自分が心地良いほうへと向かう生き方|作家・安達茉莉子さんが「生活改善運動」によって得たものとは


作家の安達茉莉子さんが「生活改善運動」という言葉に出会い、実践し、暮らしも考え方も変化していく様子を描いた『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)は、現代を生きる私たちに温かく響くものがあります。安達さんが語る、「生活改善運動」についてのインタビュー前編です。
目の前のことに精一杯取り組み、忙しなく日常生活を送っていると、時には暮らしが蔑ろになってしまうことは誰にでも起こり得るものです。散らかった部屋から目を背けることも、雑に食事をすることも、自分の望みすらわからなくなることだって、経験したことがある方は多いのではないでしょうか。
『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)の著者である安達茉莉子さんも、そんな経験をしたひとりです。防衛省での勤務や限界集落での生活、イギリス留学など、様々な場所に身を置き、経験を重ねてきた安達さんが、「生活改善運動」という言葉に出会い、ひとつひとつ幸せなほうを選びとっていく様子が本書には描かれています。安達さんが「生活改善運動」を実践したことで変化した暮らしとマインドについて、お話を伺います。
はじめての環境へ飛び込み今後の生き方を考えた20代
ーー防衛省での勤務や限界集落での生活、イギリス留学など、これまで様々なご経験をされていることに驚きました。まずはこれまでのご経験について伺わせてください。
安達さん:私はずっと自分がやりたいことがわからなかったんですけど、21歳の時にオーストラリアに留学した過程の中で、書くことが好きだと気づいたんです。作家になれば今まで感じてきたこと全てが無駄にならないとも思ったんですよね。それから一気に世界が鮮やかに見えるようになりました。
ただ、作家になろうと決めたものの、なかなか小説が書けなくて。書けないということは、書くことがまだないからだと思ったんです。ちょうど就職活動をする時期だったので、色々なことを経験してみようと思って就職活動をすることにしました。そんな時、防衛省に語学採用があると知り、これまでの自分からは遠い世界だったので、受かるはずがないと思いつつも受けてみたら採用になったんです。
ーーこれまで縁がなかった世界に飛び込んだのですね。
安達さん:もっと色々な経験をしてみたいと考えて就職しましたが、この時の私にとっての「経験」とは、自分とは全く違う物事の見方や考え方に触れることや、大きな組織の中に入るってどういうことかを知ることだったんですよね。
就職してしばらくして、国連や海外の緊急援助に関する部署に異動になったのですが、その時に東日本大震災が起きたんです。かなりの極限状態を危機管理省庁の中で経験することになりました。それは私にとってとても大きなことで、この時に自分の今後の生き方をすごく真剣に考えました。自分はまだ作家として何もできてない。だったらその道を歩きたい。そんな経緯で退職しました。
そうは言っても、もうちょっと経験したいという気持ちもあったので、イギリスの大学院に行くことにしたんですが、その準備期間にご縁があって、兵庫県の限界集落に住むことになりました。
ーーまたしても面白い環境に飛び込んだのですね。
安達さん:私はいわゆる開発学がやりたかったんです。でもそれまでの仕事はデスクワークがほとんどだったので、今現地に行っても何の役にも立たないと思い、地元の人と一緒に何かをするとかプロジェクトをマネージメントする経験をしなければと思っていた時に、兵庫県丹波篠山市のいわゆる限界集落と呼ばれる場所に行くことになったんです。ご縁があってそこで働かせてもらえるようになり、そこで働きながら大学院の進学準備をしていました。
ーー書籍の中でも限界集落での出会いについて書かれていますよね。ここで出会った人たちは、安達さんの「生活改善運動」にも影響していますよね。
安達さん:そうなんです。私がZINEを作るようになったきっかけもそこで出会った人だったんですよ。
ーー作家活動を本格的に始められたのは限界集落に住んでからですか?
