地域での広報活動がきっかけに。専業主婦だった私が、53歳で作家デビューするまで【体験談】

 地域での広報活動がきっかけに。専業主婦だった私が、53歳で作家デビューするまで【体験談】
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53歳で作家デビューした草野かおるさん。元々地域で防災に関する広報をしていた後、3.11の際に防災に関する情報を4コマ漫画にしてブログにアップしていたことがデビューのきっかけだったそうです。デビュー後は防災や料理に関する本を執筆しています。『60歳からは「自分ファースト」で生きる。』(ぴあ)では、専業主婦として家族に尽くすことが多かった草野さんが、60代になって自分を最優先にして生きるために行った生活の知恵が描かれています。

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作家デビューの原点は地域活動だった

——草野さんは53歳で作家デビューされていますが、それまでどのような経緯があったのでしょうか。

最初は小さな出版社に事務員として入社し、少し編集の仕事をすることもあって。漫画制作の現場を見て、本ができる仕組みを知り、素人ながらに憧れていましたが、本を出せる人は特別な人生を歩んだり、特別なスキルがある人だと思っていて、自分とは縁のない世界だと思っていました。20代後半に結婚し、寿退社しています。

子どもの頃から絵を描くことが大好きで、出版社に勤めながら夜間の学校に通い、好きなイラストを描いていました。そこで才能のある人、絵が上手な人にたくさん出会い、私はプロとしては戦えないと思いました。でも好きなことは続けていこうと思い、作品集を作って出版社を回り、少しだけカットの仕事をもらったこともあります。でも、それだけで生活できるわけではなかったですし、既に結婚していたので、夫の収入で生活できる状況で、子どもも生まれていたので、あくまでメインは主婦業でした。

次女が生まれた年に阪神淡路大震災があり、震災への備えやボランティアへの注目が高まって、自治会など地域活動で防災訓練をすることも増えました。私は断れない性格で役員をすることもあって。

せっかく防災訓練を実施しても、参加した会員さんと役員さんしか情報を知らないのでは困るので、当時住んでいた団地向けに、防災訓練の報告を4コマ漫画で描き、エレベーターに掲示しました。地域活動といっても、みなさんにお知らせするなら誤った情報がないよう、正確に描く必要があります。団地から引っ越すまで、20年以上広報係として活動していました。

——地域での活動が作家のお仕事の原点だったのですね。

その後、2011年に東日本大震災がありました。それまでは「自分は防災に詳しい」と天狗になっていたのですが、3.11では何も知らないのと同じくらい、色々なことが起きました。当時、津波のことも知らない人が多かったですよね。

台所のテーブルで、新しい情報をメモし、「自治会の壁新聞が充実する」と娘に自慢していたのですが、娘から「PTAや自治会だけに出すのではもったいない。もっと広く発表しないと」と、ブログに出すことを勧められました。娘に教えてもらおうと思ったのですが「自分でやらなきゃダメ」と。本屋さんでブログの始め方の本を買い、防災の4コマ漫画を描き、スキャナで読み取りブログにアップしていました。

10枚ほどアップしたところで「本にしませんか?」というご連絡をいただいて。素人に出版の誘いなんて、詐欺かもしれないと娘と疑い(笑)、娘も同伴して編集者さんに会いました。もちろん、詐欺なんかではありませんでした。ちなみに、そのとき声をかけてくれたのが今のマネジャーです。

本にするには、4コマ漫画が大量に必要で、かつ防災意識が高まっている2011年中でないと、出版できないだろうと言われて。かなりタイトなスケジュールになることはわかっていたのですが、こんなチャンスを逃したら絶対に後悔するだろうと思い、決心しました。出版先も決まり、毎日4時間睡眠で描き続け、2011年の9月1日にデビューしました。デビュー作は版を重ねて、大雨や洪水など他の自然災害の情報も追加し、現在では増補改訂版が書店に並んでいます。

——草野さんの防災術とはどのようなものなのでしょうか?

