優しいところもあった…「親の異常性」を認めることの難しさ。毒親と絶縁した今思うこと【経験談】
激しい衝突をする両親、5歳で母親が自死。その後、大好きな祖母と暮らすことになり、幸せな日々を送れると思いきや、祖母はアルコール依存だった……。『さよなら毒家族 アルコール依存症の祖母の呪縛から解放されて私を取り戻すまで 』(KADOKAWA)には、漫画家のゆめのさんの壮絶な体験談が描かれています。現在では、実家と疎遠になっているというゆめのさん。家族との距離の取り方や、距離を取ることでのご自身への変化、「うちの親はおかしい」と認めることの難しさについて伺いました。※本記事にはセンシティブな表現が含まれます。
実家と距離を置いたことでの変化
——結婚をきっかけに「離れて暮らす」という物理的な距離をとっていますが、それだけでは苦しみが残った様子が描かれています。精神的な距離を置くためにどんなことをしたのでしょうか?
家にある祖母に関連するものを全て処分しました。祖母は私に尽くすのが好きで、結婚した後も洋服や食器、食べ物などの荷物をよく送ってきていて、私もいずれ使うだろうと思って全部とっておいたのですが、全部捨てました。加えて送り合っていた手紙も全部処分しています。これで大分気持ちはスッキリしました。
連絡手段に関しては、まず引っ越したときに住所を教えませんでした。その後、電話などの連絡を無視していたのですが、いつ祖父母から電話がかかってくるか怯えたくなかったので、実家関係の電話を全て着信拒否しました。
——物理的な距離を置いた段階と、精神的な距離を置いた段階で、ご自身にどのような変化がありましたか?
実家にいるときに強迫性障害になっていて、結婚して引っ越す前は症状が強く出ている頃だったのですが、実家から離れたら症状がなくなって。最初は、自分でもなぜこんなに楽になったかわからなかったのですが、徐々に祖母がいないからだと気づきました。
精神的な距離を置いたことでは、接触がなくなったことで楽になったのと同時に、今までされてきた酷いことが、全部フラッシュバックのように襲いかかってきてしんどかったです。実家にいたときは感覚を麻痺させてやり過ごしていたことが、安全な環境で暮らすようになって、後からつらかった感情が出てきていたのだと思います。当時の自分が「つらかった」と言ってるのだろうと受け取りました。
——そのときはどう対処したのですか?
メンタルに関する本を読み漁って、自分がどういう状態なのか理解するようにしました。たくさん本を読む中で、一人で解決するのは難しいかもしれないと思い、カウンセリングに行っています。あとは時間が経つのを待ってやり過ごした部分もあります。
作中で心療内科へ行く描写がありますが、まだ「親を嫌いになってはいけない」と思っている頃で、そのときはそのときで先生に話を聞いてもらってスッキリしたのですが、精神的に距離を置いたときには行かなかったんです。今考えれば、受診して薬物療法もした方がよかったかもしれないと思うくらい体調が悪い時期もあったのですが、なんとなく服薬に抵抗感を持っていて。
——精神的な距離を置いた後も、罪悪感を覚えてしまうことがあることを描いています。どういう心情だったのでしょうか?
ずっと祖母のことを大好きだと思っていたので、ずっと祖母のそばにいて死ぬときに看取るイメージを持っていました。でもそれができないこと、祖母が望むようにずっと近くにいられなかったことに申し訳なさがありました。
今でも罪悪感と向き合っている途中です。生きていることに罪悪感を覚えることがあって「こんな私でごめんなさい」という感情がつきまとっています。
でももし大切な人が私の立場だったら「そんなひどい親に罪悪感を覚えながら生きるのはもったいないよ」と声をかけると思うんです。だから自分にもそう言葉をかけてあげたいと思っています。
親の異常性を認めることの難しさ
——「親や育った環境は異常だった」と認めるまでに、時間がかかる様子を描いています。育った家庭が異常だと認めることの難しさはどんなところにあると思いますか?
祖母は子育てに向いていない人間だったと思いますが、私には優しく接して愛情をくれたこともありました。結局はお酒をやめているのだし、育ててくれたし、良い面も持っているし……と無理やり自分を納得させようとしていた時期もありました。24時間365日つらい出来事ばかりではなく、嬉しいことや楽しいこともあるので、「うちの親はおかしい」と認めることは難しいのかもしれません。
加えて「普通にお父さんとお母さんがいて、お酒に依存することなく、毎日ご飯を作ってくれて、話を聞いてくれる朗らかな家庭で育ちたかった」という気持ちを認めてしまうと、今までの自分が全部否定されてしまうような感覚はあるのかもしれません。
——「うちはおかしかった」と認め始めたとき、過去の思い出はどう整理しましたか?
最初は全部忘れて、がむしゃらに「一番の敵」「本当にヤバい人」だと思うようにしていました。「優しいときもあった」なんて話をしたら、誰かに「じゃあ許してあげなよ」と言われることを恐れてもいて。
親の異常性を認めたとき、過去のつらかった記憶の蓋が開く感覚があるので、自分の心を守るためにも親を憎むことは必要だったと思います。
今は「優しいところもあったけれど、毒親だった」と捉えています。祖母からしたら娘を早く亡くした上、孫を育てるのは大変だったと思いますし、祖母があんなふうになってしまったのは仕方ない部分はあると思いつつも、私はつらかったですし、今も許さないという気持ちです。
今でも、良い思い出ばかりを思い出すと苦しくなるので、基本的には「嫌な人だった、毒親だった」という感覚が中心で、良い思い出は少し遠くに置いてあるイメージで日々を過ごしています。
——ゆめのさんご自身は、おばあさんに「良いところもあるから」とずっと悪く思えずに悩んでいましたが、過去の自分に声をかけるとしたら、どんな言葉を送りますか?
軽い言葉になって恐縮ですが……今となっては、悩んできた時間がもったいなかったと思うので、「早く憎んで忘れる方向にシフトしなよ」と言いたくなります。
親を大切にしたりマメに連絡をとったりすることも、自分が好きでやっているならともかく、やりたくないのに義務感でやることではないと思います。
子どもが「うちはおかしい」と気づけるきっかけを
——子どもが機能不全家族の中で苦しまないために、どんなことが必要だと思いますか?
私の子どもの頃は、周りが機能不全家族だと気づいて助けることは難しかったと思うんです。というのも、私が暮らしていた地域は、子ども自身がSOSを出したとしても、「子どもが何を言ってるんだろう」と本気で受け取ってもらえなかったと思いますし、今よりも親は絶対的に正しい存在として考えられていたと思います。
でも今の時代は「毒親」という概念が浸透してきています。だから子ども自身が、自分の家族が機能不全家族だと気づける仕組みがあったら変わるかもしれない。子どもは他の家庭のことを知らないので、自分の家が普通だと思って育ちます。なので、「うちの家族はおかしいかもしれない」と気づけなければ、助けを求められない。
アルコール依存だって、子どもからしたら、どういうお酒の飲み方が異常なのかわからないですよね。保健室や学校の図書館などで、情報が得られる機会があれば違うかもしれません。
そして「助けて」と言いたいと思える大人であるために、大人が知識をつけることも必要だと思います。
【プロフィール】
ゆめの
漫画家。夫婦の日常や毒親育ちのエッセイ漫画を描く。
■ライブドアブログ
https://yumenobear.blog.jp/
■Instagram:@yumeno_bear
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