安達さん:そうですね。ただ、防衛省時代に残業続きで真夜中に家に帰る生活をしていてあまりにもしんどかった時に、自由律俳句のような詩を書いていたことはあります。それがすごく楽しくて、こうやって詩に書くことができれば、辛く苦しいこともちゃんとネタになるなと思えたんです。
ーー大変だった時期は、寝るために帰宅するような生活でしたよね。
安達さん:深夜に帰宅して、寝に帰るっていうより、布団にバウンドしに帰るみたいな感じでした。睡眠時間はろくに取れないまま、朝には出勤するんですけど、一切眠くならないんですよ。
ーー交感神経が優位の状態が続いていたんですね。
安達さん:副交感神経がブロックされてましたね。出勤して、次に気づいたら退勤時刻で。そこで「あ、第一ラウンド終わった」って感じで。一回外に出てコンビニで簡単に食べられるものを買って食べて、また夜中まで働く日々でした。
ーー手間をかけないような食事を摂っていたのでしょうか?
安達さん:自分の中で明確に基準があって、片手で食べられるものを食べるって決めていました。パソコンで作業しながらでも食べられるように。あの時はあまりにも若かったんですよね。もうちょっと仕事に馴染んでいた人は忙しい中でもちゃんと食べようとできていたと思うんですけど、私は上手くできなかったんです。
ーーそういった生活は何歳くらいまで続けましたか?
安達さん:防衛省を辞めて、篠山に行ったのが27歳くらいだったと思います。
ーー怒涛の20代でしたね。そこからイギリスに留学してからの生活は、いかがでしたか?
安達さん:イギリスに行ってから一気に世界が変わりました。イギリスの中でもすごく明るい、ブライトンっていう海辺の街だったんですけど、大好きだったオーストラリアにもどことなく雰囲気が似てたんです。社会人になってから行く大学院って楽しいんですよね。みんな学ぶ喜びでキラキラしていました。半分ぐらいがいわゆる発展途上国から来てる人たちで、自分の住む国で変化を起こそうと理想に燃えている人も多くて。同じ方向を向いている人たちと切磋琢磨できて、すごく嬉しかったんです。
土地も好きで、住んでいる家も好きで、ルームメイトも親友で、毎日幸せだなって思っていました。364日いたんですけど、364日毎日幸せだったって言えます。その時に自分の中の喜びを思い出しました。自分が何が好きで、何が嫌いで、自分が嬉しい時って体はどんな感じか。楽しいことってしてもいいんだって思えたんです。
ーーそれまでは自分の感情を抑えながら働かれていたのですね。
安達さん:感情を麻痺させないとできなかったですね。そもそも、社会生活ってどうしても感情が麻痺しますよね。電車に乗るだけでも何かを麻痺させないと乗れないような感じじゃないですか。隣にいる人たちがすごくイライラしてたり、ささくれ立っていたり。自分を守らないとやってられないっていう感じでした。
人との出会いによって「生活改善運動」が始まる
ーーそんな中で「生活改善運動」を始められるわけですね。
安達さん:「生活改善運動」という言葉に出会ったのは、31〜32歳の頃です。そろそろ作家業を本格的にやりたいと思っていた頃で、最初は本を作るというよりはグッズを作ったり、デザインフェスタに出たりしていました。そんな時期に篠山で出会った人と再会したんですが、この人が本にも出てくるYさんでした。彼はとても変な人で、どう変だったかは本に書いたんですが、彼が生活改善運動という日本の歴史の中で実際に行われていた取り組みのことを教えてくれたんですよ。仲良くなって彼の話を聞いて、これは面白いなと思ったんです。
この時、篠山にいた時に仲良くなった子に言われたことを思い出しました。その子は、部屋の中にあるものを一つ一つ指して「茉莉ちゃんこれ好き?これは?じゃあこれは?」って私に聞いたんです。私が「好きでもなんでもないかな」って言ったら、「好きでもない物をどうして目に見えるところに置いてるの?」って本当に不思議そうに言われたんです。「自分の部屋っていうのは自分が一番リラックスできる場所だから、ここに居るだけでホッとするような状態になっていたらもっとリラックスして日々を過ごせるんじゃないかな」って言ってもらって。私にはその発想が一切なかったんですよね。それまでは、部屋に限らず、自分の身の回りの嫌なものをそのままにしていたことに気づいたんです。じゃあ一回やってみようっていうのが、私バージョンの生活改善運動の始まりです。
