(フダンソウ)の葉を茎から外したり、パルメザンチーズやパン粉をグラタンの上にふりかけたり、サフランとオレンジの皮が入った黄金色のキヌアのピラフの中に、細長く切って焼いたアーモンドやドライアプリコットなどを混ぜ込んだりした。また、よい香りのマスクメロンを丸くすくい、サラダをつくった。ペーストに関してはプロのような腕前で、アーモンドやオリーブオイルと一緒に、フレッシュバジル、パセリ、蒸したブロッコリーさえもフードプロセッサーに入れた。私は、息子に好きな食べ物(マッシュルームや葉ものの野菜)と嫌いな食べ物(トマトとオリーブ)があることはきちんと認めた。そして、私たちは家でつくった新鮮な食事はどういう味がして、なぜ体によいのかについていろいろ話した。
メニューには甘いおやつもあったけれど、それはほとんど、ふたりで一緒につくったものだった。疲れていて料理をしたくない夜には、冷蔵庫や食料棚に入っているものは何でも食べていい「クレイジー・ディナー」(レーズンブランとスライスしたスイカのディナーはとくに思い出深い)にすることもあった。こういったディナーには、こんなよいこともついてきた。スーパーでマシュマロを一袋買うとそれもディナーになってしまうから、衝動的に ジャンクフードを買わなくなったのだ。息子はじき7歳になる。一緒につくったものすべてを食べるわけではないが、ディナーが再び楽しい時間になったと言えるのは幸せなことだ。
昨晩帰宅が遅くなり、私は週末にファーマーズ・マーケットで買っておいた、かぼちゃのタマレス(とうもろこしの粉を練ったものに具をのせ、トウモロコシの皮で包んで蒸したメキシコ料理)を蒸し、缶詰のうずら豆を大急ぎで温めていた。「これはつくったの?それとも買ってきたもの?」息子がお皿の上のタマレスをフォークで突き刺しながら、ほんの少し、昔と同じような疑いの目を向けて尋ねてきた。私ではないけれど、誰か別の人がつくったものなのよ、と説明を始めたとき、息子はもうそれを食べている最中だった。そこで私はふたりが歩んできた道が、どのくらいまで進んだのか分かったのだ。
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