1000着の服を捨てたファッションエディター昼田祥子が「服捨ては自分への愛」と語る理由
あなたは、服が好きですか?服は何着持っていますか?◯◯着と答えられる人は、なかなか少ないかもしれません。今回、お話を伺ったのは、ファッションエディター歴21年のおしゃれの達人、昼田祥子さん。誰よりも服を愛し、服を熟知し、「土地付き新築物件が購入できるほどの金額を服に投資してきた」という昼田さんは、2016年ひょんなことから「服捨て」をはじめました。捨てた服の数は、1000着にも及ぶと言います。「クローゼットの中身を変えただけなのに、全てが自動的に流れていくようになった」という昼田さんが、得たものとは何なのでしょうか?
服捨てのプロセスはヨガと一緒
– 著書の「1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話」を読ませていただきました。正直、読む前は服を捨てようなんて考えていなかったのですが、読んでいる内にだんだんと私も「服捨て」がしたいと思うようになっていました。本の中では「服捨て」と言っていますが、そう名付けたのは、何か理由があったんですか?
昼田さん: 最初からあったわけではないんです。本を作っていく過程で、校正刷りが出版社の色々な部署に回るんですけど、この本のタイトルが長すぎたことから「服捨て本」と言われるようになったんです。それで本の中でもそう呼ぶようになりました。「手放す」という言葉の方がマイルドだと思うんですけど、自分の心境としては「捨てる」という言葉の方がしっくりきていたのでよく使っていました。言い切ったことによって、メッセージ性が強くなったのかもしれないですね。
– そうですね。「捨てる」という言葉の方が、潔い印象を受けます。今、たくさんの整理収納本やお片付け本がありますが、それらは例えば「ミニマリストになりましょう!」とか「部屋をキレイにしましょう」といったメッセージが強いように感じることが多いです。けど、昼田さんの本からは、そういう強いメッセージは一切感じなくて、だからこそすごく響いたんですよね。それは、本の中にも何度も書かれている「自分の心地よさ」に根ざしたものだからなのかなと思っています。
昼田さん: それって、ヨガと一緒だと思いませんか?
– そう思います!読んでいる時、私はヨガの本を読んでいるのかな?と思ったくらいです。
昼田さん: 私もヨガは10年くらいやっていて、その間に服捨ての3年間があり、終わってみてこれはヨガと一緒だなと思いました。私の場合は、最初にミニマリストになりたいとか、部屋を片付けたいなどの明確なゴールがあったわけではなかったんですよね。ただ毎回やるたびに何かを習得していたというか、楽しいとか、気持ちいいとか、その感覚を追っていったら、服が減っていったんです。
– 毎回のヨガレッスンで、気持ちがスッキリするとか、体が軽くなるみたいな感じですね。
昼田さん: そうですね。普通は「ありたい状況」やゴールを先に選定して、それをモチベーションにしてて服の整理をするといったような「行動」をとっていくと思うんです。私の場合は、そこが全くなかった。今結果的にミニマリストと呼ばれる人になったと思うんですけど、そのカテゴライズに入っていなくてもいいですし、自分が納得していればそれでいい、という心境にたどり着きました。
– そもそも、服を捨てはじめたきっかけはなんだったのでしょうか?
昼田さん: 義理の父にメルカリを勧められたのがきっかけです。最初は、親世代が夢中になれるアプリって何なんだろうという好奇心から「とりあえずやってみるか」という軽い気持ちではじめました。服を売るつもりはありませんでしたし、当時は服をたくさん持っていることがストレスだと感じたこともありませんでした。服のコーディネートを作るのも、全然苦じゃないんですよ。服に躓いたこともなくて、むしろ、服は自分の生きるエネルギーでもあったんです。おしゃれな格好をするのって楽しいじゃないですか。それを誰よりも享受していた立場の人間だから、手放そうなんて一度も思ったことがありませんでした。例えば、大好きな推しに夢中で、推しを手放そうなんて思わないのと同じ感覚です。推せるものがあるのは幸せなことですしね。だけど自分の大切なものにメスを入れたっていうのが、今となってはよくやったなと思います(笑)
– 確かに、好きなものを捨てようなんて発想は中々生まれないですね。最初はメルカリでネイルからはじめて、徐々にお洋服を売ることに移行したんですよね?