ーーご友人との出会いで生活が大きく変わっていったんですね。
安達さん:本当に、人との出会いで変わっていったなと思います。ある時、Yさんが私の家に遊びに来てくれたことがありました。当時の部屋は人とシェアしていたことがあったので、誰かの荷物や家具など、自分で選んだわけではない物がたくさんある状態で、自分の家という感覚が薄かったんです。誰かの家に私が住んでいるような感覚で、あんまり人を呼びたくなかったんですよね。そんな家にYさんが来たら、彼は目を輝かせていたんです。彼は自分の部屋の断捨離をやり尽くしているので自分の部屋は伸びしろがないんですけど、「ここにはフロンティアがある」って言って。そこから片付けが始まりました。まずは大型の粗大ごみを捨てるところから手をつけて、惰性で使っていた家具を処分しました。大型の家具は8〜9台くらい処分したでしょうか。自分でもよくこんなに持っていたなと思いました。
ーーそれだけの量を処分して、どのような心境になりましたか?
安達さん:これだけの重さをこの部屋は背負っていたんだと思いました。この部屋というか、私自身が背負っていたんだって気づいて、ものすごく軽くなりましたね。おそらく何百キロと物を捨てたと思うんです。それだけ軽くなったら、部屋も嬉しいでしょうし、私もやっぱり嬉しかったです。
ーーそれだけ大量に処分すると、新しく物を買う時にもこれまでとは違う感覚で選びそうですね。
安達さん:それまでとは全く変わりました。処分した時って、価値のあるものを泣く泣く処分したわけじゃなくて、なんの価値もない本物のゴミを捨てたって思ったんですよ。その虚無感が凄まじくて、もう二度とこんなことはしたくないと思ったんです。虚無感は人を動かすと思います。だから新しく買う物を選ぶ時には厳しくなりましたね。
当時は留学の後で金銭的に苦しい時期でもあったから、雑誌に載っているような素敵な家具は買えないけど、それでもその時に買える最高のものを選ぼうと思うようになりました。そこまで真剣に選んだ物なら、捨てるときにも「君は役割を果たしてくれたよ」って言って捨てられるんですよ。その「捨てる」にはちゃんと意味があって、人間として虚しくない行為だと思います。

身近な師匠にものづくりを教わったことで見えた世界
ーー物選びが厳しくなったことがきっかけになっていそうですが、本棚を手作りされていましたね。
安達さん:本棚をつくるまでも色々ありまして。またドラマチックな人生なんですけど、コロナがやってきて、当時兼業で勤めていた会社がいきなりなくなったんですよ。さすがに東京都内で一人暮らしをしているのがしんどくなり、千葉に住む妹夫妻の家に居候をさせてもらっていたんです。
その引越しの時に「方舟作戦」と題して、ノアの方舟みたいに新天地に連れて行ける物だけ連れて行くっていう方式を取ったんです。それ以外は全部捨てるっていう。その時に本棚は持って行けなくて。でも本だけはどんなに処分しても残るんですよね。妹の家にいる間は本はダンボールに入れたまま、ベッドの下とかに仕舞っていたんですけど、それが悲しくなっちゃって。だから妹夫妻の家から横浜に引っ越した先では絶対に本棚が必要って思っていたんですけど、探してみるとなかなか気に入る本棚がなかったんです。合板の本棚は使いたくないと思って、ちゃんとした本棚を買おうとすると結構なお値段なんですよね。その時は予算的にも厳しくて、どうしたものかと思っていたんです。
そんな時に、千葉のいすみ市でB&Bをやっているパヴェルさんというチェコ出身の方に出会いました。彼は「日本人は何でも買って済ませすぎ」と言っていて、「確かに!」と思ったんですよ。それで、本棚は自分で作ることもできるんだと思ったんです。そしたら、お世話になっている本屋・生活綴方の店長の鈴木雅代さんが、元々木工職人と家具職人をやっていた人だと知って。お店の本棚は、鈴木さんが板を買ってきて、電動ドリルを使って作っちゃうんですね。それで教えを請おうと思って、「本棚作りたいんです」と相談しました。身近に師匠がいたんですよ。そこからは、一緒にホームセンターへ行って板の買い方から教えてもらって、私のアパートは当時そんなにスペースがなかったのでお店の前で作業させてくれて。そんな感じで作ってみたら、革命的に嬉しかったんですよね。
ーー自分で作った本棚に愛着が湧きましたか?