2018年に防災士の資格を取っているのですが、基本的に、私の防災術は防災士の教科書には載っていないものです。たとえば防災ヘルメットについて、「国家検定に受かったものを用意し、プラスチックは劣化するので3年以内に買い替える。かつ家族全員分すぐ取り出せるところに置いておく」というのが、良い防災士のアドバイスです。

でも現実には、家族全員分を3年以内で買い替えたり、家族全員分のヘルメットの置き場を確保するのも、なかなか難しいですよね。かといって諦める必要はなく、家にあるものでできることがあります。

タオルとステンレスのボウルを用意し、タオルを頭に被せた上に、ボウルを載せます。タオルはクッションの役割を果たします。その上で、ストールや風呂敷などで固定するとヘルメットの代わりになります。ステンレスのボウルなら100均で売っていますし、子どもからお年寄りまで取り入れられる。「無理だから」と諦めるよりは、飛んできたものから頭を守ってくれるものができるんです。

『60歳からは「自分ファースト」で生きる。』(ぴあ)より
『60歳からは「自分ファースト」で生きる。』(ぴあ)より

更年期症状の乗り越え方は?

——本書では「自分らしく生きられるのはあと何年でしょう」と問いかけていますが、草野さんは今までの人生で「こうしておけばよかった」と思うことはありますか?

うーん……。考えてみたのですが、全然ないですね。それは今充実しているからだと思います。「もう少し歯を大事にすればよかった」とか「筋肉つけておけばよかった」と思うことはありますが、後悔はなくて。40代や50代の頃だったら100個くらい出てきたかと思います。

40代の頃は子育て真っ盛りでしたし、40~50代にかけては、更年期の症状で体調が優れなかったり、夫と衝突することもありました。生き方の相違や不景気など、自分ではどうにもならないことでイライラもしていたのですが、それでも3食作らなきゃいけないことも嫌で、家にいたくないと思うことも多かったです。

——更年期症状はどのように乗り越えてきましたか?

つらかったけれど、すごく重かったというわけでもなくて、病院を受診はしませんでした。日々、自分の状態と向き合って、体を動かすことで解消できそうだったので、外に出て整えていきました。

更年期の症状は色々なものがあって、家族に言っても自分のつらさをわかってもらえない感覚でした。家庭内で孤立感を覚えるのは良くないので、「家族は更年期症状を経験していないのだから、わからないのは仕方ない」と思い、家族にわかってもらうのではなく、外で発散することで解決するようシフトしていったんです。

元々登山が好きだったのですが、友人は予定が合わなくて一緒に行けなかったり、かといって一人で本格的な山登りをするのは危ないと思って。当時『新ハイキング』(新ハイキング社)という雑誌を愛読していて、そこでは日帰り登山が紹介されていたので、その影響を受けて、一か月に二回程度行っていました。

一人で来ている中高年の人が多くて、同年代の女性は私と同じで家にいたくない人が多かったです。お互いに名前も名乗らずに、電車の中で身の上話を聞き合って、その場だからこそ打ち明けられる話もあって。おしゃべりをして、大自然の中で体を動かし、スッキリすることで救われていました。

※後編に続きます

『60歳からは「自分ファースト」で生きる。』(ぴあ)
『60歳からは「自分ファースト」で生きる。』(ぴあ)


【プロフィール】
草野かおる(くさの・かおる)

出版社勤務を経て、イラストレーターとして活動。現在66歳。PTAや自治会を通して16年に渡り防災勉強会や防災訓練などで防災活動に関わったことを活かし、東日本大震災の数日後、役に立つ防災メモを4コマにしてブログで発信を始める。その年の防災の日である9月1日、これが書籍になり、50代にして著者デビュー。続けて非常食のアイデアをまとめた本や、100均グッズなどで備える、自宅避難に役立つ防災本も発売。2018年には防災士の資格を取得。防災以外にも食養生や激せまキッチンでもできるレシピ本なども刊行。

■X(旧Twitter):@kaorutofu

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雪代すみれ

雪代すみれ

フリーライター。企画・取材・執筆をしています。関心のあるジャンルは、ジェンダー/フェミニズム/女性のキャリアなど。趣味はヘルシオホットクックでの自炊。



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