昼田さん: そうです。自分にとって関係のないものから売りはじめました。いきなり核心をつけないわけで…核心は何かと言うと、自分が今まで見ないようにしていた部分です。だって、自分の闇を見るのはできれば避けたいじゃないですか。やっぱり楽な方に逃げてしまいたくなるから、自分にとって捨てやすいものから捨てていく。それが私にとってはネイルだったんです。そのあとあまり興味のなかった靴、、全然着てない服へと順番に着手していきました。
– もしかしたら、ファッション業界の方々の間では普通のことなのかもしれないですけど、そもそも1000着持っていたということが、結構驚きでした。
昼田さん: 実は、私これまでに土地付きの新築の家が買えるくらい服に「投資」してきたと思います。それは、自分がファッションエディターだったからというのが大きいです。私の仕事は、ざっくり言うと服の魅力を伝えることなんですね。作る側である一方で、読者側の気持ちも理解したいという思いがありましたので、実際にいろいろ買うわけです。そもそも服は着てみないとわからない部分がたくさんありますので、20代の頃は「買って着る」ということもキャリアとして必要だと思っていました。もちろん、服が好きだったからということは大前提としてあるんですが…。1000着と聞くとみんなびっくりされますが、そもそも自分が何着服を持っているのか数えたことない方が多いんじゃないかな。「多い」とか「結構あります」とかざっくり言いますが、意外とみなさん持ってますから(笑)
– 確かに、私も服は好きなので「結構あります」が…そう言われてみれば、今何着持っているか正確な数は分からないです(笑)
昼田さん: ですよね?(笑)私も服を捨てることで、初めて数だけでなくどんな服を持っているかに気づくことできました。ヨガでも同じことが言えませんか?例えば「私は体が硬い」とくざっくり捉えていたものが、ヨガをやっていく内に、体のこの部位が硬くて、右側と左側だとこっちの方が硬くて... とかディテールが見えてくるじゃないですか。やっていく内に自分のことが分かってくるというプロセスは、服捨てもヨガと一緒だなって思っています。私は3年かけて服を捨てましたが、その間に、落雷のような気づきが何度も起きているんですね。ヨガでも似たようなことがありますよね?
– ありますね。全然、意図してなくても降ってくることがあります。昼田さんは服捨てする中でどんな落雷がありましたか?
昼田さん: 最初の落雷は、自分が数に翻弄されていたことを知った時でした。それまで「数が多いことが自慢」で、「数多く持っていることがおしゃれだ」と思っていたんですね。でも結局自分は、数が多いことがストレスになっていたことに気がつきました。その気付きがあったら、もう絶対二度と戻りたくないじゃないですか。だから、もうリバウンドすることはないと思います。そんな感じで服捨てしながらさまざまな気づきを得ていく3年間でしたね。
「服捨て」は自分への愛
– 3年間かけて「服捨て」をする中で、1番苦労したことは、どんなことでした?
昼田さん: 苦労…っていう感覚はなかったですね。ヨガと一緒で、自分の体で苦労するっていうよりも、自分に向き合っているという感覚がずっとありました。「なんで自分はこれを捨てられないんだろう」とか、「この服を捨てたら、どうなっちゃうって思い込んでいるんだろう」など自分との対話を繰り返していたんですよね。今となっては、それは自分への愛だったなと思います。
– 自分への愛って、素敵ですね。
昼田さん: 捨てられないのはなぜなんだろうと深掘りしていったら、自分に自信がなかったり、誰かに褒められたいと思う気持ちがあることに気づきました。結局、自分の価値を低く見積もっているから服から自分を切り離せないんですよね。服を捨てるという行為を続けながら、そういう自分の闇の部分に光を当て続けていきました。
– 自分の闇と対峙した時にぶつかった壁を、どう乗り越えてきましたか?
昼田さん: 全肯定です。「いいよ~」「そのままで十分だよ」って自分で自分に声をかけてあげるんです。自分の中に「すごく優しい伴走者」がいて、その人に言われているイメージですね。だから、やればやるほど元気が出てくるんですよ。自分との対話は、落ち込むためにするものじゃないですよね。どんな自分が出てきても優しい声をかけ続けていくと、最終的には誰かに聞いてもらったような安心感が生まれます。その境地に立つと、他人に評価を求めていくことも減っていくんですよね。服を捨てて自分の闇に向き合えば向き合うほど、パワーが戻ってくるように感じていました。これを続けたことが自分を癒し、自分を愛することに繋がっていたと思います。だから「服捨ては、自分への愛」なんですよ。
– 名言ですね。 何気なくはじめたメルカリで、そんな境地にたどり着くようになるのって、すごくないですか?
