「大切なペットが亡くなり、ペットロスから立ち直れない…」【グリーフケアの専門家が回答】
「悲しみ」は、生きていれば誰でも経験する感情です。悲しみのない人生はあり得ないとしたらゼロにしようともがくより、悲しみと手をつなぎ上手く折り合いをつけるほうに意識を向けてみませんか。必要なのはちょっとした視点の切り替えであり、新たな視点を身に付けると悲しみが運んでくる大切な気付きを受け取ることができます。今回は「ペットを亡くした深い悲しみ」をテーマに、臨済宗曹渓寺の僧侶でグリーフケア(悲しみのケア)にも詳しい坂本太樹さんに話を伺いました。
他者の目を気にせず、自分らしく十分に悲しんでいい
―近年、犬や猫を我が子同然に可愛がり、飼い主がペットに求める絆は強くなっているのを感じます。犬の”公園デビュー”、犬を介して出会う”犬友”など、ペットが生活の中心にいると感じる人は増えているのではないでしょうか?
「ペットと飼い主の関係は、以前よりも親密度が増しているのを感じます。お子さんがいない夫婦は子供の存在を重ねるようにペットに愛情を注ぎ、リタイア後に生活の癒しを求めて飼い始める人もいて、ペットが心の空洞を埋める存在になったのも最近の傾向ではないでしょうか。動物は言葉が話せないので、飼い主の受け取り方次第で肯定的に聞いてくれると思えばパートナー感が強くなる。また、共通言語を持たないからこそ注意深く様子を見ようと思い、大切に扱いたい気持ちが生まれるのかもしれません」
―大切に思うほどペットの死は深い悲しみをもたらし、自分の一部を奪われたような苦痛を感じることがあります。しかし長くペットロスから立ち直れないと、周りから「いつまでも悲しんでいないで」と言われ二次的な傷を負いかねません。
「最近はペットロスという言葉が社会に定着し、ペットの死も立派な喪失と見なされます。失った相手が動物であっても大切な存在が亡くなれば悲しみ、嘆くのは人として自然な反応です。悲しみが長引いたからといって、その人の心が弱いわけではないとペットを迎えた経験がない人も知ってほしいですね。その人にとってペットがどれだけ大切な存在であったかは本人しかわからず、悲しみの期間は周りの価値判断で決めるものではありません。自分らしく十分に悲しんでいい、というのが大前提だと思います」
―ペットを亡くした悲しみを打ち明けられた側は、どのように接するのが望ましいでしょうか?
「良い言葉をかけて前向きにしてあげようと構えたり、無理に聞き出そうとしたりせず、あるがままの自分で聴いて差し上げてください。辛い、悲しいといった世間ではネガティブと捉えられる感情もその人らしく表出していいという心構えが大切です。ペットを迎えた経験がないから理解できないと諦めず、『あなたの悲しみの深さはわからないけど、そんな私でよければ話してください』という謙虚さを持ってそばにいれば、悲しみと折り合いをつける支えとなるチャンスはあります。そして、そのような心持ちの人がいる場には、悲しみをやわらげる力が宿ると思います」
葬儀はペットとの絆を結び直し、心を整理する場
―ペットが亡くなると人間と同じように葬儀を執り行い、その後も一周忌、三回忌などの法要を行うケースが増えています。こうしたセレモニーは飼い主の心に何をもたらしますか?
「そこには大切な存在だからこそ、丁寧に扱いたいというペットへの思いが感じ取れます。一方でこうしたセレモニーには、見送る側の気持ちに区切りをつける意味合いもあり、まさにグリーフケアの一環と言えます。仏教では命日から7日ごとに7個の関所を経て浄土に行くと考え、最終審判を無事に終えるように祈り務めるのが四十九日法要です。もちろん前を向くタイミングはそれぞれなので、セレモニーを機に必ず区切りをつけましょうというわけではありません。手を合わせて共に過ごすなかでペットから教わったことや感謝の気持ちを思い出し、絆を結び直す機会と捉えれば、心の整理が進み安らぎを感じられるのではないでしょうか」
命を預かる謙虚さを持ち、その命を輝かせるのが役目
―ペットロスには自責や後悔が伴う場合があります。私の経験をお話すると、これまでに8匹の猫を看取りましたが、愛猫を家族と思う以前に一つの「命」と捉え、この命が不自由なく伸びやかでいられるように世話をしてきました。また、命には終わりが来るという現実を心の片隅に置きながら愛情を注いだら、亡くなった後に「もっとこうしておけばよかった」という気持ちは少なかったように思います。
「元気なときも病めるときも、この命を預かっているという謙虚な気持ちで接するのは大切ですね。自分がしてあげたいと思うことが、ペットにとって本当に幸せなのか常に考え、お預かりした命が輝くような接し方を意識したいものです。ペットが心底幸せな姿を見るのは飼い主にとっても幸せであり、看取った後の納得感につながると思います」
―ペットは人間が世話をしないと生きられず、ともすれば従属関係が生まれやすいです。飼い主の愛情がエゴにならず、この命が何をしたら喜び、充実してこの世を生き切ってくれるかという視点を忘れたくないです。
「病気になって命の期限を意識する段階に差し掛かると、そのような気持ちになるものです。本当は元気なうちから命あるものを預かり、世話をさせてもらっていると意識しておくのがいいかもしれませんね」
―亡くなったペットを思うと、新たなペットを迎えるのを後ろめたく感じることがあります。ためらいを感じている人にどんな言葉をかけますか?
「この場合の後ろめたさは、亡くなったペットへの引け目や、気持ちを切り替えることへの罪悪感のようなものだと思います。しかし、切り替えができるのは悪いことではありません。
愛するペットとの思い出を忘れるはずはなく、飾ってある写真を見るたびに語りかけ、一周忌には好きだった猫缶をお供えするなど折に触れて思いを馳せるのではないでしょうか。新しいペットを迎えたとしても亡くなったペットとつき合い方を変え、その存在を大切に思っているなら後ろめたさを感じる必要はないですよ」
―心のなかではずっと生き続けているわけですね。
「気持ちのなかだけでなく、自分の行動や日々の習慣、ペットを迎えたことで気持ちが穏やかになったなど性格的な部分にまで、大切なペットの存在は生き続けるものです。そういう意味では今も亡くなったペットと共にあり、後から迎えたペットは新たな命として大切にお預かりすれば何も煩うことはありません」
〈プロフィール〉
語り手/坂本太樹さん
1985年生まれ。臨済宗妙心寺派 曹溪寺副住職(東京都・港区)。京都妙心寺専門道場で5年間修行。2016年より2022年まで(公財)全日本仏教会に勤務。その後、大切な人を亡くした悲しみなど喪失による悲嘆を抱える人に対する真の寄り添いを学ぶため、2022年4月より上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学し、同研究所認定「臨床傾聴士」の資格を取得。(公財)日本宗教連盟 宗教文化振興等調査研究委員会委員を務める。
聞き手/北林あい
フリーライター。グルメ・旅行関係の執筆に携わり、乳がんの罹患を機に正確な医療情報の必要性を感じて医療・ヘルスケア分野のライターに転身。がんは寛解しても心の回復に時間を要したことでメンタルケアにも関心を持ち、上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学。同研究所認定「臨床傾聴士」の資格を取得し、現在は「心」に関する記事の執筆のほか悲嘆を抱える人の傾聴活動も行っている。@kitabayashi1101
AUTHOR
ヨガジャーナルオンライン編集部
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