安達さん:湧きましたね。可愛いんですよ、自分の手が入っているものって。2024年の6月に鎌倉に引っ越したんですけど、引っ越し先にも持って行って、仕事部屋にどーんと置いてます。
引っ越した理由の一つでもあるんですけど、本は増えたのに前のアパートだと何をどう頑張ってももう本を置けなくて、もっと広い部屋に引っ越す必要がありました。だから、引っ越した時には新しい本棚もまた手作りしようと思ってはいたんですけど、Yさんを召喚してアドバイスをもらったら、「管理できる本棚には限りがある」と言われたんです。「人間がコントロールできる本の数には限りがあり、本棚はだいたい2台ぐらいが限界と言われている」みたいな話をしだして。それ以上はどこに何を置いたかわからなくなるから良くないらしいんですね。私は壁一面の本棚に憧れていたのでその話をしたら、「この作った本棚をメインで置いて、広いクローゼットがあるからそこに本棚を入れてアーカイブすればいいやん」って言われたんです。それで、今ここに置きたい本だけメインの本棚に置いて、資料や、今ここになくてもいいかなという本はクローゼットに入れるという、図書館のレファレンスコーナーのような方式にしたんです。クローゼット用の本棚も作りたかったのですが、車の運転ができないのでホームセンターに木材を買いに行くのが難しく、組み立て式のものを買いました。
私は、この本『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』を読んだ人に、「作らなきゃいけないんだ」「作ってない自分はダメなんだ」と思ってほしくないんです。作る選択肢もあるんだって思ってもらうくらいがいいんです。選択肢を開くっていう意味で捉えてもらえたらいいなと思っています。買ってもいいし、こだわりたい時は作る。メリハリがあってもいいんじゃないかと思っています。
ーー本棚を作るにも師匠が近くにいたり、アドバイスしてくださるYさんの存在があったり、面白い方に囲まれていますよね。
安達さん:そうなんですよ。この本を書いていて思ったんですけど、師匠を一回も探さなかったんですよね。師匠は身近な人ばかりで。本棚の作り方を教えてくれたのはたまたまそんな経歴のある本屋・生活綴方の鈴木店長でしたし、始めた服作りも教えてくれたのは洋裁が趣味の友達でしたし。かつ近所にミシン工房があったので、全部身近で完結したんです。
ーー服を作られていることにも驚きました。本の中ではガウンを作っていましたね。
安達さん:あれは今でも普通に着てます。やっぱり愛着が湧きましたね。その後にそのミシン工房が移転してしまったこともあって、今は洋服はなかなか作れていないんですけどね。既製品がダメかっていうとそういうわけでもないんです。ただ、自分で作ってみると、服に対する感覚が変わるんですよね。服を作るってどれだけ大変かを実感したことで服を大切に選ぶようになりました。「こんなに簡単に見えるスカートでも作るとめんどくさいんだよな」みたいな気持ちになりますし、作ったことで服への解像度が上がりましたね。布を触ってみて「これはいいリネンだな」ってわかるようになったり、クラフトの楽しみにつながったり。今も本当はミシンが欲しくて、新しいおうちでも作りたいんですけど、仕事が忙しかったこともあってまだミシンに辿り着けていないんです。鎌倉は有名な布屋さんがいくつかあるので、そういうお店で生地を買ってまた作りたいなと思っています。
「生活改善運動」をしながら素敵な出会いを引き寄せていく
ーーものづくりの楽しさが伝わってきます。作るといえば、料理もされるようになったんですよね?食生活も変わりましたか?