昼田さん: ターニングポイントがあったとしたらそれは「捨てられない服に出会ったとき」だと思います。捨てることを諦めることもできたけれど、私は、もう一歩先に行ってみたいと思ったんです。だから捨て続けたんです。ヨガでも同じことが言えますよね。ヨガをし続けたことでできなかったポーズができるようになったり、思いもよらなかった境地に到達できたりする。それと一緒で、やり続けることに意味があるのだと思っています。
– 結局、何事もやっぱり続けないとダメですよね。だけど、続けられない... という方は多いような気がします。ヨガにしても、何にしても、そういう話はよく耳にするので。そういった方に、何かアドバイスはありますか?
昼田さん: 私は、大きなゴールは見なくていいと思っています。マラソンで例えるなら、長距離をいきなり完走しようとせず、とりあえず10メートル先のあの電柱まで走ろうみたいな感じです。それぐらいなら、なんかできそうな気がしますよね?
– 確かに、それぐらいならできそうだなと思えます。昼田さんにとっての小さなゴールは、どんなことでしたか?
昼田さん: 「捨てたらなんか気持ちがスッキリした」「クローゼットが変化して嬉しい」っていう、体感の部分ですね。大きいゴールを見ようとすると、急に気負って疲れるし、自分で自分の首を締めることになります。だから今日自分が納得するところまでスッキリできたらいいや、というマインドで続けていました。何枚捨てられたかは考えませんでしたね。
なりたい自分を引き寄せる?!「服捨て」のパワーとは?
– 現在は、「服捨て」は、続けていないんですか?
昼田さん: 基本的に2019年で一区切りつけているんですけど、クローゼットはその後も変わり続けていますし、完成形はないんだなと思っています。これが私の一生のワードローブ、これしかもう着ないと決めてしまうということは、一生変わらなくていい、自分をアップデートしなくていいというのと同義だと思っています。どんどん自分を変えていいと思いますし、変化に終わりはない。ただ、いつだって大事なのは、今の自分にとっての心地よいワードローブかどうかです。服捨ては常にやっていますし、今となっては意図的に変えるようになりました。服を変えると行動が変わりますからね。
– 行動が変わるというのは、具体的にどういうことですか?
昼田さん: 例えば、新しいヨガウェアを買うとモチベーションが上がったりすることがあるように、服には人を変える力があると思っています。だから、叶えたい夢やなりたい自分があるのなら、それが現実になった時に着ていたい服をもう先に買ってしまうんです。そうすると、服がその未来を連れてきてくれます。
– 思い描いていたような未来になるということでしょうか?
昼田さん: そうです。具体的な事例を話すと…私、代官山の蔦屋さんでトークショーをやりたいと思っていたのですが、そんな話はまるで出ていなかったときに、トークショーで着るための服を買いました。それで、その服を見てニヤニヤしていたら(笑)、きちんと現実になりました。
– そんなことあるんですか?!もちろん、それに向かって努力はされたんでしょうが、すごい引き寄せですね。
昼田さん: そうなんです。本に詳しく書いた「願いを叶える服」のことで、ぜひ服を定期的に買ってみることをお勧めします。そういう新しい服をクローゼットに入れると、くすんで見えてくる服が出てくるんですよ。新しく買った服が未来を生きている服だとしたら、過去を生きている服がいくつか浮上してきます。そういうものを捨ててワードローブを活性化させると、空気が変わるんですよね。
– 服捨てをはじめてから、お買い物の仕方に何か変化はありましたか?
昼田さん: すごく変わってます。なぜかというと、服捨てをしている最中に「気づいているから」なんですよ。「なんで1回しか着なかったんだろう」「この着丈が使いづらかったな」とか。色々な気づきがあるから、買い方を変えないといけないなと自動的に思うようになるんです。
– 具体的に、どのように今は服を買っているんですか?
