なぜ子供が欲しくないんですか?出産にまつわる「正しい感情」

 なぜ子供が欲しくないんですか?出産にまつわる「正しい感情」
ヨガジャーナルオンライン

エコーチェンバー現象や排外主義の台頭により、視野狭窄になりがちな今、広い視野で世界を見るにはーー。フェミニズムやジェンダーについて取材してきた原宿なつきさんが、今気になる本と共に注目するキーワードをピックアップし紐解いていく。

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ライター・コラムニストの月岡ツキさん著『産む気もないのに生理かよ!』(飛鳥新書)を読んだ。

本書は、既婚で今のところ子供を産むことを考えていない月岡さんが、さまざまな角度から「産む産まない問題」を考察したエッセイ集だ。

「どうしたら子供を産み、育てたいという世の中になると思いますか?」という質問

本書を読んだのち、月岡さんが友人と配信されているポッドキャスト『となりの芝生はソーブルー』も聞いてみた。そこで、月岡さんは本書を読んだインタビュアーから、「どうしたら子供を産み、育てたい、という世の中になると思いますか?」と聞かれることがあるが、「その質問は本書で語っている内容とはレイヤーの違う話」だと述べていた。

「どうしたら子供を産み、育てたいという世の中になると思いますか?」という質問は、子供を産むことが正解であるという前提にたった質問だが、月岡さんは「子供が欲しいと思う人は産み育てやすい社会になるべきだが、欲しいと思っていない人を欲しいと思う人に変える必要はない」(大意)といったことを本書で述べている。

人の感情を無理やり「正解」に合わせて変える必要はない。正論だが、この正論が、こと出産や子育てに関しては軽視されがちな傾向がある。

女性が出産や子育てに対して持つべき感情は規制されている

『母親になって後悔してる』(新潮社)は、イスラエルの社会学者オルナ・ドーナトによる、これまでタブー視されてきた「母親になった後悔」と、後悔の裏に隠れた女性のアイデンティティの多様性に光を当てた一冊だ。

本書がとりあげるのは、母親になって後悔していると語る23人の女性の証言だ。彼女たちは子どもを愛している。しかし同時に、「今の知識と経験を踏まえて、過去に戻ることができたら、ふたたび母になる道を選ぶか?」という選択には、明確にノーと答えている。

母親になって後悔している理由はさまざまだ。

賃労働の後に子どもの世話というセカンドシフトが待ち構えていて心底疲れるとか、夫が子育てを「手伝う」感覚でいるとか、出産がトラウマだったとか、「母=他者のために存在すること」を期待する社会圧とか、無限に続く世話の感覚とか…そういったこことが後悔の原因になっている場合もある。

また、「母親になって後悔している女性」というと「仕事など他にやりたいことがある」というイメージが強いが、実際は、キャリアに対しても興味がないことも珍しくない、とオルナは言う。

お金の問題もなく、家族で協力して育児をし、やりたい仕事があるわけでもない。一見、何の問題もないような状況でさえ、母親になったことを後悔する女性もいる。

彼女たちはシンプルに母親であることを後悔している。「端的に言えば自分には向いていなかった」と。オルナの研究は、母親であること自体、耐えがたいと感じる女性が存在し、彼女たちの声は抑圧されてきたという事実を明らかにしたものだ。

彼女たちが、「母になることが耐え難い」「親になること自体、好きじゃない」等の感情を自分に許可するハードルはとても高い。

なぜなら、母になったからには、子供が生まれた瞬間が人生最大の幸福の時であり、子育てを楽しみ、母親になったことを幸せだと感じなければならないからだ。それこそが、社会に求められている「正しい感情」であり、その正しさに反する感情を持つことは、社会から全く期待されていない。

「母親は感じるべき感情と、忘れるべき感情を規定されている」とオルナは結論づけている。

出産や子育てにまつわる感情を規制することは、すべての女性の抑圧に通じる

「感じるべき正しい感情を規定されている」のは、母親だけに止まらない。女性に向けられる「なぜ、子供が欲しくないの?」という問いは、「本来、欲しがるはずなのに」という無意識の「正しさ」に裏付けられた質問だ。

子供を欲しいと思わない女性は、しばしば「なぜ自分は子供を欲しいと思わないのだろう」「なぜ自分は子供を欲しいと“思えない”のだろう」と自分自身に対し、「なぜ、子供が欲しくないの?」と問うことになる。それは、自分が感じている感情が「社会が想定する正解の感情」からズレていることに対する不安から発せられる問いだ。

少子化は社会問題であり、女性は社会のためにもっと産むべきだ、産まないのはワガママだ、という社会的圧力があり、出産奨励、母性礼賛的な空気が当然のようにある社会に生まれた以上、「自分は子供が欲しくないのはなぜか」という疑問を抱くのはある意味自然なことだろう。

しかし、本来なら、「子供は欲しくない。なぜなら、欲しくないから」で良いはずだ。なぜなら、そう思うことだって、「子供が欲しい」と思う感情と同様に、自然な感情なのだから。

例えば、レズビアンやゲイに対して、「なぜあなたは同性が好きなのですか?」と聞く異性愛者がいるが、その質問の根底には「あなたは変なので、何か理由があるはずです。理由を教えてください」というマジョリティの傲慢さが見え隠れしている。

同様に「なぜあなたは子供が欲しくないのですか?」という質問を他者や自分にすることは、「あなたは変なので、何か理由があるはずです。理由を教えてください」と言っているに等しいのではないか。

出産や子育てに対して、自分とは異なる感情を持つ相手に興味を持ち、知りたくなるのは自然なことだし、友達同士で「なぜ子供が欲しい?」「なぜ子供が欲しくない?」というトピックで会話をするのはなんら問題ないだろう。

しかし、その際、「本来欲しいはずなのに」という「正解の感情」に沿って会話を進めることは、「女性は出産や子育てに対してポジティブな感情を持たなければならない」という感情の規制を進めるのと同義だ。そういった規制は、子を望まない女性だけではなく、子育て中に負の感情を感じうる女性、つまり、全ての女性を抑圧することにつながる、ということは認識しておくべきだろう。

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原宿なつき

原宿なつき

関西出身の文化系ライター。「wezzy」にてブックレビュー連載中。



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