安達さん:変わりました。この本を書いてから一番変わったのは食生活だと思います。元々は、自分の味覚が変なんじゃないかと食べることにも作ることにもコンプレックスがあったんですけど、この本を書いた後に急に料理に目覚めたんです。この本の中でも料理に目覚めていたと思うんですけど、さらにその後に革命がありました。
というのも、瀬川辰馬さんというすごく好きな器の作家さんがいるんですけど、その方の器を前のアパートに迎えたら、輝いていたんです。「国宝が部屋にある!」みたいな感じになって。そうなると、「ちょっと引っ越した方がいい気がする。さすがにあなたをここに置いておけません」って思ったんですよ。日常の器なんですけど、本当に美しい器がやってきて。それを見た時に「ああ、この器はちゃんと食器棚が置けるような、もっと余白のある空間に置いてあげたい」ってはっきり思ったんですね。それが2023年の年の瀬だったんですけど、その半年後に引っ越しが決まりました。そういう器を数枚取り入れるだけでも自分の人生の流れって変わっていくんだと実感しました。
器がやってくると楽しくて、急に料理に目覚めたんです。ビストロ料理みたいなのが好きで、鱈とじゃがいものスープを作ったり、キャロットラペの研究を始めたり。素敵な器を使って、素敵なテーブルセッティングもすると、料理が楽しくなって。そんな時に、料理に目覚めた話を、モデルの小谷実由さんのポッドキャストで話したら、それを聞いてくださった料理人の方が連絡くださって。「ポッドキャストを聞いたんですけど、すごくシンパシーを感じるので、よかったらプライベートレッスンさせてください」って言ってくださったんです。
ーーまた素敵な出会いがあったのですね。
安達さん:そうなんです。生田つかささんという千葉の房総半島に住んでいる方で、ご夫婦で自分たちのアトリエを持っていて、カフェもされていて、料理レッスンもされてるんです。わざわざ横浜まで会いに来てくれたんですよ。それから月に1回、久里浜港からフェリーに乗って東京湾を横断して房総半島に行って、料理のやり方を学んでいます。それもレシピじゃなくて、包丁の持ち方とか構え方とか、どんなことを心がけるかなんていうことを教わるんです。それがものすごく面白いんですよ。
台所って幸せな場所なのに、同時に呪いの場所でもありますよね。先祖代々受け継がれている呪いがあるじゃないですか。ちゃんと名前のある料理じゃないといけないとかね。だけど本当はそうじゃなくて、セルフケアに近い場所にもなり得るっていうことを、その方のところで今は学んでいます。新たな師匠に出会ったことで、包丁やまな板を買い替えたり、また生活が変わっていってる最中なんですよ。
ーーまだまだ生活改善中なんですね。
安達さん:日々変わっていますね。ただ、「改善」といっても私の場合は「向上」とはちょっと違うんです。「向上」と言うと苦しいんですけど、「改善」って自分自身に向かっていく感じがあるんですよね。自分が心地いい方、自分が楽しい方、自分がまだ見たことのない方に向かっていっているんだと思うと、どれだけ改善をすすめても楽しいし、無理がないんですよ。そもそもやれることをやりたいぶんしかやらないですし。今の生活が恥ずかしいと思ってやっているわけじゃなく、「今でも別に幸せなんだけど、もっと楽しいことが私には待っている」みたいな感覚に導かれてやってるので、何にも苦がないんです。苦がないから誰も恨まないし、憎まないんですよね。
プロフィール|安達茉莉子さん
作家、文筆家。東京外国語大学英語専攻卒業、防衛省勤務、丹波篠山の限界集落での生活、イギリスの大学院留学などを経て、言葉と絵を用いた作品の制作・発表を始める。『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)、『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(twililight)などの著書がある。
- SHARE:
- X(旧twitter)
- LINE
- noteで書く