昼田さん: 服に役目を与えてから買うようになりましたね。例えば今、誰かに「この服を持っているのはなぜですか?」と聞かれたら、「好きだから」とか、そんなざっくりした表現ではなく、「平日の仕事で週に3−4回は着るイージーケアのニットです」というように、どんなシーンで、どんな使い方をするかという役割が一つ一つに決まっています。
– 「かわいいから」とかなんとなく持っている服ってあります。
昼田さん: なんとなく持っている服って、ワードローブになんとなく存在するんですよ。なんとなく持ち続けて、そうすると「なんとなくの人生」になるんですよ。
– 耳が痛い... (笑)
昼田さん: かつての私もそうでした(笑) 人生と服捨ては、本当に紐付いています。服を人として捉えると分かりやすいかもしれません。「あなたにはこういう役割をしてほしいから、私と一緒にいてください」というのと、「(あってもなくてもどちらでもいいんだけど)なんとなく一緒にいて」というのだと、どちらが自分にとって役立ってくれるのかは明らかじゃないですか。私のワードローブは、自分が運営している会社と同じだと思っています。自分が社長で、服が私の人生をやりたい方向に導いてくれる社員たち。なので、それぞれに役割が決まっているんです。働かずにいるだけの幽霊な社員ばかりになったら、絶対に業績が下がりますよね。
– そのお話を聞くと、先程の引き寄せの話も理論的に理解できるような気がします。
昼田さん: そう。そっちの方向に行きたいとですと、舵取りしていくのは自分なんです。
「服捨て」は人生を変える
– 昼田さんは、服捨て経験から、瞑想インストラクターとして活動するようになられたんですよね。服捨てとウェルネスには何か関係があると思いますか?
昼田さん: 服を捨てるまでの私がそれまで何をしていたかというと、本来の自分と違うことをしていたんですよね。服がないと自信がなかったので、過剰に持っていたんです。でもどんな時も「本来の自分」であることが、本当は一番健康的で自然な状態だと気づけて。だから、その「自然な状態」にワードローブが近づいた時に、当然生き方も無理がなくなるし、不快なものを手放しているわけだから、心地がいい。クローゼットが本来の自分に同期した時、必然的にライフスタイルも自然なままに導かれていくようになりました。すごく不思議なんですけど、ただクローゼットの中身を変えただけなのに、全てが自動的に流れるように変化していったんです。暮らしがシンプルになって、移住したり、働き方も変わり、で次々と展開していくのは、人生の詰まりが取れたからだと思います
– それが本のタイトルの「人生がすごい勢いで動き出した」ということなんですね。生活はつながっているから、何かちょっとしたことに変化があると、少しずつ変わっていくんですね。分かる気がします。何度も言いますが、まさかメルカリでそんな人生が変わるなんて思いもよらないことでしたよね。
昼田さん: そうなんです。だから、自分の人生なんて分からないものだし、自分とはこういう人間だと決めつける必要もないんだと思っています。
– 力強いですね!最後に、服捨ては、どんな人におすすめなのか、教えて下さい。
昼田さん: 人生にすごく満足している人は、服を捨てる必要はないと思います。けれど、まだやりたいことがあるとか、何かちょっとでも自分の人生に引っ掛かりを感じている人には服捨てをおすすめしたいです。人生を詰まらせている問題と、ワードローブで捨てられない服は、全く一緒ですから。
【プロフィール】昼田 祥子さん
ファッションエディター/出版社勤務を経て、フリーランスへ。2016年に大規模なクローゼットの片付けに着手し、1000枚近くあった洋服がわずか20枚に。洋服好きだからこそ捨てられない葛藤を経験し、「おしゃれとは自分が心地よくあること」と気づく。その体験をウェブマガジン「mi-mollet(ミモレ)」の連載で綴ったところ大反響を呼ぶ。「ウェルビーイングな生き方」を目指し、瞑想インストラクターとしても活動中。2020年山形へ移住し、2023年春から東京へ拠点を移す。初の著書『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』が発売中。
Instagram:@hiru.1010
【昼田さんの著書】『1000枚の服を捨てたら、 人生がすごい勢いで動き出した話』
「朝日新聞」「CLASSY.」「リンネル」「日経WOMAN」など、各メディアで話題! たちまち5刷の話題作。
クローゼットに収納術はいりません。
「クローゼット=本当の自分」にできれば、勝手に整うものだから。
ただ、自分の心地よさに従うこと。
本来の自分を生きるという覚悟を決めること。
捨てられずに人生を詰まらせているものに向き合い、手放していけたとき、人生はすごい速さで自分でも思いがけない方向に進んでいきます。
1000枚の服を溜め込んだファッション雑誌編集者の人生を変えた「服捨て」体験と、誰でもできるその方法を伝えます。
AUTHOR
桑子麻衣子
1986年横浜生まれの物書き。2013年よりシンガポール在住。日本、シンガポールで教育業界営業職、人材紹介コンサルタント、ヨガインストラクター、アーユルヴェーダアドバイザーをする傍、自主運営でwebマガジンを立ち上げたのち物書きとして独立。趣味は、森林浴。
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